十三話:開戦前日
一瞬か、数秒か――あるいは数分は経ったのか。
ファフミルの熱を帯びた、湿り気のある柔らかな唇がゆっくりと離れていく。
「……ご主人様のためにとっておいた、ボクの初めてです」
潤んだ瞳でそんなことを言われ、これが男冥利に尽きるというヤツなのか……と思う反面、キスしている時も、今も――視線はずっとメリシアのことを捉えていた。
「ごめん」
反射的に口から出た言葉は誰に対してのものだったのか。
ファフミルほどの美女から不意にキスされるなど、普通なら失神するほど喜んでも良さそうな出来事だが、思考は謎の焦燥に駆られていた。
「誘ってくれて嬉しいけど、今日は一人で寝るから……おやすみ」
「……お、おやすみなさい」
「おやすみなさいませ……ご主人様……」
「ソウタ……?」
驚いたような、困ったような表情を浮かべて固まるメリシアから視線を逸らし、逃げるようにその場を後にする。
自分の気持ちが分からない。
女の子のほうからキスをするなど、相当の勇気と覚悟が無ければできない行為のはずだ。
それが分かっていて、なぜあんな失礼な態度をとってしまったのか。
「――ああ、そっか」
よくよく考えてみると、キスしている時からずっと感じていたこの焦燥感の正体に気が付いた。
「メリシアに見られたからか」
♦
貧者の洞窟から戻ってから三週間が過ぎた。
三人とも、あれから何事も無かったかのように――深く考えないように――日々を過ごしている。
ファフミルとセルフィは、帝都全体に魔術障壁を巡らせるため交互に陣頭指揮を執っており、何やら忙しそうだ。
メリシアと俺は、日常の業務と並行して対ディブロダール戦の準備や、空いた時間に剣の訓練を行っている。
「とにかく、弱点の魔術を克服するのが不可能なのであれば、ディブロダールが動き出すギリギリまでそれ以外の部分を鍛えておくしかあるまい」
「そうだな……結局、グエンも神器の力については何も知らなかったわけだし、もうこの腕輪は無いものとして万全の態勢を整えておこう――」
「ソウタ、危険」
ギキンッ!
「うおっ!?」
セルフィに掛けられた言葉の意味が一瞬理解できず、結果、メリシアの剣がグリフェルをすり抜けるようにして俺の喉元へと突きつけられた。
「ま、まいった」
「地稽古の最中におしゃべりは良くありませんでしたね」
「気をつけるよ……」
「これで通算三勝七十一敗だな。さて、執務の続きだ」
「いや、今回の敗北に関していえば、おっさんが話しかけてきたのが原因だからな?」
「己の実力不足を認めぬうちは、いつまで経っても上達せぬぞ」
責任転嫁も甚だしい言い分にイラっとくるも、負けたのは事実なので言い返さないでおく。
執務室へと戻って書類との格闘を再開していると、扉がノックされた。
「陛下、ギリゴスモでございます」
直接ここへ来るなんて珍しいな、また急ぎの要件か?
「入っていいぞ」
「失礼いたします」
衛兵によって扉が開かれ、鎧を着込んだギリゴスモが入ってくる。
「物見より、ディブロダールに動きアリとの報告が入りました」
「……来たか」
早くて三週間くらいで攻めてくるというセルフィの予想が当たってしまった。
ディブロダールからここまで、歩兵を伴って普通に歩いてくるなら一カ月前後はかかるが、恐らくは転移してくるのだろう。
しかし、五万人以上の魔術師を一気に転移させるのはさすがに無理……というのがセルフィやトルキダスの予想で、現実的には、数百人ずつに分けて送ってくることになるらしい。
そうなると、帝都から多少離れた場所へ転移させて隊列を整え、そこからここまでは徒歩で進軍する必要がでてくる。
「では、予定通りに迎撃の準備だ。前もって出しておいた命令通りに動くよう各所へ伝えてくれ」
「はっ」
こちらの軍を編成し終わるのにも一日はかかるのを考えると……ディブロダールの初動の早さ次第だが、余裕はほぼないと見たほうがいいだろう。
「じゃあおっさん、頼んだぞ」
「軍は任せておけ。お主はセルフィとファフミルとメリシアと共に王宮に待機だからな。ではギリゴスモよ。行くぞ」
「はっ、将軍!」
おっさんがギリゴスモと共に足早に部屋から出ていく。
「セルフィ、ファフミルと連絡取れるか?」
「回答、既にこちらへ向かっている」
「お? ってことは――」
「ご主人様、障壁が完成いたしました」
執務室へと転移してきたファフミルが答える。
「ファフミル、お疲れさま。セルフィも、良くやってくれたよ」
「もったいないお言葉でございます……」
「ソウタが守りたいモノはセルフィも守りたい」
「そう言ってくれて嬉しいよ。ありがとう……」
これで、おっさんが危惧してた火の海ってヤツにもならないだろう。
二人には心から感謝だ。
あとは明日、俺が魔術にかかることなくちゃんと戦えるかどうかで……全てが決まるワケか。
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