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ルート、エル 2



 身分証明書としてしか機能していない運転免許証ではあるが、ないと不便なのは確かである。仕方がないので、翌日、指定された時間に市役所の前にいくと、仏頂面したエリーが仁王立ちで待っていた。

「遅い! なにしてんの!」

「時間通りやないか」

「五分前行動や。まあええわ。ほら、行くで」

「どこによ。ええからさっさと免許を返し」

「ついてきたら返したる。なんやその(つら)

 公平のしかめっ面に、エリーは「返すとは言ったけど、いつとは言うてへんやろ」と目をそらした。

 ここまで来て、逆らうのも億劫だ。おとなしく華奢な少女のあとに続くと、駅に向かって歩いていることに気がついた。街路樹は葉をすべて落とし、歩道に茶色い絨毯を描いている。

「どこに行くんだよ」と聞いても返事はない。改札を潜り、駅のホームに立っても目的地についての詳細は明らかにされなかった。買った切符は三駅先のものだったが、電車が来るのは十五分後だ。

「あんな、僕、そんな暇やないんやけど……」

 少女は無言でじっと公平を睨み付けた。紅茶色した瞳が細くなる。嘘を見透かしているようだった。電車賃は払ってもらったものの、そろそろ理由がほしい、とため息をついたところ、エリーはようやく口を開いた。

「引っ越し作業を手伝ってほしいねん。男手がないとどうもな、作業が捗らん」

「引っ越し? 君の?」

 小さく顎を引き、彼女は続けた。

「こないだ、バアちゃんが死んでな。享年八十七歳。脳溢血やった」

 ホームに電車到着を知らせるアナウンスが響き渡った。他に人はいない。二人きりの時間が気まずく過ぎていく。

 白線の内側まで下がるようにチャイム響き、数秒あとに電車の警笛の音がした。

「今いる家を出なあかんねん」

 二両編成の電車がホームに滑り込んでくる。エリーの長い髪が、冷たい風にまきあがる。

 電車が制止し、ドアが開く。暖房の熱気が二人を冬から救いだしてくれるようだった。他に乗客はいなかった。座席に並んで座り、公平は「大変やな」と小さく呟いた。

「ほんまに」

 エリーはまたため息をつく。

「役所の人が施設に行くどうか選べ言うんやけど、他人となんて仲良うできんから、独り暮らしすることにしたんや」

「他に頼れる親戚はおらんの?」

「お父ちゃんがおるけど、アタシには不干渉や。まあ、ええねん。一人で暮らしてけるだけの器量がアタシにはあるからな」

「そんなん言うたって、まだキミ子供やろ。どうやったって不都合はでる。学校は?」

 尋ねると彼女は人差し指をたてて、自分の瞳を指差した。

「未来が視えんねんで。無敵やろ。なんもせんでも暮らしていくことぐらい余裕や」

「昨日からずっと考えてるんやけど、その予知できるっつうのは、ほんまなんか?」

「まだ疑ってんか。肝っ玉の小さい男やな。昨日証拠みせてやったやないか」

「だって未来予知ができるならいくらでも金持ちになれるやろ。なのに、移動手段が電車ってなんなん?」

「アホやな。いくらでも金を稼げるんやから、ひとまず生きてけるだけあれば十分やろ。下手に貯蓄あると無駄なトラブルを引き起こすだけやん」

「むぅ、確かになぁ」

 妙に説得力のある発言だ。公平は腕をくんで頷いた。それを鼻で笑ってからエリーは続けた。

「まあ、あんたの言うとおり、電車で移動っつうのも面倒やと思い始めたところや」

 車窓を流れる豊かな緑は、所々色づき、赤や黄色に染まっている。エリーはシートの手触りを楽しみながら、鼻唄を歌っていた。

「タクシーでも使うんか?」

「あんたや」

「は?」

「あんたがアタシのお抱え運転手や」

 にたりと笑みを浮かべる。

「何言ってんの。免許持ってても僕はペーパーやぞ」

「ペーパーはこわいな」

「やろ? それにそんなんこっちからお断りや」

「ちゃんと練習せいよ」


 電車が目的の駅に到着した。

 駅につくまでの間、説得を繰り返したが、聞く耳を持ってくれなかった。

 そのまま十五分ほど、田園風景を歩き、やがて一軒の日本家屋が見えてきた。



「立派な家やな」

 木製の門には枯れた蔦がはっており、飛び石は苔むしていたが、冬枯れた庭は広く、かなりの敷地面積を持っているのは確かだった。

「古いだけや。荷物の整理もすんどる。こないだ買い手が見つかってな。も少ししたら、児童養護施設の団体になるんや。ほれ、あんたはこっち」

 エリーに案内されて家の裏手に回り込むと、納屋の近くに一台の軽トラが止まっていた。灯油と木材の臭いが鼻孔をくすぐる。荷台には段ボールが四箱積んであった。

「役人に頼んで積んどいたんや」

「おい、まさか、僕に運転しい言うんか?」

「察しがええの。ほら、鍵」

「嫌や言うとるやろ」

「命の恩人に対してずいぶん偉そうな口を聞くんやな」

「ペーパーや言うとるやろ。救われた命を無駄にはできん」

「大丈夫や。安心せい。ちゃんと気ぃつければ、事故ることはない」

 至極当たり前のことを言って、エリーは車の鍵を無理やり公平に握らせた。黒ずんだ猫のキーホルダーがついている。鍵穴に差し込んで捻るとガチンと音がして、助手席のロックも解除された。しぶしぶ運転席に座り、大きく息を吸って吐く。

 軽トラはエリーの祖母が野良仕事をするときに利用していた物だったのだという。祖母がなくなり、隣のおじさんに五万で譲ったとのことだが、それほどの価値があるとは公平には思えなかった。なんせ、動いているのが奇跡のような状態だ。久しぶりの運転が軽トラで、しかも一昔前の型なんて、怖すぎる。

 カーラジオからは古い邦楽が流れていた。退屈そうに流れる車窓に目をやるエリーを見て、公平はなぜいま自分がここにいるのか改めて疑問に思った。

 エリーの口頭のナビにしたがい、長閑な田園風景を走り抜けると、車はやがて、 市街地のボロボロのアパートの前に着いた。家賃は四万円。ここが彼女の新しい住み家らしい。木造で、オートロックもない若い女の子が暮らすにはすこし不安になるセキュリティだ。

 車を近くの駐車場に停めて「ついたぞ」とギアをパーキングにすると、「荷物、おろしてぇな」と助手席のエリーに不機嫌に告げられた。シートが固く、おしりが痛くなったと信号待ちの度に騒いでいたので、原因はそれだろう。

 なんでそこまでと思いつつもお人好しの公平は段ボールを持って、彼女の新居にそれを運ぶ。

「お疲れさん。お茶でも飲んでき」

 数回往復し、すべての荷物が運び終わって、エリーは公平を自宅に招いた。腕がパンパンだ。額に滲む汗を袖口で拭う。冬だというのに体が火照っていた。ようやく解放されるとほっと一息 ついたところ、

「おっとー、コンロがまだ設置されてへんみたいやなぁ。困ったなぁ、これじゃお茶を淹れられへん」

 白々しくにらまれる。溜め息をつきながら、一口コンロとガス栓をガスホースで結ぶ。

「おおきにぃ」

 エリーはにやにやしながら、つまみを捻ったが、シューと音がするだけで、火がつくことはなかった。

「ん? 壊れてんのか」

 カチカチと何度もつまみを捻るが点火することはない。

「ガス通ってん?」

「なんやの、それ」

「……正気かよ」

 スマホで調べて、ガス屋を手配する。それどころか、電気も水道も通っていなかったので、同じように手配した。

「ガスだけは立ち会いが必要や」

 携帯を耳からはずし、エリーに教えて上げる。


「どんくらいで来るん?」

「あと一時間後くらい言うてたな。飛び込みで仕事入れんのは迷惑やから缶コーヒーでもあげ」

「ふーん。しゃあないな」

 エリーは浅く溜め息をついて、開けたばかりの段ボールからクッションを取り出すと、床に二つ並べた。

「ほなら、待つか」

「僕は帰るよ」

 幸いにして、この辺りの地理はわかる。自宅から歩いて十五分ほどの位置である。

 トラックはもともと彼女の持ち物だし、これ以上つきあう義理はない。免許証は軽トラを運転する前に返して貰ったし、長居をする理由もない。

「若い女の子の家に見ず知らずの他人が上がり込むんや。心配にならんのかい」

「それ言うたら、僕かて見ず知らずの他人やないか」

「あんたは平気や」

「根拠がようわからん。僕もこう見えても若い男子やぞ」

 エリーは上目遣いでじっと見てきた。

「あんたの言いたいことはよぅくわかる。アタシはたしかにかわいい」

「そーゆーことやなくてやな」

「ちょいと、座り」

「なんやねん」

 しぶしぶ腰をその場におろすと、エリーはなんにも質問をしていないのに語り始めた。

「そうやな。まだ自己紹介もしてへんかったなぁ。そりゃ、たしかに警戒もするわ」

「別にいらんわ」

「アタシの名前は柳沼絵里。エリーと呼んでな。十八歳で仕事はしとらん」

 名義登録で名前だけは教えてもらっていたが、無職だとは思わなかった。ちゃんと光熱費払っていけるのだろうかと心配になる。

 公平はまだ彼女の未来予知能力を完全に信じたわけではなかった。

 エリは東京で働く父親が名付け親らしい。名付け親の父親が嫌いらしいので、普通に呼ばれるのを彼女は嫌がった。伸ばし棒が入ったぐらいではなにも変わらないとひそかに思いつつ、

「自己紹介なんぞ、いらん言うとるやろ。一期一会や。このドアを出たら、もう忘れるから」

「話は最後まで聞き」

 これ見よがしに溜め息をついたが、エリーには通じないようだった。まったく気にした様子もなく彼女はじっと公平を見据えた。

「あんたにアタシの事情を話すんのは、手伝ってほしいんからや」

「手伝うってなにを。さすがに荷ほどきくらいは自分でせいよ」

「それもやけど、それだけやない。このままやとアタシは二年後に死ぬ、そういう運命や」

「は?」

「アタシを死から救ってほしいんや」




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