八話:力の調和
おっさんが本当に信頼できるのかを見極めつつ、その信頼を獲得するためにも、出会って間もないこのタイミングだからこそ、しっかりとこれまでの経緯や現状を説明しておかなければならない。
もしここで見放されてしまうと、今後の見通しがたたないどころか下手すると詰んでしまう……それだけは避けなければ。
これまでの人生でも就職活動の時くらいにしか経験していない正念場だが、椅子に座り直して心を落ち着かせ、慎重に言葉を選ぶ。
「俺は、別の世界で一度死んでこの世界に来ている」
おっさんはピクリと僅かに体を震わせたが、特に何を言うでもなくそのまま聞く体勢で居てくれるようだ。
「ここに輪廻転生……生まれ変わりみたいな概念があるかは分からない。魂だけ飛んで来て、元いた世界の姿で生まれ変わったのか、それとも肉体が死ぬ前の状態に巻き戻ってただ移動してきたのか……とにかく、元居た世界で死んだと思った次の瞬間にはあの森に居て、目の前にメリシアちゃんが座ってた」
「生まれ変わりか……シャイア教の教義には無い考えではあるな」
「メリシアちゃんを殺そうとしたことについては、なぜなのかまだ分からない。俺も自分のことなのに変だと思う。でも、あの瞬間は俺が俺じゃなかった」
「ほう」
「幸いにも、殺人衝動とでも言えばいいのか……ああいうのはまだ無いんだが、これから先、二度目が無いのかというと……俺自身、保証ができない」
おっさんは時折、葉巻をくゆらせながら相槌を打つのみで、黙って俺の話に耳を傾けてくれている。
落ち着いているようで落ち着けていない今の俺にとって、その器のでかさは、どこか救われる。
「そこで問題になるのが、アレだ」
俺が先ほど我を忘れて砕き散らしてしまった、原型なき扉を親指で差す。
「……おっさん、念のため聞くけど、俺を殴ったアレってマジだったか?」
「うむ。本気ではないが強めにいったつもりだ」
「あれな、ちょっとポンと押されたくらいにしか感じなかったんだよ」
「ほほぅ!」
「ここに来るときも、教会出てすぐの所から一回で跳んできて、さらにとんでもない高さから落ちたりもしたけど、痛くも痒くもなかった」
おっさんが嬉しそうにニカッと笑う。
「ガハハハハ、ここまでひとっ跳びとはとんでもないのぅ!」
「いや笑いごとじゃないから……異常だろ、こんなもん。日常生活すらまともに送れそうに無いんだぞ」
マグカップの取っ手を人差し指と親指で摘むと、摘んだところだけが綺麗にパキッと音を立てて欠けた。
おっさんに見せるようにして、指の隙間でサラサラの粒子と化した陶器の破片をテーブルの上に落としていく。
「それに、俺がまたあんなことになっちまったら、おっさんでさえ止められなさそうなこの力を一体誰が止めるんだよ」
「ふむ」
俺が砂のようにした陶器の破片を指先ですくいとってなにごとか考えていたおっさんが、おもむろに自分のマグカップの取っ手を摘み……俺がしたのと同じように摘んだところだけをパキッと欠けさせた。
さらにそのまま指を離すと――俺のと比較すると若干荒めではあるが――粒子と化した陶器の破片がパラパラと落ちてきた。
驚きのあまり、目が丸くなってしまう。
「力というのはな、それが何であれ御する方法が必ずあるものだ。お主の場合はまだその方法が分かっておらぬだけよ」
「なる、ほど……」
俺と似たようなことができるほどの力をもちながら、何の問題もなくお茶を入れたり葉巻を吸ったりしているおっさんの説得力は確かなモノだった。
「どうだ、良ければここで暫くかくまって手ほどきしてやろうか」
「い、いいのか!?」
「ただし条件がある」
「条件?」
「この中央教区を取り仕切っておるエリウス大司教。あやつは何か良からぬことを企んでおる」
「あいつか。確かにいけ好かないヤツだったけど……良からぬことってのは?」
「その辺りの仔細は、お主がこの中央教区どころか他の国ともまったく関係が無い、と確信できたときに語るとして」
おっさんが灰皿の上で燻っていた葉巻をギュッと揉み消す。
「その企みを阻止するためには、このオレと同程度の能力がある人物があと七、八人は必要でな。このオレ七、八人分どころか、それ以上の力を一人で持つお主に、是非とも力を貸して貰いたいというわけよ」
「いや、阻止するっていっても……血生臭いことなら俺には無理だぞ。というか、例の発作みたいな人殺し状態になる可能性だってあるって言ったよな? 自分でいうのも変だけど、アテになるのかよ」
「その発作についてだがな。実は何とかしてくれそうな者を知っておる」
「マジかよ!」
おっさんが俺のマグカップを持って立ち上がり、別のマグカップへと紅茶を淹れ直してから持ってきてくれる。
ふたたび喉が渇きはじめていたのでめちゃくちゃありがたい。
「どうする? お主さえ承諾してくれるならば――」
「でも、その企みとやらを阻止したら、はいさようなら……なんてことにならないだろうな」
「このオレが一度約したことを違えるような男に見えるか?」
……確かに、おっさんは信用しても良さそうに思う。
それに力の制御に加え、あのワケの分からない殺人衝動について何か分かるかもしれないとくれば、断る理由はない。
俺は参りましたとばかりに敢えておおげさに両手を上げ、大きく頷いてから言った。
「悪かったよ。これからよろしくな」
♦
しばらく待つように言われてどれくらい経ったのか、気が付けば先ほどまでおっさんと談笑していたリビングに夕陽が差し込んできていた。
「待たせたな」
「ほぅほぅほぅ」
俺のせいで開放感溢れる入り口と化した穴から、おっさんと……見知らぬ婆さんが入ってきた。
「ばば様、こやつが先ほど話した、世界を救う器になり得るやも知れぬ男だ」
「こりゃまた……ヒヨコとは思えないとてつもないうねりを感じるの」
「おっさん、この婆さんは?」
「この御仁がさっき言ったなんとかしてくれそうな者だ」
こ、こんなヨボヨボの婆さんが?
確かに雰囲気はあるが……正直頼りない。
敢えて訝しげな視線を送る俺に気づいているのかいないのか、婆さんがゆっくりとした動作で隣の椅子を俺に向けてから腰掛け、こちらに両手をかざしながら目を閉じる。
「ほー、ほうほうほう。お前さん、この世界の者ではないの」
「……おっさんから聞いたのか?」
「いんや、お前さんが何者かなんて聞いておらんさの。ただ、昔ディブロダールでちょいと研究しとったからの」
「ディブロダールで……研究?」
「かの国じゃ魔術、特に召喚だの転生だのの研究が盛んでの。わたしゃそこの国立魔術学研究所で働いておったんじゃ」
見た目は、少し腰の曲がった、畑で農作でもしてそうな老人なのだが……この婆さん、見かけによらず意外と凄い人物なのか?
「この、てんでバラバラなのに全体では一つに見える何とも不思議な流れは、どっちかというと研究所で集めとった召喚者と瓜二つじゃの」
「召喚者?」
「うむ、魔術師を何百と集めて行うかなり大掛かりな召喚術があっての……そうじゃのう、ヒヨコにも分かるように言うならば、別の世界から器ごと魂を引っ張ってくるようなもんかの」
召喚者と言われて少し違和感を覚えての質問だったのだが、勘違いした婆さんによる召喚についての解説を聞いていたら、なぜそこで違和感を覚えたのか忘れてしまった。
まぁ忘れてしまうような内容だったのなら大した理由でも無かったんだろうと、違和感を記憶の片隅へ追いやり、もう一つ引っかかった言葉について質問する。
「瓜二つって、同じような人間が他にもいるのか?」
「人間だけじゃありゃせんがの。今はどれくらいおるのか見当もつかんのぅ……ほれ、動かんとじっとしとれ」
おっさんを見ると、いうとおりにしろとでも言いたげに無言で首を縦に振った。
「VIRLUMSHELITNUI……QERPIRTOUORTMYUIGTLOWAUK……」
婆さんがブツブツと何かを呟き始めると、かざされた手を中心にして楕円形の青白い光が広がりだす。
「QERPIRTAUORTFIUNOLDIRVAR!」
ブツブツ言っていたのが段々とはっきり聞こえるようになり、最後は老婆から発せられたとは思えないようなほぼ絶叫ともいえる声で何かを唱えると、手を覆っていた光が、俺へと吸い込まれるように徐々に薄くなっていき――完全に消えたところで、婆さんが一息ついた。
「ふぅ、これで暫くは大丈夫じゃ」
「いったい何をしたんだ……?」
「力をお主の器と調和させたんじゃよ。転生者や召喚者は力に振り回されて、得てして不安定になるからの」
「俺の器と……調和?」
「そうじゃのう、たとえば水じゃ」
俺のマグカップを指差す。
「今そこに紅茶が入っとるがの、これは水が紅茶に変化したわけじゃありゃせん。茶葉から出た成分が水に混ざったことで紅茶として存在しているだけじゃ」
そう言うと、俺のマグカップを掴み一口啜り「冷えてしもうとるの」と呟く。
「紅茶のように、水に何かが混ざれば別の性質に変わったように見えるがの。その本質は、水と、茶葉から抽出された物質じゃ。水は蒸発して雲になり、雲が雨となって山に降り、山から川を流れて海に戻り、海水が蒸発して雲になり……まことに様々な変化をみせるがの、どこに行こうが何になろうがその本質は常に水のままじゃ。増えたり減ったりもせん。すべては絶対的な調和が保たれておるのじゃ」
「婆さん、その良く分からない例え話とさっきの謎の儀式に何の関係があるっていうんだ」
俺の質問を無視し、婆さんはそのままの調子で続ける。
「ならばじゃ。お前さんの力はなにとどうやって調和しとると思うかの?」
「……骨格とか筋肉じゃねーの?」
「ホッホッホッ。お前さん、見た目どおり頭は良くないの」
「ぐっ」
「この世界に来る前、お前さんに今のような力はありゃせんかったろう」
「いや、そうだけど……って、なんで知ってんだ」
「研究しとったと言うたのを忘れたかの。やれやれ、記憶も弱そうだの」
くっ、このババァ……。
言い返してやろうと口を開きかけたその時、横からスッとマグカップが差し出され、機を逃してしまう。
いつの間にかキッチンに移動していたおっさんが、婆さんと俺の紅茶を淹れ直して持ってきてくれたのだ。
話の腰を折らないように、空気を読んでこのタイミングで持ってきたのか……図体に似合わず意外と細かい気配りをするんだな。
婆さんが「すまんのぅ」と言ってマグカップを受け取ったので、俺も「悪い」といって受け取る。
「で、じゃ……なぜこの世界に来た途端、そんな力を発揮できるようになったんじゃろうの」
「そう、俺が聞きたいのはその辺りのことだよ。っつーか、どうやって制御すればいいんだ?」
「ふぉっ! 制御とな? フォッフォッフォッフォッ」
先ほどから続く他人を馬鹿にしたような言い方に、一度は冷えた怒りが再沸騰してしまう。
「なに笑ってんだよ!」
「さっきの話を聞いた上で言うとるのかえ? 天候を操りたいというような、有り得んことじゃと分かっておらんの」
「て、天候を操る? いや、今はなんでこんな力を持ってるのかを自分で理解して、制御する方法を探していくっていう話をしてるんじゃないのか?」
「ふむぅ……この婆に言えるのは二つじゃ」
しかたない、イチから説明してやるか……という風にため息を吐くと、婆さんが指を二本立てたあと中指を折り曲げ、人差し指だけ立ててゆっくりと諭すように話し始めた。
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