気になる二人
あの事件から三日。
休日に気分転換も出来て、心機一転、仕事に励んでいた。
紫水の魔法士の皆さんが心配して声をかけてくれたが、わたしは元気いっぱいなので大丈夫である。
それを示すためにもいつも通り働くに限る。
「ミスリルちゃんが元気そうで安心したよ〜」
と、士団長様にまで言われたが。
「あれくらいじゃヘコたれませんよ!」
笑ってそう返したわたしに「ミスリルちゃんは本当にミスリルって感じだね〜」と苦笑された。
そう、折れない欠けないヘコまない。
ミスリルみたいに打たれ強いのが売りである。
そうして担当の部屋と廊下、応接室を掃除して回り、掃除道具を片付けるために倉庫へ向かう。
倉庫の扉を開けて驚いた。
「あ、アルフリード様」
誰もいないと思っていたら先客がいた。
アルフリード様が振り返る。
「ああ、リルファーデ嬢ですか」
わたしを見て、それからすぐに手元の書類と足元に置かれている箱とを交互に見て、何やら確認している。
そして顔を上げてこちらを見た。
「申し訳ありません、備品の置き場が足りなくて少しの間だけこちらに置かせていただいてもよろしいですか? 明日か明後日には移動させますので」
「ええ、それは構いませんよ」
言いながら、中へ入って掃除道具を片付ける。
床掃除も終わったし、後は窓を拭いて──……。
ふと後ろから視線を感じて振り向けば、アルフリード様がジッとわたしを見ていた。
「……本当につらくありませんか?」
アルフリード様の問いに首を傾げてしまう。
「先日の件もそうですが、紫水に来てからリルファーデ嬢は嫌がらせを受けているでしょう?」
少しだけアルフリード様の眉が下がる。
「ええっと、まあ、はい」
「辞めたいとは思わないんですか? ご家族にも反対されたでしょう?」
「あ」
ぽん、と手を叩く。
「すみません、この間の件は家族にまだ話してません……。というか、伝え忘れました……」
……やばい、後でイシルに物凄く怒られるやつだ。
思わず口に手を当てれば、アルフリード様がキョトンとした顔でわたしを見る。
「伝え忘れた……?」
「ええ、まあ、それくらいわたしにとっては大したことではなかったので。あ、でも、家族にはちゃんと説明の手紙を送っておきます! あとあの日も言いましたけど辞めません!」
「そうですか、それならこちらとしても非常にありがたいです」
わたしの言葉にアルフリード様がそう言い、また手元の書類に目を落とす。
なんとなく、その横顔を眺めた。
イシルディンの「いい人いないの?」という言葉を思い出した。
……いやいや、ないない!
雑巾を握る手を振って考えを追い払う。
……でもアルフリード様っていい人ではあるんだよね。
優しいし、仕事に真面目だし、最近は頑張って自分の研究部屋の整理整頓をしているし、無表情だけどわりと感情豊かな人だと分かる。あと多分押しに弱い。
士団長様や副士団長様にグイグイ来られるとちょっと嫌そうな顔をしながらも強くは出られないようだった。
それから他人に対して一線を引いているところがある。
……わたしとは正反対なクールさんだ。
でも紫水のメイドってだけのわたしを凄く気にかけてくれるし、事件の時も慌てて駆けつけてくれたし、こうして心配してくれる。
不器用な人なのかもしれない。
「痛っ」
そんなことを考えていたからか、手にチクリと痛みが走った。
見てみれば、雑巾に針が刺さっていて、それが手に当たったようだ。
掌は血は出ていないけれど、針がちょっと刺さった部分が小さくぽつりと赤くなっている。
「どうしましたか」
「うわっ?」
ひょいと後ろから覗き込まれてビックリしてしまう。
アルフリード様は背が高いので、小さなわたしだと後ろから簡単に手元が覗けるだろう。
「……針?」
わたしの手元を見たアルフリード様の眉間に皺が寄る。
持っている雑巾と手に持っている針にアルフリード様の目がスッと僅かに細められる。
「こういうことはよくあるのですか?」
どこかヒンヤリした気配に慌てて首を振る。
「いえ、これは初めてです!」
「これは?……では他にはどのようなことをされたのですか?」
「あー……」
ジーッと見つめられて降参する。
「えっと、掃除道具を隠されたり、仲間外れにされていたり。まあ、子供の悪戯程度のことですね」
アルフリード様がわたしの手を見た。
「これは悪戯では済みません」
大きくて細い手がわたしの手に触れた。
わたしよりもヒンヤリして筋張った手が、わたしの手を覆い、針が刺さった傷をそっと指先で撫でた。
「『この者を癒したまえ』」
ふわ、と柔らかな光に一瞬手が包まれる。
それが消えると針の傷はなくなっていた。
「わ、ありがとうございます!」
見上げて、ドキリとする。
思っていたよりも至近距離にアルフリード様の顔があったからだ。
……うっわ、睫毛長い!
肌も綺麗だし、青い瞳は宝石みたいに綺麗だし、顔立ちも整っていて、どこか無機質な人形めいて見える。
うっかり見惚れているとアルフリード様と目が合い、そしてアルフリード様がスッと顔を上げる。
「どういたしまして」
わたしの手から、アルフリード様の手が離れた。
「その針は捨てておきましょう」
手を差し出されて針を渡す。
アルフリード様はそれをローブの腰につけたポーチへ仕舞った。
恐らく、そのポーチも士団長様が使っているような、空間魔法が付与されたものなのだろう。
「そうだ、窓拭き!」
ハッと我へ返る。
あんまりのんびりしていると全部の窓を拭く時間がなくなってしまう。
「それでは、わたしは掃除に戻りますね! 傷を治してくださり、ありがとうございました!」
言って、ドアノブを掴む。
開けようとしたが、ガッと突っかかった。
……この固い感じは……。
「え、また?!」
何度かガチガチとドアノブを動かそうとしてみるものの、やはり全く動かない。
アルフリード様が近付いて来る。
扉に触れて、溜め息をこぼした。
「また状態固定魔法のようですね」
「ええー、アルフリード様もいらっしゃるのに……」
「恐らくあなたが入ったのを見てかけたのでしょう。……私も気付けなかったのはお恥ずかしい限りです」
アルフリード様が扉に手をつけたまま、魔法の詠唱を口にする。
「『汝の魔法よ、時を戻りて正常に動きたまえ』」
扉が光り、アルフリード様がドアノブを掴んだ。
今度は何の抵抗もなく扉が開く。
「アルフリード様がいてくださって良かったです! あのままだと扉を壊すしかありませんでしたし」
さすがにここは四階なので窓を伝って外に出ることは出来ない。
いや、やろうと思えば出来なくもないとは思うけれど、さすがにこの高さから落ちたら身体強化をかけていても多少怪我をするだろう。
アルフリード様が私を見る。
「もしまた閉じ込められた時は遠慮なく扉を壊してくださって構いませんよ。犯人が見つかった時にそちらに請求しますのでご心配なく」
と、言われた。
そういうことなら、とわたしも頷く。
「分かりました」
次からは遠慮なく破壊させてもらおう。
わたしの言葉にアルフリード様も頷いた。
紫水の副団長様の許可も得たので、もし次があったら、その時は身体強化でバキッといこう。
* * * * *
リルファーデ嬢が倉庫を出て行く。
扉が閉まり、足音が遠ざかったのを確認して、はあ、と息が漏れる。
……ちょっと驚いた。
傷を治すために触れたのだが、リルファーデ嬢の手は小柄な体格に相応しく小さかった。
水仕事が多いせいか指先などが少し赤くなっていて、意外と皮膚は硬めで、仕事をしている人間の手である。
それに顔が近かった。
あんなに近付くつもりはなかったのだけれど、顔を上げた彼女との距離は拳二つ分ほどしかなかった。
彼女も僅かに驚いた様子だった。
……感情が表に出難くて良かった……。
そうでなければきっと自分の顔は真っ赤になっていたことだろう。
暗い紫の瞳は近くから見て気付いたが、キラキラと僅かに銀がかっていて、まるで夜になる直前の空のようで綺麗だ。
肌も綺麗だし、ぱっちりした瞳に小さな鼻と口。
全体的にどれも小さいのが庇護欲を誘う。
だけど彼女は守られるだけの女性ではない。
……彼女は強い。
先日の一件で三名の騎士をあっという間に叩きのめしたところからして、リルファーデ嬢の強さは察せられる。
彼女に惹かれている自覚はある。
それはダメだと思う自分と、彼女ならあるいはと思う自分がいて、落ち着かない。
顔に手を当てて俯く。
「……はあ」
こんな気持ちは初めてだ。
以前いた婚約者にさえ、こんな感情は抱かなかったのに。
顔が近付いたあの時、一瞬、このままリルファーデ嬢を抱き締めたいと思ってしまった。
きっと抱き締めたら丁度良い大きさだろう。
小柄な体は簡単に腕の中に囲える。
……あのまま抱き締めていたらどんな反応をしたのかな。
そう考えて、その考えを振り払う。
いきなり抱き着くなんて、あの事件の騎士達と似たようなものではないか。
それに親しいわけでもない貴族のご令嬢を抱き締めるなんてマナー違反である。
親しくたって、そんなのは許されない。
それが許されるのは婚約者か家族だけだ。
……婚約者、か……。
彼女は婚約を破棄されている。
……結婚についてはどう思っているんだろう。
少なくとも、ここで働いている以上はあまり結婚したいとは考えていないのだろう。
知らず知らずのうちに肩が下がる。
公爵家と子爵家は身分に差がありすぎるが、僕は次男だし、絶対に家を継ぐことはない。
だから好きな相手と結婚しようと思えば出来る。
…………。
「……仕事しよう」
頭の中に浮かんだ彼女を振り払う。
僕が相手になれば、きっと彼女は苦労する。
そう分かっているのに、つい、リルファーデ嬢を思い浮かべてしまうのは、やはり彼女に惹かれてしまっているからなのだろうか。
* * * * *
「メルディエル士団長はどう思います?」
士団長室にジョエル=ウェルツのそんな声が響く。
「何が〜?」
問い返しながらも紫水の士団長ナサニエル=メルディエルの視線は手元の書類の文字を追いかけている。
問いかけた側のジョエルも書類を見たまま「あれですよ、あれ」と適当な口調で言う。
「アルフリード殿とリルファーデ嬢の関係。俺としては結構あの二人、気が合いそうな感じがするんですけどね」
それにナサニエルが「ああ」と納得した風に漏らす。
「あの二人ね〜。多分、性格は正反対だけど、だからこそって感じだよね。あのアルフリード君が女の子にあそこまで優しいのは驚いたけど」
これまでのアルフリード=リュディガーは誰に対しても一線を引いており、特に女性にはかなり冷たいと噂になるほどだった。
貴族の女性達からは『氷の貴公子』なんて密かに言われているらしい。
本人がそれを知っているかは不明だが、知っていても、それで行動を改めるような性格でもないだろう。
「でもアルフリード殿、前にリルファーデ嬢について聞いたら『変な子ですね』って言ってましたけどね」
「あの予想出来ないところがいいじゃない。それに魔法士って、そういう変わったものの方が好きでしょ〜?」
「まあ、否定はしませんが」
魔法士というのは変わり者が多い。
基本的に魔法が好きで、その研究が好きで、それ以外はわりとどうでも良くて関心が薄い傾向にある。
興味を引かれるものが少ないのだ。
あのアルフリードが少なからず興味を持った時点で、それまでとは違うのだ。
「だけどアルフリード君もミスリルちゃんも恋愛方面はなかなか進展しない気がするよ〜」
「ああ……」
アルフリードは今まで女性を遠ざけていたし、ミスタリアは明るく元気だが、恋愛面に強そうには見えない。
「でもさアルフリード君となら結婚しても仕事を辞めないでくれそうだから、もしミスリルちゃんが結婚するなら確かにアルフリード君がいいかな。他の魔法士でも悪くないけどね」
ミスタリアが仕事を続けてくれるなら、誰と結婚しても構わないというのがナサニエルの意見である。
ジョエルもそれには頷いた。
「リルファーデ嬢が抜けるのは痛いですからね」
彼女のおかげで士団長室はここ三週間近く綺麗な状態を維持している。
しかも毎日担当の部屋だけでなく、廊下や応接室など共用スペースも掃除してくれるおかげで毎朝気持ち良く出仕出来る。
「こういうのはさ、あんまり下手に僕達がつつくべきじゃないと思うよ〜。流れに任せておくのが一番だって」
ナサニエルの言葉にジョエルも頷いた。
「そうですね」
若い二人だ、なるようになるだろう。
そうしてシンと静まり返る。
ペンの走る音や判を押す音だけが響く。
足音が近付いて来て、扉が叩かれた。
「どうぞ〜」
ナサニエルの言葉に扉が開いた。
「ただ今戻りました」
「お帰り〜、アルフリード君」
噂をすれば何とやら、とジョエルは思う。
「時間かかってたね〜」
「ええ、気付いたら倉庫に閉じ込められておりまして。恐らくリルファーデ嬢関係でしょうが」
「また〜?」
そこでようやく、ナサニエルとジョエルが顔を上げた。
そして、無表情だが、どこか怒っている様子のアルフリードに気付いて顔を見合わせた。
彼がここまで怒っている姿は初めてだった。
* * * * *
 




