来客
午後、廊下の部屋を掃除していたら声をかけられた。
「こんにちは」
掃き掃除をしていたわたしはその声に振り返った。
蜂蜜みたいな綺麗な金髪に青い瞳の、どこか、見覚えのある人だった。
でもどこで見たのかは思い出せない。
「こんにちは、何かご用ですか?」
掃除の手を止めて訊けば、その人はキョトンと目を瞬かせ、それから何故かふはっと笑った。
……わたし、何か面白いことを言ったかな?
小首を傾げていればその男性は「何でもない」と首を振った。
「紫水の士団長のところに行きたいのだけれど、案内してもらえるかい?」
「はい、かしこまりました。どうぞ、こちらです」
箒片手にその男性を士団長様のお部屋まで案内することとなった。
背後で男性が言う。
「魔窟って聞いたけど、普通に綺麗だね」
「毎日きちんとお掃除していますので」
ここまで綺麗にするのは少し時間がかかったけれど、一度きちんと掃除出来てしまえば、あとは毎日ちょっと綺麗にするくらいで済む。
魔法士の皆さんも片付けを覚えてくれたし、元々真面目な人が多いのか、整理整頓の仕方も教えたらすんなり覚えてくれた。
要はやり方を知らなかっただけなのだ。
男性が「ははは」と笑う。
「そうか、それは君に感謝しないとな」
……わたし?
「いえ、わたしは一部を担当しているだけですし、お掃除の時には魔法士の皆様も率先して手伝ってくださるので、わたしは大したことはしておりません」
背後で男性の立ち止まる気配がして、わたしも立ち止まって振り向く。
男性はまじまじとわたしを見た。
「謙虚だね」
「事実ですから。魔法士の皆様は貴族の方が多いので、整理整頓やお掃除のやり方を知らなかっただけなのです。現に今は綺麗でしょう?」
「それは君が掃除をしているからでは?」
男性の言葉に笑ってしまった。
「毎日掃除したとしても、本当に酷く汚す方々でしたらいくつ手があっても足りませんよ」
そして士団長室に到着する。
「こちらが紫水の士団長様のお部屋になります」
「ああ、案内ありがとう」
一礼して、わたしは元の場所へ戻る。
歩きながら、やっぱりどこかで見たことがあるなと首を捻っているうちに思い出す。
……そうだ、あの人。
「アルフリード様に似てる……!」
やや色味は違うが金髪に青い瞳で。
アルフリード様は無表情だけど、先ほどの人はニコニコと笑みを絶やさない人だった。
「……公爵家の方かな?」
そうだとしたら、わたし、ちょっとお気軽な態度を取ってしまったことになる。
……うーん、でも、怒られなかったからセーフ?
次からはもっと丁寧に対応しなければ。
* * * * *
ケーニッヒ・オルドア=ユースタリアは離れていく小さな銀灰色を見送った。
それから目の前の扉を叩く。
中から、相変わらずの緩い声がして、それにケーニッヒは自ら扉を開けた。
「やあ」
その声に室内にいた三人が同時に顔を上げて立ち上がり、胸に手を当てる。
「第三王子殿下にご挨拶申し上げます」と三つの声が重なった。
それにケーニッヒは軽く手を上げて応えた。
「楽にしてくれ。我々の仲じゃないか」
それに三人が下げていた頭を上げる。
「ケーニッヒ様、また護衛もつけずに王城内をフラフラなさっていたんですか? 怒られますよ〜」
メルディエル士団長がケーニッヒに手でソファーを勧めつつ、そう言った。
ケーニッヒはそれに飄々とした様子で返す。
「王族にとっては王城は我が家だ。家で護衛なんてつけていたら息が詰まる。それに自分の身くらい守れる自信があるからね」
「それはそうかもしれませんけど〜」
ケーニッヒはユースタリア王国の第三王子であり、魔法士団を統括する立場でもあった。
ちなみに騎士団は次兄の第二王子が主に統括している。
第一王子であり、王太子である長兄は父である国王陛下の補佐を務めている。
いざという時には騎士団、魔法士団両方への裁量権を持っているが、平時においては滅多にそれを行使することはない。
ケーニッヒは頻繁にこうして魔法士団を見に来たり、話をしたりするので、魔法士団の者達も慣れたものだった。
「それにしても随分と見違えた。前に来た時はゴミ溜めみたいになっていたのに」
ケーニッヒの言葉にメルディエル士団長が胸を張って得意げに言う。
「報告していましたが、紫水にも働いてくれる使用人が入りましたからね〜。おかげでいくつかの部屋と共有スペースは綺麗になりましたよ」
「そこは士団長が自慢げにするところではないと思います」
メルディエル士団長の言葉にリュディガー副士団長が淡々と返す。
ケーニッヒは先ほどのメイドを思い出して笑った。
「ああ、報告を受けてる。リルファーデ子爵令嬢があの大惨事だった部屋を綺麗にしてくれたんだろう? 廊下で会って、ここまで案内してもらったよ」
クスクスと笑うケーニッヒに三人が首を傾げた。
「彼女、私が王族だと気付かなかったよ」
「え」と三人の声が重なった。
それはかなり不敬なことなのだが、ケーニッヒからすれば、なかなかに面白かった。
報告では貴族のご令嬢となっていたけれど、どうやら王族の顔は知らないらしい。
それなりに夜会などに出席しているケーニッヒもミスタリア=リルファーデ子爵令嬢を見た時、初めて見る人物だと思った。
恐らく殆ど社交はしていないのだろう。
「いやあ、普通に『こんにちは』と返されたし、その後も平然とお喋りしながら案内されたよ。いいね、あの気軽さ、凄く新鮮だった」
思い出して、また笑ってしまう。
「申し訳ありません、あとできちんと注意しておきます」
リュディガー副士団長の言葉に首を振る。
「いやいや、あのままにしておいても面白いよ。いつ気付くか、賭けでもしない?」
「いたしません。彼女には説明します」
「そうか、それは残念だ」
相変わらずリュディガー副師団長は堅い。
だが、紫水はメルディエル士団長もウェルツ副士団長も比較的大雑把な性格なので、これくらい堅い方が釣り合いが取れていい。
「そうそう、そのリルファーデ子爵令嬢だけれど、彼女のあの一件から色々釣れて、ある意味では良かったよ」
三週間ほど前に紫水の使用人として雇われた令嬢。
ミスタリア=リルファーデ子爵令嬢が襲われかけたことはケーニッヒの耳にも入っている。
貴族のご令嬢が、王城内で被害に遭いかけたとなれば王族が黙っているわけにはいかず、騎士団と魔法士団の両方が関わっていたため、次兄の第二王子も今回の件を知っている。
と言うよりも、兄弟でこの事件に関わることとなったのである。
貴族のご令嬢が他のご令嬢を呼び出し、罵詈雑言を浴びせかけるというならまだしも、騎士達に純潔を奪わせようだなんて悪質過ぎる。
それを実行する者を騎士として団に残す気もない。
王国の騎士としては恥ずべき行為である。
調べたところ、騎士達やご令嬢達のこの行いは今回が初めてではなく、他にも数名のご令嬢や騎士達が襲われたり暴力を振るわれたりしていたことが判明した。
当然のことながら重い罰が与えられる予定だ。
いくら身分が絶対的なものと言っても、許されることと許されないことはある。
騎士やご令嬢達の行いは犯罪だ。
そしてこの事件は予想以上の早さで王城内に広がっている。
どうやら事件を見かけた者達が吹聴してしまったようで、ミスタリア=リルファーデ子爵令嬢は騎士三名を叩きのめすとんでもないじゃじゃ馬だと囁かれてしまっている。
騎士達は家共々『自分よりも小柄なご令嬢に負けた』と嘲笑されるだろう。
それについては事実であるし、騎士としても、男としてもかなり情けないことだ。
きっと騎士達は家に戻ったとしても居場所はなくなり、肩身の狭い思いをするだろうが、それも自らの行いの結果である。
ご令嬢達も、そのようなことをしでかして、しかも大っぴらになってしまったとなれば醜聞である。
中には婚約者のいたご令嬢もいただろうが、恐らく、婚約は破棄か解消されるだろう。
騎士もご令嬢達も結婚相手は見つからなくなる。
王城で犯罪を行うなど、王族の不興を買ってもおかしくない。
そんな者を受け入れる家は少ない。
……だけど、リルファーデ子爵令嬢は良い意味で見た目を裏切るご令嬢だな。
実際のリルファーデ子爵令嬢は身体強化魔法が得意なご令嬢なのだろうが、それにしても、確かに騎士達を打ち負かす様は鮮やかであった。
記録された映像を見た時は次兄の第二王子も「騎士として雇いたいくらいだな」と評していた。
話してみた感じも、多少地味な見た目だが、それとは裏腹に明るく人当たりも良く、素直そうだ。
それに小柄だからと侮っていると痛い目を見る。
身分を使ってやりたい放題をしていた貴族の子息令嬢を処罰出来たのは良いことであった。
「ジョエル兄上が彼女を騎士にしたいと言っていたけどね」
メルディエル士団長が笑った。
「彼女の愛称はミスリルだそうですよ〜」
「ミスリルとは、あのミスリル鉱のことか?」
「『折れない欠けないヘコまない、打たれ強さは世界一』と本人は自己紹介していましたね〜」
「何だそれは」
つい、ケーニッヒも笑ってしまう。
貴族のご令嬢の自己紹介にしては、随分と斬新なものだが。
「彼女はここに入った時から嫌がらせをされていたんですけど、全く気にしていませんでした。僕達が気付いていなければ恐らくずっと嫌がらせを受けたままだったと思います」
メルディエル士団長が嫌がらせの内容を話す。
虫や鼠の死骸が入った箱、自室の扉への状態固定魔法、水をかけられたり、蛇が降ってきたり、同僚達からの小さな嫌がらせも多かったようだ。
けれども、それらはリルファーデ子爵令嬢を傷付けることは出来なかったという。
「虫を見たら『飼いたい!』、蛇を見たら『可愛い!』、部屋の扉が開かなければ身体強化で窓から出入するような子ですよ〜。嫌がらせを苦に思っていないようでした」
「なるほど、だからミスリルと? 確かにあの髪色はミスリルで作られた剣や装飾品を彷彿とさせる見た目と言われれば分かる気はするが」
貴族のご令嬢の愛称にすべきものではない。
精神面でも肉体面でも強いご令嬢。
「ますます惜しくなってくる。リルファーデ子爵令嬢が騎士の入団試験を受けに来なかったことが悔やまれるね。騎士団にくれないかい?」
それにリュディガー副士団長が首を振る。
「彼女がいなくなれば、またここは魔窟に戻ってしまいます。彼女は紫水に必要な人材です」
ハッキリとした言葉にケーニッヒは、おや、と思う。
普段、滅多に人を評価しないリュディガー副士団長にしては珍しい言葉である。
「そうか、それは残念だな」
だが、確かにそうである。
あの汚かった部屋を本来の綺麗な部屋に戻し、それを維持し続けられる者は少ない。
これまで何人もの使用人達が紫水に来たが、全ての者が辞めたり異動したりして、誰も手がつけられなかった。
リルファーデ子爵令嬢を紫水から離して、また元に戻られても困る。
「ああ、そうだ、紫水の追加予算は通ったよ」
「本当ですか? ああ、良かった〜」
ケーニッヒの言葉にメルディエル士団長が安堵した様子で息を吐く。
使用人達を雇い入れた分の追加予算なので通らないはずがないのだが、そこはそれ、やはり通ったと分かってホッとするのだろう。
ケーニッヒはソファーから立ち上がった。
「それでは私は戻るとするよ」
チラ、とケーニッヒがリュディガー副士団長を見れば、メルディエル士団長が「アルフリード君、殿下を送って差し上げて」と言う。
それにリュディガー副師団長が「はい」と頷いて席を立ち、ソファーを避けて回ると、扉を開けた。
ケーニッヒは「それでは」と言って部屋を出る。
そしてリュディガー副士団長が案内を兼ねて廊下を歩き出す。
ケーニッヒがピアスに触れると、一瞬、ふわりと半透明の膜が広がったが、リュディガー副士団長は驚かなかった。
「こうして話すのは久しぶりだな、アルフリード」
ケーニッヒの言葉にリュディガー副士団長──……アルフリードは周囲に視線を巡らせてから頷いた。
「……そうですね、兄上」
前を向いたまま、淡々とそう返した実弟にケーニッヒは苦笑したのだった。
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