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ルート、エル4


 審判とはなにをするのだろう。

 免許は返してもらったし、彼女の縁も切ろうと思えば切れる段階ではある。

 今時の若者にしては珍しく、エリーはスマホを持たず、アパートには電話が引いてなかった。連絡先を交換していないので、今日のことを忘れて日常に戻れば、それだけでエリーが公平の前に姿を表すことはないだろう。

 近所とはいえ、自宅と学校を往復するだけの公平にエリーとの接点はない。

 にもかかわらず、

「ご飯、作りに来ぃよ」

 とエリーは言うのだ。

「なんでや」

 カチと、引いたばかりのガスを一口コンロで点火して「おおー」と青い炎を見つめながら、エリーは白い歯を見せて笑った。

「折角ガスが通じたんや。それに、あんた、料理つくるの得意やろ。アタシは苦手なんや。他に理由がいるか?」

 いると思うが、言ったところで聞きそうになかった。


 公平は市内にある料理の専門学校に通っている。そんなこと一言も漏らしていないが、エリーはさも当然のように台所用品をシンクの下にしまう様を公平に見せつけている。

「しっかり覚えとけよ。包丁はここ。鍋はこっちや」

 自分は調理場に立つ気は一切ないらしい。自己中心的なやつだな、と公平は呆れた。

「さて」

 じっと、公平を見つめて、エリーは自らの下腹部を押さえた。

「お腹すいたな。もう昼過ぎやん」

「なんもないやろ」

「今日は外食やな。この辺りに美味しい食べ物やさんあるんか? おごるから案内してな」

「しゃあないな」

 なんて会話をした瞬間、お腹の虫が同時に鳴き出すもんだから、二人はたまらず吹き出してしまった。


 それから、暇を見つけては、公平はエリーの家へ通った。二年の間、どう過ごすか、いま悩んでも仕方がない。

 彼女はいつも仏頂面で窓辺に腰掛け、本を読んでいたが、公平が夕御飯を食卓に並べた時だけは笑顔で「いただきます」というので、憎むことはできなかった。

 エリーは随分と変わった女の子だった。

 初めて会ったときに感じた傲岸不遜という印象は、いつしか臆病者に変化した。内弁慶という言葉がよく似合っていた。初対面の時は無理してたのかな、なんてしばらく付き合ってみて思った。

 今年十九になるエリーは一般的に備えているだろう知識をまったく持っていなかった。世間知らずというやつだ。電気もガスも水道も手配をしなければ手にはいることを知らなかったし、巷で流行っている漫画やアニメやテレビ番組など、世俗的なことは「なんやの、それ」と首を捻るばかりだった。

「知らん星からきたやつみたいやなぁ」

 と公平がふざけて言うと、

「せやねん。エリー星や」

 とつまらない返しをして、自分の冗談にケラケラ笑った。


 少女はほとんど外出を許されることなく、過ごしてきたのだという。

 小中とまともに通わず、読み書きは本で覚えた。二十一世紀の話とは思えなかったので、色々と話を深掘りして聞くと、彼女の生家には座敷牢があるらしい。

「オイタをすると閉じ込められた」と彼女は笑ったが、正気の沙汰とは思えなかった。

 私宅監置の名残かと思ったが、生神となった憑き者を閉じ込めるために利用されていたものと説明してくれた。

 栄華を極めた柳沼家だったが、三代前の生神が逃げたことで没落し、田舎の一良家に落ち着いていた。エリーの父親に至っては、呪いに懐疑的であるものの厄介なものと認識しており、エリーのもとに通うことはほとんどしなかった。

 もともと柳沼は女系一族であり、エリーの父親もはじめは婿として柳沼家に迎え入れられたが、あっさりと見限られたとエリーは語った。彼女の母親は祖母と共にエリーを育てたが、心労がたたったためか、少女が物心つく前に亡くなったらしい。

「男はな、卑怯やと、ばあちゃんはよういっとった」

「男の僕にする話やないな」

 公平の作った鯛のあら汁をすすりながら、エリーは呟いた。

「でもまあ、うまいご飯が作れるあんたはまだましな方やろうなぁ……」

「そんなもん、いくらでもおるやろ」

 はじめは面倒くさいと思っていたが、エリーの家に行き、料理の腕をふるうのが、いつしか日課になっていた。

 なんとなくで調理の専門学校に進んだものの、やっているうちにこの道で生きていくのも悪くないと思い始めたところだ。

 外食のアルバイトでスキルを高めてはいたが、厨房に立っていては、作ったものの評価がわからないことが不満だった。その点、エリーの夕飯作りはやりがいという面においては、十分なものだった。材料費も出してくれるし、なにより自分自身の腹も満ちた。

「あんたは天才やな」

 普段は毒舌のエリーも、料理だけは素直に誉めてくれた。

「運転手兼料理人や」


 毎週末、エリーは遠くに行きたがった。

 結局売るのはやめにして、アパート近くの月極め駐車場に停めてある軽トラで、彼らはよくドライブに出掛けた。

 百均で買ったクッションを敷いて、シートの固さを和らげたエリーは上機嫌にカーラジオから流れる音楽にハミングした。最近音楽に興味があるらしい。

 目的地はいつもバラバラだったが、橋を渡って本州に行くことは無かった。

 なんでも本州は「シャコウ様」の管轄外らしく、少しでも出てしまうと見限られてしまう、とのことだ。

 滝とか川とか吊り橋とか漁港とか、本州以外は全部行ったが、ドライブの帰り道にいつもエリーは不機嫌になった。

「遊園地とかおしゃれな喫茶店とか、ほんとはそーゆーとこにいきたいねん」

 田舎の良さには飽きているらしい。

 旅先の費用はすべてエリーがもった。

「ただで楽しませてもらって悪いなぁ」

「ご飯代や。気にせんとき」

 お金で困ることは無さそうだった。


 街灯が少なく、空気もすんでいる。田舎で暮らす彼らの日常は都会で生きる若者の生活とはかけ離れていただろう。

 ある秋の晩、エリーはトラックの荷台に寝そべって、星を見たがった。寒いからよせというのに、彼女は聞かなかった。仕方がないので、毛布を羽織り、並んで夜空を見上げた。都会の人なら、「信じられない」と言って驚くぐらいの星空が広がっていたが、この県で生まれ育った公平に取ってみたらそれはただの日常風景だった。隣のエリーも、都会に行ったことがないし、同じ気持ちだろうと思い、横を見る。真っ暗闇が広がるだけで彼女の表情は窺うことができなかったが、微かに鼻をすする音がした。

「寒いんか?」

 毛布を引っ張って、彼女の肩にかけてあげる。

「ちゃうねん」

 かすれ声で彼女は呟くように言った。

「ずっと、家ん中で、一生を終えるもんやと思っとったから、嬉しゅうてな」

 その日、彼らはエリーの生家に、荷物を取りに行っていた。地下室の座敷牢を見つけて、「あれは本当だったのか」と驚いたあとだった。所々、はげた畳のイグサは、爪で引っ掻いたあとだった、

「星に願いを託せるなら、あんたはなんて頼む?」

「僕? そうやなぁ。平穏無事に過ごせればそれでええかな」

「なんやつまらん男やのう。もっと面白おかしく生きてみようとは思わんのかい」

「うるさいのう。そういうエリーはなに願うんや」

「決まっとる。時間が止まることを祈るんや」

 エリーは未来の話が嫌いだった。将来を考えることもしなかった。問題を先送りにして、ただ迫り来る終わりから目を背けていた。

(でも、人間なんてみんなそんなもんやろう)

 エリーは目を閉じて、公平の鼓動に耳を澄ました。

 星がなくなった代わりに命の音がした。

 公平は専門学校を出たら、本州のどこかに働きに出るつもりだと言っていた。ほんとはそれについていきたかった。素直な気持ちを吐き出したら、公平はなんて応えてくれるだろうか。

 未来がみえても、人の心は読めない。運命の微細な動きを見ることはできない。大雑把にその先を把握することしか、エリーには出来なかった。


 家から出ないとき、彼らはよく映画を観た。

 エリーはホラー映画を怖がったが、それでも興味はあるらしく公平の後ろに隠れながら、よくそれを眺めていた。

 恋愛もミステリーもサスペンスも青春も、フィクションの中には望むもの全てがつまっていた。

 そのなかで、彼女が一番好きなのはエスエフだった。

 特にお気に入りなのが、時間跳躍をテーマにした洋画で、ウィルス散布を未然に防ぐため奮闘する主人公が、過去に行き、自分を犠牲にして、凄惨な未来を変えようとするというストーリーだった。

 なにが琴線に触れたのかわからないが、エリーはよくそのテーマソングをハミングした。

 公平はハンドルを握りながら、それに耳をすませる。よくわからないが、幸せな気持ちになった。


 彼らが出会って二年の時が過ぎようとしていた。



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