アルフリード=リュディガー
* * * * *
アルフリードは二十二年前、この世に生を受けた。
このユースタリア王国の第四王子として。
だが、生まれてすぐにアルフリードはある理由から、王妃の実家であるリュディガー公爵家に密かに引き取られることとなった。
そのせいで十五歳まで、病弱だからという理由で公爵邸の外に出たことは一度もない。
アルフリードは幼少期を公爵邸の中だけで過ごした。
それに関して、アルフリード自身は特に思うことはなかったが、リュディガー公爵家や使用人達はアルフリードを憐れに思ったようで、欲しいものは全て与えられてきた。
しかしアルフリード自身、昔から物に執着するタイプではなかった。
必要な物があればそれで良かった。
七歳になった日、アルフリードはこの国の王族に初めて会った。
その人達が自分の実の家族であると知ったのはその時であったが、それに何かを感じることはなかった。
そしてアルフリード自身について教えてくれた。
それはこのユースタリア王国の建国まで遡る。
この世界は昔から、魔獣と呼ばれる生き物が存在し、人間の命を脅かしていた。
その魔獣の頂点にいたのは一頭のドラゴンだった。
ドラゴンは多くの魔獣を引き連れて人間の村を襲い、人々を殺し、人間の住む場所を奪っていった。
それに立ち上がった人間達がいた。
人間は魔法と剣でドラゴンに立ち向かい、そして、長い年月をかけて人間はドラゴンに打ち勝った。
しかしドラゴンを殺した時、最後に剣を突き立てた者にドラゴンは呪いをかけた。
するとその人間は全身をドラゴンに似た鱗に覆われ、そのひとみは縦に裂け、爪や歯が伸び、人ならざる姿になってしまった。
ユースタリア王国の王族はその呪いを受けた者の子孫であり、代々、各世代に一人、呪いを持つ者が現れるようになった。
それにアルフリードは覚えがあった。
アルフリードは昔から、泣いたり怒ったり、興奮すると肌の一部に蛇や蜥蜴のような鱗みたいなものが現れ、瞳孔が縦に裂け、爪や歯が少し伸びる。
それはまさしくドラゴンの呪いだった。
「公爵家はこの呪いについて知っている。そもそも、本来我が国の公爵家とは、呪いの現れた王族を秘密裏に引き取るために存在する家々であった」
ドラゴンの呪いは段々と薄まっており、姿は当初よりも人間に近く、そして呪いによる変化も興奮しなければ出なくなっていた。
それでも呪いが完全に消えたわけではない。
人前に出られるようになるには、感情を制御出来なければならなかった。
アルフリードは邸から出たいとも思わなかったが、王家やリュディガー公爵家の人々はアルフリードに普通の幸せを見つけて欲しかったのだろう。
以降、アルフリードの元には王お抱えの事情を知る教育係が訪れ、感情を制御するための訓練が行われた。
怒りも、悲しみも、喜びも、強く感じてはいけない。
感情を制御するよりも、アルフリードは感情を持つことを手放してしまった。
それほど訓練はつらかった。
子供が感情的になるのは当たり前のことなのに、それが許されず、呪いが現れる度に叱責され、我慢を強いられる。
つらい思いをするくらいなら、諦めてしまった方がずっといい。
十五歳になる頃には、アルフリードは無表情でほとんど喜怒哀楽を見せない人間になっていた。
しかし代わりに呪いをある程度は制御出来るようになり、十六歳の成人で社交界にデビューした。
公爵家は王族に血筋が近く、金髪に青い瞳だったので、誰もが、アルフリードを公爵家の血筋だと疑わなかった。
貴族のご令嬢に囲まれても、子息達に話しかけられても、アルフリードは無表情だった。
あまりに感情がなく、淡々としているせいで『氷の貴公子』などという呼び名までつけられたが、アルフリードにはそれすらどうでも良かった。
ただ呪いが現れないように静かに日々を過ごす。
それだけがアルフリードの中に残っていた。
宮廷魔法士団に入れたのは、ドラゴンの呪い故の魔力の多さから、魔法を多く扱えたからだ。
あえて人とあまり接しない紫水に自ら進んで入団し、それからアルフリードはずっと紫水にいる。
それでも、十七歳の時には婚約者が出来た。
同じ公爵家のご令嬢で、貴族のご令嬢らしい、三歳年下の少女だった。
王家と公爵家が定めた婚約者であったが、自分のような者の側にいてくれるのだからとアルフリードは婚約者に優しく接し、出来るだけ時間も割いた。
二年ほどは婚約者らしく過ごせた。
だが、アルフリードが十九歳となり、婚約者が成人した日、王家から婚約者へアルフリードの事情が打ち明けられた。
実際、アルフリードは婚約者の目の前で変化した。
それを見た婚約者は絶叫して気を失った。
その後、婚約は解消された。
公爵令嬢には秘密を漏らさないように誓約魔法がかけられ、すぐに公爵令嬢には別の婚約者が充てがわれ、アルフリードとの婚約は双方の家の事情により解消されたということとなった。
アルフリードはそれに傷付いた。
でも、それが表に出ることはなかった。
感情の大半を手放していたから、傷付き、嘆き、悲しむことすら出来なかった。
仕方がないと思った。
呪われた人間など受け入れてくれる者はいない。
そうして三年、アルフリードは社交界に出ることをやめて、紫水で静かに魔法士として仕事に明け暮れていた。
これからも、ずっとそうだと思っていた。
ミスタリア=リルファーデ子爵令嬢に出会うまでは。
* * * * *
「ん〜、このお肉柔らかくて美味しいですね!」
横でリルファーデ嬢が頬を押さえて言う。
アルフリードにとっては食べ慣れた食事で特に思うことはないが、彼女にとってはそうなのだろう。
いつも美味しそうに食事をする。
小柄な体が少し揺れている。
感情に素直で、こういうところは貴族のご令嬢らしくないのだけれど、彼女の正直な姿を見ていると不思議と充足感に包まれる。
「肉がお好きなんですか?」
今日は会議が長引いているようで、メルディエル士団長とウェルツ副士団長は一緒に食事を摂れない。
リルファーデ嬢と一緒に食事を摂ることは習慣になりつつあった。
最初は初めて王城に来た人間への親切からだったが、途中で嫌がらせを受けている彼女への心配に変わり、今はこれが当たり前になってしまった。
「嫌いなものは基本的にないですよ。強いて言うなら、まずいものは苦手です。もっと言えば美味しいものが大好きです!」
そう言って彼女がニコリと笑う。
正直でリルファーデ嬢らしいと思った。
「よろしければ、私の分も半分食べますか?」
まだ手をつけていないステーキを示すと、リルファーデ嬢が「えっ」と声を上げた。
「わたしはあまり肉が得意でないので、少し食べていただけたら嬉しいです」
アルフリードは本当は肉が好きだ。
野菜は青臭さを強く感じてしまうので、肉や果物、甘いものなどが好きである。
しかし、彼女になら分けてもいいと思えた。
「いいんですか!」
彼女の暗い紫色の瞳が見上げてくる。
よく見ると銀粉をまぶしたようにキラキラと輝くその瞳に見つめられるだけで嬉しいような気がするのだ。
「構いませんよ」
切り分けたステーキをひょいとリルファーデ嬢の皿へ移せば、彼女の雰囲気がパッと明るくなる。
「ありがとうございます!」
満面の笑みに、アルフリードも目を細めた。
「いえ、お気になさらずに」
だが彼女は「いいえ!」と首を振る。
「何かお返しします! させてください!」
と、詰め寄ってくる。
キラキラ輝く瞳で見つめられると弱い。
アルフリードは少し考えて、ふと自分の袖に気が付いた。
長年愛用してきたカフスボタンは随分と使い古されて、くすんでしまっている。
「では、良ければ今度買い物に付き合っていただけませんか? カフスボタンを新調したいのですが、自分に合う物が分からなくて……」
リルファーデ嬢がキョトンとする。
そして小首を傾げた。
「それはアルフリード様が買ったものではないんですか?」
「ええ、家の者が選んだのです。私は使えれば何でも良いというところがありまして」
そう答えれば彼女がふふ、と笑う。
「わたしもあんまりセンスが良くないんですけど、それでもいいですか?」
アルフリードはすぐに頷いた。
「ええ、大丈夫です。リルファーデ嬢の次の休みはいつですか?」
「えっと、明日は半日お休みですね」
「では、明日行きましょう」
彼女が目を丸くする。
「え、でも、アルフリード様はお仕事は?」
それにアルフリードは答える。
「最近、休みを取れとうるさく言われていたので、明日半日ほど休みをいただけるようメルディエル士団長に伝えておきます」
アルフリードは三年前からほぼ休みなく働いている。
だから、休みをくれと言えばすぐに取らせてくれるだろう。
上の者が休まなければ下の者が休み難いから、とも言われている。良い機会だった。
「じゃあ、明日の午後、街でお買い物しましょう! 実はもうすぐ弟の誕生日なので、何か贈り物をしたいと思っていたんです」
「カフスボタンはいいですね」と彼女が笑う。
その笑顔にどうしても惹かれてしまう。
アルフリードにはない眩しさに焦がれてしまう。
また嫌われるかもしれないと恐怖しているのに、心は彼女を欲しいと願ってしまう。
明るくて、前向きで、素直で、変わっていて、でも不思議と一緒に過ごす時間は楽しくて。
……ああ、認めよう。
僕はリルファーデ嬢のことが好きだ。
* * * * *
アルフリードはその日、家族へ打ち明けることにした。
元より、公爵家の人々に隠しごとはない。
それに隠していても、長年共に暮らしているので、そのうち気付かれてしまうだろう。
それならば、きちんと伝えておいた方が良い。
……それに下手に引っ掻き回されたくない。
普段なかなか早く帰らないアルフリードがいつもよりずっと早い時間に邸へ戻ったことに、使用人も、家族も驚いたが、喜んだ。
アルフリードの早い帰りに母は喜んだ。
「夕食前に少しお茶でもどうかしら?」
と言うので、久しぶりに母とお茶をして過ごした。
母は女性にしてはあまり口数が多くないが、静かな空間でゆっくりと紅茶を楽しみながらポツポツと会話をする時間は心地が好い。
「たまにはこうして早く戻っていらっしゃい」
「たまにしか顔が見られないのは寂しいわ」と母が言う。
アルフリードはそれに頷いた。
そうして過ごしているうちに、王城に出仕していた父と兄が帰ってくる。
母と共に出迎えれば驚いた顔をされたけれど、二人とも喜んでいた。
家族四人で食事をするのは多分三年ぶりだ。
前の婚約が解消されたあの件があってからは、遅く家に帰り、食事も自室で済ませてしまっていた。
どうやら兄の妻である義姉は今日はあまり体調が優れないらしく、先に休んでいるらしい。
四人で食堂に集まり、食事をする。
「アルフリード、最近仕事の方はどうだ?」
父の言葉にアルフリードは頷く。
「良好です。問題はありません」
「そうか」
「紫水に使用人が入ってくれたので、最近は区画も綺麗になり、皆も仕事が捗っているようです」
兄が「ああ」と頷いた。
「魔窟がなくなったとは聞いたが本当だったんだな」
「ええ、今は普通の区画ですよ」
兄の言葉にアルフリードは紫水の区画を思い浮かべる。
あの埃まみれ、荒れ放題の研究部屋が、普通に人を呼べる綺麗な部屋に戻ったことは驚くべきことだ。
もう、魔窟とは誰も呼ばないだろう。
アルフリードはカトラリーを置いた。
「父上、母上、兄上、お話があります」
三人がこちらへ顔を向ける。
これを口にするのは少し、勇気が要る。
「……想いを寄せている女性がいます」
三人が目を丸くした。
三年前の婚約解消以来、アルフリードには女性の影が全くなかった。
それどころか女性を避けている節があった。
そのアルフリードに好きな女性がいると告げられて、驚かないはずがなかった。
「本当か? どちらのお嬢さんなんだ?」
父親が問う。
「紫水の使用人として働いている、ミスタリア=リルファーデ子爵令嬢です」
「リルファーデ……。確か良質なミスリル鉱を産出しているはずだったか。……ん、待ちなさい、ミスタリア=リルファーデ子爵令嬢?」
「それは今話題になっているご令嬢ではないか? 騎士三名を叩きのめしたとんでもないご令嬢だとか……」
父親と兄の言葉に頷いた。
「ええ、その騎士三名を叩きのめしたご令嬢です。ですが彼女自身は普段はそのように手荒なことはしません」
「ああ、分かっている。あれに関してリルファーデ子爵令嬢に非がないことは明らかだ」
アルフリードは頷き、続けた。
「彼女は明るく活発で、素直な、貴族のご令嬢としては少々変わっておりますが、前向きな性格をしています。言ってしまえば裏表のない人です」
母親が口を開いた。
「リルファーデ子爵令嬢はあなたの気持ちをご存知なの?」
「いいえ、まだ伝えておりません」
「そう、でも、こうして私達に言うということは、近いうちに伝えるのでしょう?」
「そのつもりです」
母親は小さく頷いた。
「あなたがその方と添い遂げたいというのであれば私は反対はしないわ」
母親の言葉に父親と兄も頷いた。
「そうだな、アルフリードもそろそろ結婚しても良い。リルファーデ子爵令嬢が良き女性ならば文句はない」
「むしろ、お前にそういう者が出来てホッとした」
三年前の出来事から、アルフリードが女性に関心を持たなくなってしまったことが心配であったのだろう。
言葉通り、どこか空気が穏やかだ。
「気持ちを伝え、彼女の気持ちを確認するまでは、静かに見守っていて欲しいんです」
アルフリードの言葉に全員が微笑んだ。
公爵家が動けば子爵家は従うだろう。
婚約の打診をすれば、子爵家は断れない。
だが、それではダメなのだ。
きちんと彼女と気持ちが通じ合っていなければ、結局は三年前と同じになってしまう。
「その方は大丈夫なの?」
何が、と言わなくとも分かる。
アルフリードの持つ呪いのことだ。
「分かりません。……ですが、もし受け入れてもらえたなら、それ以上の喜びはないでしょう」
彼女がどんな反応を示すかは想像もつかない。
元より行動の予測がつかない子だから。
ただ、嫌わないでくれたらと思う。
アルフリードは無邪気な笑顔を思い出して、僅かに目を細めたのだった。
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