問題?(2)
あの箱が届いた一件から、一週間経った。
でも嫌がらせはまだ続いている。
箱の件もあり、さすがに部屋の扉のあれも嫌がらせなのだろうなと理解したが、いまだに部屋の扉は固まったままである。
自室の掃除は各自で行うので、わたし以外、扉を開けるものもおらず、他の人は気付いていない。
その部屋の主のわたしも窓から出入りしていて、それが案外不便ではなくて、そのままの状態だ。
扉は恐らく魔法で固定されているのだと思う。
隙間に接着剤がついている様子がないので、多分、状態固定魔法で動かないようにされているのだろう。
わたしは今のところ、排水管を伝って建物の外壁を上り下りしている。
最近はもうこれに慣れてしまった。
身体強化をかけて行うから疲れることもない。
そして、それ以外にも嫌がらせはある。
あれから数日後にまた箱が送られて来たのだ。
その時は士団長様と副士団長様が会議に出られていたので、アルフリード様に呼ばれて、二人で庭先で箱を開けた。
中身は死んだ鼠だった。
こっそり、庭の花壇の根本に埋めた。
「……大丈夫ですか?」
アルフリード様は心配してくれた。
「わたしは大丈夫ですけど、鼠には可哀想なことをしてしまいました」
「やったのはリルファーデ嬢ではありません。あなたが気に病む必要はないですよ」
鼠はいても困るが、だからと言ってこんな風に殺して嫌がらせに使うのは間違ってると思う。
鼠を埋めたところに小さく手を合わせた。
両親が亡くなった日のことを思い出して、少し悲しかったが、わたしは笑って誤魔化した。
「そうですね! 悪いのはこんなことをする人です! 鼠に恨まれないといいですけど」
笑ったわたしにアルフリード様が僅かに目を細めた。
「恨むとしたら犯人に対してでしょう」
それ以降は箱が届くことがなくて、ホッとしているのは秘密である。
他にも、仕事中にバケツの水を入れ替えようと井戸へ向かったら上から蛇が降ってきたこともあった。
頭にぶつかり、肩から何かがずり落ちる。
足元に落ちたそれが蛇だったのだ。
「やだ、蛇?!」
思わずバケツを下ろしてしまう。
「可愛い〜!!」
蛇も何故自分が飛んだのか分からない様子でいる。
しかし、このまま道に放置しておくわけにはいかないので蛇の頭を捕まえる。
手に巻きつこうとする細長い体の尻尾側を掴む。
蛇のひんやりとした感触が心地好い。
でも小さな蛇なので、あまり長時間持っていると人間の高い体温のせいで火傷してしまうかもしれないから、急いで花壇の隙間へ放つ。
「ほら、気を付けてね」
蛇はスルスルと花壇の隙間に消えていった。
他にも頭上から水が降ってきたこともあった。
やっぱり、井戸に向かって出たところで、頭上からバシャァアッとバケツをひっくり返したように水を浴びてしまった。
とりあえず持っていたものを乾いている地面に下ろし、濡れた服を絞っていたら、紫水の魔法士の人が慌てた様子で建物から出て来た。
どうやらわたしが水を被る瞬間を目撃したらしい。
「なんてことを……!」
と怒って、魔法で服を乾かしてくれた。
目撃した人によるとわたしの頭上に突然大きな水の玉が現れて、それがわたしに降りかかったそうだ。
「あれは水魔法のウォーターだと思います。絶対、嫌がらせですよ。女性に水をかけるなんて酷いことをするな……」
乾かしてくれた魔法士の人はそう言っていた。
でも水魔法の水ならまあいいかと思う。
別に汚れていない、乾かしてもらえたし。
「ただの水ならいいですよ。別にお化粧もしていませんし、こうして乾かしてもらえたから仕事も困りませんし、掃除して暑かったので丁度涼しくなって良かったかもしれません」
「そんなことを言うのはあなたくらいですよ」
魔法士の人にはちょっと呆れた顔をされた。
ちなみにこのことは報告があったみたいで、翌日の昼食の席で士団長様達にも「大丈夫だった?」と心配された。
「王城で働くと色んな経験が出来て面白いですね!」
「普通はそんな経験しません」
慌てて大丈夫だという意味を込めて言えば、アルフリード様にツッコミを入れられてしまった。
「うーん、でも何でこんなに嫌われてるんでしょう? あ、まさかわたし、気付かないところでとんでもない失敗を連発してるとか?! 他の人にご迷惑をおかけして嫌われてる?!」
わたしはあんまり頭が良くない。
だから、失敗しても気付かないこともありそうだ。
我ながらそれに関してはちょっと自信がない。
「え〜? ミスリルちゃんのことで苦情とか失敗とか、上がってきてないけどな〜。仕事もしっかりやってくれてるし、紫水の魔法士とも仲良くやれてるみたいだし、問題はないと思うよ〜?」
士団長様がそうフォローしてくれた。
「そう言っていただけると嬉しいですっ」
褒めてもらえるのはとっても嬉しい。
同僚達と仲良く出来ないのは残念だけれど、人にも相性というものがあって、合う合わないということもあるし、これといった理由がなくても嫌われることもある。
……わたしが悪いところがあるなら、直すんだけどなあ。
訊きたいけれど、話しかけても無視されてしまう。
下手すれば近付くことすら出来ない。
基本的にとにかく避けられるのだ。
「他に困っていることはないかい?」
「何かあれば言ってください」
副士団長様とアルフリード様が言う。
「ミスリルちゃんには長く働いて欲しいから、困ったことがあったら一人で悩まないで言うんだよ〜?」
と、士団長様にまで言われた。
……困ってること……。
「あ、それならわたしの部屋の扉を開けていただいてもいいですか? 多分、魔法で固定されてるみたいで、ビクともしないんですよ」
「え、部屋の扉? どうやって出て来たの?」
「もちろん窓からです!」
副師団長様の問いに親指を立てて答える。
アルフリード様が微妙な顔をする。
「窓から?」
「はい、だって身体強化を使ったらドアを壊してしまいますし、そのままだと仕事に行けないので、窓から、こう、排水管を伝って上り下りしてます!」
排水管を下りる時の仕草をして見せる。
アルフリード様が眉を寄せた。
「……排水管って、リルファーデ嬢、部屋は何階にあるのですか?」
「二階です! 身体強化してるので、もし落ちても怪我はしません!」
「そういう問題ではありません」
アルフリード様にざっくり切り返される。
士団長様に問われる。
「一応訊くけど、それっていつから?」
「えっと、一週間くらい前だと思います?」
「……その間、ずっと窓から出入りしてるの?」
「してますね。最近は慣れてきて、上り下りする時間も段々かからなくなってきました!」
最初は十分くらいかかっていたが、今日なんて五分もかからずに下りられるようになっていて、自分の成長がちょっと嬉しかったくらいだ。
「ミスリルちゃん」と名前を呼ばれる。
「食事が終わったら、一度部屋に行こうか」
士団長様は凄くいい笑顔だった。
食後にわたしは士団長様達と使用人棟へ行った。
本来は関係者以外、しかも女性使用人の部屋のある二階に男性は立ち入り禁止なのだけれど、事情を説明したらイリーナ様立ち会いの下で許可が出た。
わたしが自分の部屋の前まで案内する。
「ここがわたしの部屋です」
師団長様、副士団長様、アルフリード様、イリーナ様の四人の前で扉のドアノブを掴んで、動かす。
が、ドアノブはやはりビクともしない。
「ちょっと失礼」
副士団長様が扉に触れ、ドアノブを掴んで試し、そして他の人に頷き返した。
士団長様が扉に触れてから顔を顰めた。
「扉が閉まった形で状態固定されてるね」
やっぱり、と思った。
「これくらいならすぐに解除出来るよ〜」
「それじゃあ、わたしは一度中に戻って鍵を開けますね。魔法を解いていただいても鍵はかかったままなので」
一旦外に出るために一歩踏み出せば、イリーナ様に「お待ちなさい」と声をかけられた。
「どこから入るつもりですか? それに、この状態であなた、どこから出て来たのですか? ……まさか……」
「ええっと、はい、窓から出入りしてます」
「ああ……」
イリーナ様が額に手を当てた。
「そういえば、あなたの階下の部屋に住む使用人から最近朝になると壁からゴソゴソと音が聞こえると苦情があったのですが……」
「あ、すみません、それは多分わたしです。排水管を伝って上り下りしていたんですけど、壁に爪先が当たるので音が響いてしまったんだと思います」
イリーナ様が絶句した様子でわたしを見る。
……まあ、これでもわたし、貴族だからね。
まさか貴族のご令嬢が建物の外壁を上り下りするとは普通は考えないだろう。
「……こういうことは早く言いなさい」
色々な感情を飲み込んで、抑揚のないイリーナ様の声に申し訳なく感じる。
「はい、申し訳ありません」
「ええ、いえ、あなたが悪いわけではないのでしょう。ですが窓から出入りするのは警備の面でも問題があるのでやめなさい」
「はい」
はあ、とイリーナ様が小さく息を吐く。
この間に士団長様が扉にかかっていた状態固定を解いてくれて、イリーナ様に「鍵で開けなさい」と怒られて、そこでやっと鍵の存在を思い出してそれを使った。
今度はドアノブもきちんと動くし、扉も開いた。
「わ、開きました! やっぱり扉から入ると帰ってきたという感じがしますね!」
一週間ぶりに扉を使って部屋に入れたことについ興奮してしてしまい、四人に何とも言えない顔をされてしまった。
でも扉の件については助かった。
今日までは大丈夫だったが、天気の悪い時は窓から出入りすると濡れてしまう。
それに、これで朝早く出る必要もなくなった。
* * * * *
「あなたがミスタリア=リルファーデ子爵令嬢?」
久しぶりに手に入れたモップで床掃除をしていたら、後ろからそう声をかけられた。
「はい?」
振り返れば、見たことのない人が立っていた。
服装はわたしと似たようなメイド用のお仕着せだけれど、差し色がなく、シンプルな黒いワンピースにフリルのある白いエプロンドレス姿で、頭にはヘッドドレスがつけてある。
髪の色は金髪で、瞳も金色で、顔立ちは結構可愛らしい感じだった。
年齢は恐らく同じくらいだろうか。
そのメイドはジロジロとわたしを見て鼻で笑った。
「ちょっとついて来なさい」
名乗りもなく、そう言うと彼女が背を向けて歩き出す。
わたしはそれに目を瞬かせた。
……行く必要あるのかな?
お仕着せに差し色がないということは宮廷魔法士団で働く人ではなく、多分、王城のメイドだ。
同僚でもなければ知り合いでもない。
それに名乗りもしない人に一方的について来いと言われて、そうホイホイとついて行く者がいるだろうか。
そんなことを考えている間に彼女は角へ消えてしまった。
しばしその角を眺め、考え、掃除を再開した。
……なんか嫌な予感がするから行かない方が良さそう。
モップで床を拭く作業に戻る。
少し経ってから苛立ったようなカツカツという足音が戻ってきて、肩を掴まれた。
「ちょっと! 何でついて来ないのよ!?」
掴まれたまま振り返ると怒った顔と目が合った。
「知らない人について行かないように言われているので」
「っ、良いから来なさいよ!」
グイ、と手を引っ張られる。
そうしてモップを持ったまま、紫水の区画を出て、人気のない建物の裏庭まで連れて来られた。
そこは丁度周りを背の高い植物に覆われていて、周りから見え難い、目立たない場所だった。
数名の先客がいた。
先客には二種類いて、わたしを引っ張って連れて来た人と同じメイドのお仕着せを身に纏った女の子達と、騎士らしき格好の男性達。
どちらもわたしが来るとニヤ、と笑った。
「あなたがミスタリア=リルファーデ? 話で聞いていたよりもずっと地味ね。それに小さいし、痩せていてとっても貧相だわ」
なんだか一番派手な女の子がそう言った。
それにクスクスと他の人達が笑っている。
……もしかしてこれって呼び出し?
あの、イジメでよくありがちな、呼び出されて複数人に罵倒されたり暴力を振るわれたりするアレなのだろうか。
……うわあ、本当にする人がいるんだ……!
こういうのは物語の中だけの話だと思っていたので、ある種の感動を覚えてしまう。
その間にも「美人じゃない」とか「化粧もしてないなんて女じゃない」とか色々と言われたが、全く気にならなかった。
だって、見目の良い貴族の基準で言えばわたしはそれほど美人ではないし、掃除で汚れるし汗も掻くからお化粧もしていないのだ。
お化粧に関しては自分でするのが面倒臭いというのも理由ではあるが。
美人ではないが、不細工というほどでもない顔なので見苦しさはないと思う。
「あなた、私達の話を聞いてるの?!」
多分、反応の薄いわたしに気付いたのか派手な女の子が怒った様子で聞いてくる。
「すみません、何のお話ですか?」
「だから、紫水のメイドを辞めなさいと言ってるのよ! あなたみたいなのがあそこで働くなんて相応しくないわ。それにきっと紫水の皆様もあなたなんかに纏わりつかれて不愉快に思っていらっしゃるでしょうから、忠告してあげてるのよ」
「はあ……? えっと、紫水の皆さんがわたしを嫌いだと思ってるなら、すぐに辞めさせると思うんですけど……」
思わずそう返せば派手な女の子が片手を振り上げた。
わたしの頬を叩くつもりで振り下ろされたそれだが、つい、掴んで止めてしまった。
あんまりにも遅い動きだったので掴むのは簡単だった。
「なっ、は、離しなさい!!」
軽く掴んでいただけなのですぐに手を離す。
派手な女の子が顔を赤くして、騎士らしき服を着た人達へ振り返った。
「この子に身の程を弁えさせてくださいませ!」
それまでニヤニヤと笑っていた三人の男性が近付いて来る。
「悪いな、リルファーデ嬢に恨みはないんだが」
「ご令嬢達を敵に回したのが運の尽きさ」
「恨むなら自分の行動を恨むんだな」
それぞれが、そんなことを言いながらわたしの側に立ち、見下ろしてくる。
全員わたしよりも随分と背が高い。
そして一人がわたしの腕を掴んだ。
その瞬間、わたしは全身に魔力を巡らせた。




