イシルディン=リルファーデ
「ちょっと早いけど誕生日おめでとう、イシル!」
そう言って、突然帰って来た姉が掌に乗るほどの箱を差し出してきた。
イシルディンはそれを受け取る。
「ありがとう、姉上」
綺麗な箱に綺麗なリボンで飾られたものだった。
「開けてもいい?」
「もちろん!」
丁寧にリボンで飾られたそれを外し、フタを開けると、箱の中には綺麗なカフスボタンが二つ入っていた。
銀の台座に紫の宝石がはまっている。
宝石は特殊なカットでもしてあるのか、キラキラと全体が輝き、華やかだった。
「綺麗なカフスだね」
箱から取り出したカフスボタンの一つを袖に当ててみると、姉が嬉しそうに笑う。
「よく似合ってるよ。やっぱり目の色に近いから、自然な感じがする!」
ニコニコしている姉にイシルディンはもう一度「ありがとう」と言った。
金銭的余裕はあまりないだろうに、こうして誕生日プレゼントを欠かさず贈ってくれる姉からは愛情が感じられる。
姉はいつだってイシルディンを愛してくれる。
小さな時はよく手を引いてくれたし、姉弟仲は昔から良かったが、両親が亡くなってイシルディンが荒れてきた時も姉は変わらず愛情深く接してくれた。
それは何年経っても変わらない。
「そろそろ新しいカフスが欲しいと思ってたんだ」
「そっか、じゃあ買って正解ね」
「誕生日にはこれをつけて過ごすよ」
姉が笑う。
「仕事で帰ってこれないから、わたしの代わりだと思ってね」
冗談半分の言葉にイシルディンは頷いた。
カフスボタンの色合いはイシルディンに似てもいるし、姉にも似ていて、どちらも彷彿とさせる。
ふと視線を動かした姉が目を丸くする。
「あ、ごめん、もう帰らないと!」
姉が立ち上がった。
「え、来たばっかりなのに?」
「明日も仕事だし、門が閉まると入れなくなっちゃうから。また休みの日に来るね! それじゃあ!」
軽く手を上げて挨拶をしながら姉は部屋を出て行った。
慌ただしい足音に続いて、アニーの「お嬢様、行ってらっしゃいませ!」という明るい声がする。
それに姉の「行ってきます!」と返事がした。
ややあって、開けっ放しの扉からアニーが入って来る。手には二人分のティーカップがあった。
「お嬢様もお忙しいですねえ」
少し残念そうにアニーが言う。
盆をテーブルに置き、紅茶を淹れたティーカップがイシルディンの前へ置かれた。
「ありがとう」と礼を言ってからそれに口をつける。
アニーをソファーへ促し、残ったティーカップの紅茶を勧めれば、アニーは微笑んでソファーに腰かけた。
幼い頃からの付き合いなので慣れたものだった。
「姉上らしいけどね」
「あはは、確かに! あれくらい元気なのがお嬢様ですからね。……でも元気そうで良かったですよ」
イシルディンは気付かなかったが、姉は王城で働き始めた時からずっと嫌がらせを受けていたらしい。
宮廷魔法士団の下で働いている姉を辞めさせようとしたそうだ。
それについて姉からだけでなく、魔法士団紫水の士団長様からも事の仔細と謝罪の手紙が届き、そこでようやく姉の状況について知った。
……姉上はいつもそうだ。
自分だってつらいはずなのに、いつも、何でもないことのような顔をする。
本当に気にしてないこともあるけれど、両親が亡くなった時だって、姉は自分の前では涙一つ見せなかった。
確かに姉は精神的にも強いし、肉体面でも魔法で身体強化が使えるので非常に強靭だ。
でも何も感じないわけではない。
……それに騎士達に襲われるなんて……。
女性にとっては恐ろしいことだろう。
姉はたまたま身体強化を使えたから良かったものの、普通のご令嬢であればどうにもならなかったはずだ。
身体強化を使った姉は負けたことがない。
叩きのめされていい気味だと思った。
しかし裁判で厳正な処分を下されても腹が立つ。
騎士や令嬢の家から謝罪の手紙や慰謝料などが送られてきたが、それで許されることではないし、許せなかったので慰謝料も手紙も全て受け取らなかった。
受け取れば謝罪を受け入れたことになってしまう。
叔父は謝罪も慰謝料も突っぱねて、どんなに謝罪されても許せるものではないし、一生涯反省し、恥ずべき行いだと相手の家に伝えてくれたそうだ。
……まあ、自分の行いに苦しむのは向こうだ。
騎士達は小柄な姉に三人がかりで負けた男だと嗤われているようだし、令嬢達も他の貴族から顰蹙を買い、孤立して、どの家も彼ら彼女らを自領や修道院に送ったらしい。
二度と社交界には現れないだろう。
問題を起こした者達の家も肩身の狭い思いをしているようだが、当然の結果だとイシルディンは小さく息を吐く。
「姉上には苦労をかけてばっかりだ」
領地の経営に余裕が出来て、以前よりももう少し生活に余裕がで始めたが、それでも裕福とは言い難い。
姉が働いてくれるのは非常に助かるのだが、同時に申し訳なくも思う。
その本人は楽しそうに仕事をしているが。
貴族のご令嬢なら、もっと優雅に生活をしてもいい年齢なのに。
「お嬢様は昔から働くことが好きですから、坊っちゃまがそこまで気にすることはないと思いますけどねえ」
アニーの言葉にイシルディンは苦笑する。
確かに、もし我が家がそれなりに裕福だったとしても姉は自ら進んで仕事を探したかもしれない。
少なくとも婚約破棄はきっかけに過ぎないだろう。
「姉上はジッとしてるのが苦手だからね」
領地にいた頃が一番幸せだった。
両親がいて、姉がいて、家族のような使用人達がいて、領民達とも仲が良くて。
勉強がない日は朝から夕方まで、姉に手を引かれて街を駆け回った。
邸に帰れば使用人達が出迎えてくれて、家族で食卓を囲んで、夜は眠くなるまで姉とお喋りをした。
姉が婚約してからは外を駆け回ることは減ったけれど、それでも、楽しい日々だった。
三年前、流行病で両親が亡くなってからは領地の経営を叔父に任せ、王都にあったタウンハウスへ居を移した。
領地の邸は両親との思い出が多すぎて、あの当時は、あそこで暮らすことが出来ないくらいイシルディンは両親の死がショックだった。
姉と数名の使用人とタウンハウスに移り、それからはずっとここに住んでいる。
その数名の使用人達も年齢で辞めたり結婚して離れたりして、結果的にアニーとヴァンスだけになってしまった。
イシルディンも今はもう両親の死を受け入れて、成人後は領地に戻る予定である。
そうなるとこのタウンハウスは売ることになるだろう。
あまり来ない王都にいつまでも家を持っていても金がかかるため、いずれは売って、必要な時は宿か借りるかすれば良い。
そう思うとこの邸を離れるのは少し寂しいが。
姉が住み込みで働いている以上はこの邸を残しておいても意味がないのだ。
「それにしても、これ、姉上が選んだものだと思う? 姉上にしてはセンスが良くない?」
箱を開けて中を見せれば、アニーが「まあまあ」と目を細めて笑った。
「素敵なカフスボタンですねえ」
「誕生日プレゼントだって。当日は仕事で帰ってこれそうにないから、早めに渡しに来たみたい」
「あら、それは残念ですね。坊っちゃまとお嬢様のお好きなミートパイをうんと沢山焼こうと思っておりましたのに」
毎年、家族の誕生日は家族揃って祝ってきた。
それが出来ないのは寂しいが、家のために働いてくれている姉のことを思えば我が儘は言えない。
姉の申し訳なさそうな顔を見てしまえば、イシルディンは「大丈夫だよ」と言うしかなかった。
「ミートパイは今度姉上が来る日に焼いてよ」
「かしこまりました」
カフスボタンを見る。
シンプルな四角いものだが、植物をモチーフにしたそれはなかなかにオシャレで品がある。
あの姉が一人で選んだものとは思えない。
これまで、姉が誕生日に贈ってくれたものはどれも変わったものだったり、少し子供っぽかったりしており、今回のようにきちんとしたものは初めてかもしれない。
……昔は珍しい植物をくれたこともあったっけ。
身体強化を使って山奥まで行って取って来たというその珍しい花は今でも多分、領地の邸の庭に植わっていることだろう。
自作の玩具をくれたこともあった。
大好きな姉がくれるものなら何でも嬉しいが、今回のカフスボタンが一番嬉しい。
元々あまり装飾品がなかったのもあり、少し大人っぽいデザインが、イシルディンの成長に合わせてくれているように感じられたのだ。
でも姉だけで選んだものではないだろう。
姉が選んでいたら、変な形や不思議な模様の宝石だっただろうから。
「やっぱり姉上が選んだものじゃないと思う」
「では、お友達と選ばれたのでは?」
アニーの言葉にイシルディンは考える。
それならそれでいいのだが、もし一緒に選びに行ったのが男性であったなら、イシルディンはその男性に何としてでも会うだろう。
婚約破棄されたばかりの姉に男性が近付けば噂の的になり、それはどちらにとってもよろしくない。
……それに気になることもあるんだよね。
見慣れない髪飾りも姉はつけていた。
柔らかな緑色に塗られた植物を模した土台に、小さな紫の宝石が菫の花を象ったものだった。
……姉上は自分からああいうのは買わない。
誰かから贈られたのは確かだろう。
それに姉からたまに送られてくる手紙には、仕事が楽しい、みんな優しいとよく書かれているのだが、特によく名前の出てくる人物が何人かいる。
姉曰く自分が掃除を担当する魔法士ということであったが、一人だけ、名前で呼んでいる人がいるのだ。
手紙の文面からして、その人のことを姉はかなり好意的に思っているようだ。
それが恋愛面なのか、人としてなのかは不明だが、イシルディンとしては姉には幸せになってもらいたい。
結婚が必ずしも幸せに繋がるわけではない。
しかし、姉を大事に思ってくれる人と添い遂げることは姉の幸せに繋がるのではと考えていた。
「そうならいいんだけどね」
イルンストン伯爵子息のような男が姉に近付く可能性も捨てきれないから、心配なのだ。
……アルフリード=リュディガー公爵子息。
姉の手紙に最も多く書かれている名前であった。
* * * * *
門が閉まるギリギリで王城に飛び込んだ。
仕事の後に着替えて家へ戻り、イシルディンにカフスボタンを渡せて良かった。
……喜んでくれてたなあ。
最近大人っぽくなったイシルディンは昔みたいにプレゼントをもらって大はしゃぎとはいかなかったが、それでも、とても喜んでくれていた。
弟はわたしに似た顔立ちで細身なので優しく見えるけれど、実は結構気が強くて物怖じしない性格だ。
わざわざ袖に当ててくれたのは、それだけ気に入ってもらえたということでもある。
優しい子なのでわたしがあげたものを捨てたりはしないが、気に入らなければあまり使わないだろう。
三歳下のイシルディンも、来年の誕生日で成人を迎えるのだと思うと感慨深い。
両親が亡くなった三年前は酷く荒れていたから。
その時のイシルディンはまだ親に甘えたい盛りだったのだから、突然両親を失ったことを受け入れられなかったのだ。
しかもイシルディンも同じ病にかかった。
自分だけ生き残り、両親が亡くなったことは、少なからず弟の心に罪悪感や影を落としたに違いない。
わたしからしたら弟だけでも生き残ってくれたことが嬉しかった。
同じ病に家族でかかった領民の中には全員亡くなってしまった家もあったし、子供がたった一人残された家もあった。
わたしは弟が生き残ってくれただけでも幸せな方である。
それに弟がいなければ、わたしも前を向いて立てなかっただろう。
弟がいたからわたしも耐えられた。
三年前には既にイルンストン伯爵子息とは婚約していたけれど、イルンストン伯爵の方がわたし達を励ましてくれたくらい、彼はわたしには無関心だった。
父と母がいない分、二人に代わってイシルディンに愛情を注いだ。
暴れて、泣いて、周りに八つ当たりしていたイシルディンだが、そんな弟を見ていたからこそわたしは笑顔でいられたのだ。
弟がまるでわたしの分まで両親の死を嘆いてくれているみたいで、その分、わたしは笑っていられた。
父と母が好きだと言ってくれた笑顔を保てた。
わたしにとってはイシルディンは何にも代え難い大切な、たった一人の弟なのだ。
イシルディンには幸せになって欲しい。
わたしよりも頭の良い子だから、わたしがあれこれ世話を焼かなくとも、もう大丈夫なのだろう。
それが嬉しくて、同時に少し寂しい。
……誕生日、当日に祝ってあげたかったな。
だが仕事があるので家に帰る暇はなさそうだ。
残念だが仕方がない。
「大丈夫だよ」と言ったイシルディンは笑っていた。
それが本心ではないことくらい、弟を生まれてからずっと見ているわたしには分かった。
わたしに心配をかけまいとしているのだろう。
「……本当に大人になっちゃったなあ」
わたしよりも小さかった弟は、気付けばもう、わたしよりも大きくなってしまった。
それでも可愛い弟に変わりはないけれど。
本当に良い子に育ってくれたと思う。
嫌がらせや呼び出された件を手紙で知らせた時はとても怒った返事が戻ってきて、心配もかけてしまった。
「わたしももっとしっかりしなくちゃ!」
パチリと頬を叩く。
弟に心配させてばかりの姉なんて格好悪い。
イシルディンのためにも、わたし自身のためにも、今後は嫌がらせなどに対しても毅然とした対応をしよう。




