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6.侵攻



 魔王と勇者の戦いというのは、ここ千年ぽっちで始まったようなことではない。

 言い伝えに拠れば創世の頃より続く『循環の儀』に近く、魔王と勇者が殺したり殺されたりすることで世界のエネルギーである魔力マナが循環していき、そのために勇者も魔王も産まれるのだ、と言われている。


 勿論、『儀』などと言われたって魔族にも人族にも生活があるし、命だってかかっているから本気でやり合っている。

 争い合うのだから当然のように禍根は生まれるし、定められた運命なんかで決着がついたりもしない。

 ただ、やはり『儀』としての場は整えられている、と感じることは多々あった。


 どうしても勇者が連れ歩ける人員に制限がかけられているように思えることだとか、魔王城は魔王が死ぬと必ず多少なりとも崩壊し、その地に力を還すことだとか、勇者が生まれると十数年の間は海域の境界が強化され、魔族側からの渡航に制限がかかるとか、何代か魔王が勝ち続けると勇者側に強大な力を持つものが現れる、とかな。


 ただ、どれもこれも憶測の域を出ないし、それを『神の思し召し』だなんて言うつもりもない。

 全てが予想通りなら、『功績点』なんて作る必要も無い気がするからだ。神様ですら俺達の行動を予測できないから、神様に良い方向に働いた者にわざわざ点をつけてやるんだと思うし。


 だから多分、神様もこの事態は予測していなかっただろう。


【ズィロ隊! 下がれ! ヨゼフ様を援護せよ!】

【ウェル隊はヘレナ様の補助! 負傷した者を障壁内へ! 通過時に周囲の警戒を怠るな!】

【アリシア殿下! 申し訳ありません、此方の魔導師を優先して治癒を……!】


 最終防衛ラインとなった海岸線では、王国直属の第一騎士団から第七騎士団までが勢揃いし、勇者一行と共にグロムの街を守っている。建築職人のおやっさん達も微力ながら後方で防御壁の維持に努めているみたいだ。

 大混戦を繰り広げている海岸線から遠く離れ、画家のお姉さん宅の近くにそびえ立つ飾り同然の時計塔の頂上。『望遠視』の魔法で視界を広げた俺は、到底魔族と人族の争いには見えない様相を呈している海岸線を覗いている。


 元来、魔族というのは襲い来る人族を迎え撃つ戦闘スタイルになることが多い。

 低級の魔族であれば地の恩恵を受けることが少ない為に人族大陸ミュステンに渡り、人の血肉を得ることで力を得ようとするが、高位の魔族はそう簡単には己の地を離れない。単純に、その方が有利だからだ。


 だからこそ、強大な力を持つ魔王が動かない限り、人族大陸ミュステンに攻め入ろうなどとは考えない。魔族は城から広がる土地の力に恩恵を受け、力を増す。魔王は城に力を分け与え、城から力を分け与えられる。言わば、魔王は城であり、城は魔王である。

 魔王が動けばある程度土地の恩恵を受けた状態で攻め入ることが出来る、という訳だ。まあ、俺の場合は治癒魔法の恩恵が強すぎるから、みんな付いてこようとはしなかっただろうが。


 しかし、へなちょこ魔王であろうと、いるのといないのじゃ天と地ほどの差がある。魔王不在の魔族が攻め入ってくるというのは、要するに自ら滅ぼされようとしに来ているようなものだ。

 多分、そんなことも分からない程度には困窮していて、追い詰められている。見る限り、女子供まで駆り出されているようだから、事態はかなり深刻な状態なのだろう。


 戦いに参加しなければ非国民と見なされ、喩え生き残ったとしても酷い仕打ちを受ける。それを分かり切っている魔族は、自分に戦う力が無いと分かっていても剣を振るわざるを得ない。


 俺はそういう生活が嫌だったから、出来るだけ大陸内で完結出来るように状況を整えようとして、日和った弱腰魔王として罵倒されていた訳だ。

 でも、泣きながら戦っている母やその子を見ると、やっぱり俺が目指していた方向は間違ってなかったんじゃないか、と思う。


 ていうか、俺が必死こいて三百年掛けて整えてきた魔族大陸が、ほんの一年も経たずに崩壊しようとしているんだよな、今。

 知らんこっちゃない、と切り捨てるのは簡単だ。モニカさんだって、言っていた。俺は今はただの猫で、気に病む必要なんて一つも無いと。俺もそう思う。

 俺を散々バカにしてきた奴らがまとめてバカやって滅びようとしているだけだ。心の底からそう思う。……思うんだけど。


 時計塔の上から降り、アパートの手前の塀を伝って歩く。途中、ちらりと覗いた部屋の中では、未だ一心不乱に絵を描き続けるお姉さんの背があった。

 勇者ヨゼフから絵の依頼を受けたお姉さんは、俺に喜びを伝えた日の翌日から、脇目も振らずに絵を描きづけている。


 その集中力はすさまじく、受け取った前金で生活を整えてからは寝食も忘れて手を動かし、避難勧告が出てからも一歩も部屋から退く気は無いようだった。お姉さんの身を案じて声を掛けに来た大家さんにも、『大丈夫です、勇者様が勝ちますから、私はここで信じて描きます』とだけ返して少しも動かなかったくらいだ。


 お姉さんの背丈ほどもある画布に描かれるのは、雄大な白い山々と、そこに並ぶ勇者と王女。

 絵の依頼として思い出の土地について語り聞かせた勇者は、私はケイブリーの地を知らないのですが、と困惑するお姉さんに、『僕の思い出から想起したものを描いて貰えばそれでいいです』と告げた。


 どんな本物も、あの日僕が受けた衝撃と感動を表すには足りないから、それ以上の虚構を貴方の手で作り上げて欲しい、と。


 ヨゼフはお姉さんならば、自分の思い出を本物以上の価値あるものに描き上げてくれる筈だと信じて選んだのだ。

 絵を描く人にとって、こんなに嬉しいことはないに違いない。話を受けたときのことを俺に聞かせる時、お姉さんはやっぱり微かに涙ぐんでいた。


 きっと、お姉さんはアパートが傾いて吹っ飛んでも絵を描き続けるだろう。そして、お姉さんが信じたとおり、勇者は防衛ラインを守り抜く筈だ。

 戦闘が開始してから早二日。万が一に備えてお姉さんの側についていた俺だったが、状況を見るに離れても問題ない――というより、俺がその場に行きたくなってしまったが故に、気づいた時には中央通りを抜けて海岸線へと走っていた。


『あの勇者のことだから、そこまで酷い真似はしないだろうが……』


 上空を飛ぶ略奪者ハルピュイアの群れを眺めながら、女面鳥身の彼女達が徐々に減っている様から戦況を予想する。対空武器に乏しい人族にとって彼女は非常に厄介だ。

 そんな彼女達が数を減らしているのなら、彼女達が地上付近で戦わなければならないほど下での戦闘が押されているということで、恐らくだが、あと数時間持つか持たないか、というところまで魔族軍は追い詰められている。


『素直に立て直してから来ればまだ勝機があったかもしれんのに』


 通常、勇者の力というのは二十歳を境に急速に落ちる。大陸に一人しか生まれない勇者の力を次代に回す為だとか、強大な勇者としての力を人の身に宿すには二十年が限度なのだとか言われているが、真相は定かではない。

 兎に角、圧倒的な力を誇るヨゼフも、あと数年でごく一般的な騎士団長レベルにまで力が落ち着く筈だ。


 魔王の死後から新たな魔王を選定し、城に認めさせるまでに数年かかるとして、四天王の選定をし直し、魔族の生活を安定させれば、充分人族大陸(ミュステン)を攻め入るには足る戦力が得られただろう。

 勿論、単独主義に走りがちな魔族をまとめ上げるだけの求心力を持つ存在を魔王に据える必要はあるが。結局、そこの条件を満たすのが一番難しいんだよな。

 俺の親父は相当な魔力を持つ攻撃魔法の使い手だったが、それでも魔族大陸ローカストスをまとめあげるには足りなかったし。 


 だが、たとえどれだけ難しかろうと、今のこの状況よりはよほどマシだっただろうと思う。


「勇者ヨゼフ!! 貴様さえ居なければ、我はこの世界全土を支配することも夢では無かったと言うに……!!」

「……何を勘違いしているのか知らないが、お前みたいな考え無しじゃどうやったって無理だよ」

「考え無しだと!? 我は魔族最強の一族の長子であるぞ! この我に出来ぬことなど無い! あの愚か者の魔王のなり損ないが貴様に負けなどせねば……ッ!!」


 海岸線近くまで辿り着き、様子を見守る俺の前で、ヨゼフとヴェロスロフ――四天王ヴェラノイアの息子――が対峙している。巨大な爪を持つ竜人のヴェロスロフは、左手に炎魔法、右手に氷魔法を宿す両属性使いだ。

 四天王である父親ですら辿り着けなかった境地に来ているというのに、どうしてこう戦況を読む力が無かったのか。素直に教育不足だったんじゃないかと思う。


 聖剣を構えるヨゼフの面持ちは硬い。あれから幾度か顔を合わせたが、教会で会うときの優しげな顔からは想像もつかない表情だ。

 魔王城で前世の俺と相対した時にだって、あんな風に苛立ちを露わにした顔はしていなかった筈だ。彼の顔にはいつでも、使命を背負っている覚悟と、民を守るという決意に満ちていた。


「かの魔王は敵だったが、それでも素晴らしい統治者であったと、僕は思っている」


 きつく歯噛みしたヨゼフが、雷鳴を呼ぶような魔力を纏いながら口にする。

 予想だにしていなかった言葉に俺が思わずきゅっと身体を縮こめるのと同時に、ヴェロスロフが嘲笑を浮かべた。


「ハッ! 素晴らしい統治者だと!? 矮小な貴様に魔族の何が分かる! あの者は臆病者の愚か者よ!」

「……理解出来ないのならそれでいいよ。どうせ、お前とは此処でお別れだ」

「フフ、随分と生意気な口を利くなあ? 愚鈍な勇者よ。その首と胴を切り離してくれる!」


 丁度、戦場の中央地点で対峙するヴェロスロフとヨゼフ。

 魔族側も押されているが、元より魔族一体に対し五人で挑まねば並の者ならばすぐに息絶えてしまうような戦力差だ。この二人の戦いの決着次第ではひっくり返ることも考えられる。


 魔法使いであるヘレナは上空から叩き付けられるハルピュイアの羽根による刃の雨への対処で手一杯だし、剣聖である騎士レオンハルトは陣形の崩れた騎士団員のカバーに走っている。この二人が居るからこそ、勇者も敵将に集中出来ている訳だ。

 加えて、神子である王女アリシアも度重なる治癒魔法の使用で疲弊している。本来、治癒魔法というのは連続して使うようなものではない。神に選ばれし神子とは言え、人の身にこれだけの軍勢の治癒を担うのは無理があるだろう。


 ……もし助けるとしたら彼処かなあ、なんて、障壁の手前で片腕の飛んだ騎士の治癒を行っている神子様の側へそろりと近寄る。


 いや、モニカさんは俺が手を貸すまでもなく死人なんて出ないって言ってたんだけど、でも、それでもこの結果は『勇者達が死力を尽くした』からこそ生まれるもので、決して楽な戦いじゃない。

 俺は、俺の好きな人達にはなるべく辛い思いをして欲しくない。それは、魔王時代からずっとそうだった。

 ……俺は、ボロクソに言っていても、言われていても、結局は俺の民が好きだったし、いや、勿論嫌いな奴は沢山いたけど、魔王城から城下町を眺めたとき、俺の守るべき者が此処に居るんだなって思える感覚は好きだった。

 だからこそ、そんな彼らに認めて欲しくて、彼らを幸せにしたくて向いていないと分かっていて仕事を続けていた訳だ。

 その結果がこんなんなのは正直悲しいが、まあ、過ぎたことだし、今では仕方ないと思える。


 でも、今この場で起こっていることは、俺の手で多少なりとも手助け出来る筈なんだ。ヨゼフとヨゼフが大事に思っている人達や、俺の好きな街の人達が大変な思いをしているのに、何か出来る力が合って手を出さずにいるのは、ちょっと違うと思う。


 というか、正直に言って、やれることがあるのにやってない自分が落ち着かない。想像以上に居心地が悪い。なんかそわそわする。

 だからこれは、誰かのためとかじゃなくて、俺のためにすることだ。


「〝レデイクィアス 傲慢にも大神へ祈りを捧げる我を赦し給え

  アィデスレクイ 真名亡き貴方へとこの声と魂を持って希う

  イスアレィクデ 信仰と血の誓いを対価に我らに真の幸いを〟」


 瞳を閉じ、祈りの言葉を捧げるアリシア殿下の額には玉のような汗が滲んでいる。大神の象徴である龍の紋章を掲げる指先は白く、震えていた。

 今にも倒れてしまいそうな彼女の足元にそっと寄り添い、人目が無いことを確かめてから治癒魔法を発動する。対象は、アリシア殿下だ。魔力の回復と、体力の回復。これで今日は全力で治癒を続けられるはずだ。


「――――っ!?」


 驚き、目を見開いたアリシア殿下が辺りを見回す頃には、俺は持ち前の素早さでその場を後にした。

 付き従えている騎士に問いかけている様子が見えるが、騎士も負傷者を運ぶので手一杯なようで明瞭な返答は得られていなさそうだ。

 まあ、敵勢力が入り込んだのなら兎も角、障壁の内側から作用した力であり、加えて治癒の力である。神子である殿下本人は兎も角、周辺は大方、神子を哀れんだ大神の采配とでも思ってくれるだろう。


 そそくさとその場を後にし、中央で戦闘を繰り広げるヨゼフとヴェロスロフを見守る。

 流石に魔王筆頭候補であるヴェロスロフとの戦闘は他の魔族相手のようにはいかないらしい。人の前腕ほどもある爪を振るうヴェロスロフと身の丈も程もある聖剣を軽々と振り回すヨゼフが打ち合うたびに、耳を劈くような雷鳴が鳴り響く。


 ……流石にあの場に飛び込んでヨゼフの回復をして逃げ出す技量は無い。しかし、アリシア殿下の調子を取り戻したのだ、恐らくは回復が間に合うはず。


「ヨゼフ様! 一旦お下がり下さい! 治癒の祈りを捧げます!」

「僕に構うな! 他の者に負傷が残らないようにしてくれ!」

「ですが……!」


 障壁の向こうから呼び掛ける殿下に、ヨゼフが鋭く言葉を返す。紙一重で躱しているとは言え、ヴェロスロフの爪には魔力が付与されている。あちこちに火傷と凍傷を負うヨゼフが消耗しているのは目に見えて明らかで、殿下が心配するのも無理は無かった。


「フン! 軟弱な人の身は治癒魔法などに頼らねばならぬのか! そのような小細工、見苦しいことこの上ない!」

「……お前達だって、治癒魔法を必要としているくせに言うじゃないか」

「下らぬ小細工を必要とするのは弱き者のみ! 力在る者は治癒魔法など無くとも再生力のみで他を圧倒できるのだ!」


 また一閃、雷鳴が轟く。砂浜は両者が戦っている周辺だけ幾重にも消し飛び、徐々に地面が下がりつつあった。

 唇を噛み締めたヨゼフが、ほんの一瞬視線を他へと向ける。その眼に映るのは、泣きながら戦う子供達だ。騎士団員すら攻撃を躊躇うのか、一種の膠着状態と化している。


「弱き者を守ってこその王じゃないか! そんなに戦争がしたいなら、お前らだけで来ればよかったんだ! あんな子供を巻き込む必要は無いだろう!」

「なんだ? 戦いの最中に敵の心配か? 随分とお人好しな勇者だな、他ならぬ貴様が魔王に留めを刺しておいて! 我々をこのような目に遭わせたのは貴様では無いか! 偽善者が笑わせる!」

「……ッ、それは……」


 いや、違う。違う違う。ヨゼフのせいじゃないから。黙って立て直していつも通りに魔王を選び直せば良かったのに集団で襲いかかってきたのはそこのバカのせいだから。あとは俺のせいだ。


 全力で否定しに行きたかったが、残念ながら俺の言葉が通じるのは同じ動物類と、天界族のモニカさんくらいだ。乱入して顔面を引っ掻いてやっても良かったが、ぐっと堪えて目立たぬ位置から騎士の援護に回る。


「まあ、あの貧弱魔王に止めを刺してくれたことには礼を言うがな! 彼奴のせいでこの三百年は退屈極まりなかった!」


 吐き捨てるように呟かれたヴェロスロフの言葉を聞いた瞬間、ヨゼフの動きが止まった。

 コンマ数秒の硬直の後、目に見える程の怒気を纏って魔力が膨れ上がる。


「お前ら魔族には感謝の心ってものが無いのか!?」


 お、おう? ど、どうしたヨゼフ、怒髪天を衝いてるじゃないか。

 まさしく雷鳴の如く一帯に響く怒鳴り声に、ヴェロスロフですら一瞬気圧されている。打ち合いを続ける周囲の者が目を離せないほどの殺気を纏いながら、ヨゼフは尚も怒鳴るように続けた。


「僕は知っているぞ! お前らの大陸にある病院を魔王が取り仕切っていたことも、これまでの魔王に比べて市場が発展し、街が潤い、常に飢えていた民が助けられてきたことを! あれだけ魔王の恩恵を受けておいて、その彼の弔い合戦ですらなく、ただ僕らを蹂躙しようとやってくるのか!?」


 残念ながら、魔族ってのはそういうもんだよ、と彼に教えてやった奴はいるんだろうか。

 多分、居ないんだろうな。何処か嬉しいような、寂しいような、妙な気持ちで思った。


「恥を知れ! 民に尽くした己の王に一欠片の忠誠も持たず、ただ本能のままに欲を貪る愚鈍な種族め!

 僕は、お前らが魔王の為に戦いに来るのなら、報いとして、我が民を守ってからこの命を捧げるつもりだった! それが戦いということだ! 民のために争うとはそういうことだ! だが貴様らはなんだ!? 考えもなしに僕らを蹂躙し、話し合いに応じることもなく、ただ本能のままに破滅しようとしている! 愚か者は貴様らの方だ!」


 怒りを乗せるようにして聖剣を振るうヨゼフの一撃で、ヴェロスロフの片腕の肘から下が切り落とされた。呻き声を上げて反撃に出るヴェロスロフをいなしつつ、ヨゼフは苛立ちを堪えるように歯噛みする。


「……魔王城で僕を出迎えた彼は、一度も反撃すること無く僕に討たれた。あの頃の僕は、彼が最期に浮かべた笑みの意味が少しも分からなかったけれど、こうしてお前らから話を聞いた今では、少しは分かる気がするよ。

 彼はきっと、お前らの世話をするのに疲れてしまったんだ。三百年も魔族大陸ローカストスを統治し続けた伝説の魔王が、なんで僕みたいな勇者に討たれたのか……彼が自ら討たせてくれたからに他ならない」

「ハン、勇者のくせにやけにあの愚王の肩を持つじゃあないか! 偽善者も此処まで来ると笑えないな!!」

「僕が偽善者に見えるなら、目玉を取り替えてきた方が良いよ。僕はただの優柔不断の弱虫で、勇者なんて器じゃ無いんだ。でも、今、ようやくお前を滅ぼす覚悟は決められた」

「はあ? 虫螻が戯言を――――」


 両手で聖剣を握り、腰を深く落とした構え。轟く雷鳴は天候すら変え、日差しは雲に遮られ、辺りは暗く沈んでいく。

 それまで呆然とヨゼフの言葉を聞いていたアリシア殿下が、鋭い声で周囲の者へと指示を飛ばした。


「皆様! 防御壁の奥に下がって! 巻き込まれます!」


 あのバカ、頭に血が上りすぎだ!とぼやく騎士レオンハルトの声が遠くで聞こえる。ヘレナも慌てて長杖を握り締めてありったけの魔力を込め始めた。

 膨れ上がる魔力を感じ取り、青ざめながら逃げ出した騎士達が防護壁の向こうへと収まる。同時に、力強く踏み込んだヨゼフの剣が、弾けるような雷を伴って振るわれた。


「――――『黒雷デザスト』」


 刀に纏わり付く閃光は折り重なり、やがて一筋の黒い軌跡を描いて多量の魔力を爆発させる。

 受け止めようと片手を伸ばしたヴェロスロフは次の瞬間には塵も残さず焼き消えた。


 後に残ったのは、深い穴のように吹き飛んだ砂浜と、大きな柱を立てるように二つに割れ、数秒の間を空けてぶつかりあい、弾けた海。ちらほらと残る魔族の者は、互いを守り合うように抱き合って震えていた。


 勇者ヨゼフ――雷帝の名を持つ彼の一閃は海を裂き、山を割ると言われている。

 それだけの力を持つ一撃は、当然人の身には多大な負荷が掛かる。具体的に言うなら、寿命が五年は縮むのだ。


「ぐ、ぇっ、げほっ……」

「ヨゼフ! 何をやってるんですか、この大馬鹿者!!」


 アリシア殿下が体面も放り投げ、ヨゼフへと駆け寄る。突き立てた剣を支えにしつつ蹲ったヨゼフは、咳き込み、鮮血を吐きながらも口元に笑みを浮かべてみせた。


「ごめん、ちょっと、苛ついちゃって」

「……魔族への怒りはもっともです。ですが、貴方が傷ついては意味がないのですよ。何のために皆の手を借りたと思っているのですか!

 大体貴方は全てを自分で片付けようとしすぎです、どうして私達を頼ってくれないのです! 魔王のこともそうです……思い悩んでいても少しも話しては下さらなかった……!」

「ええと……、それは、ごめん」

「ごめんで済む問題ではありません! 私達は夫婦となるのですよ! それなのに、苦しみを少しも分け合えないなんて、悲しいではありませんか!」


 目に涙を浮かべるアリシア殿下に、ヨゼフはもう一度、ごめん、と弱々しく眉を下げて笑った。尚も言いつのろうとするアリシア殿下の方を、騎士レオンハルトが叩く。

 それより治療してやったらどうだ、と呆れがちに呟くレオンハルトに、アリシア殿下ははっとした顔で慌てて治癒の祈りを捧げ始めた。

 失った寿命は戻らないが、身体の傷だけなら癒やせるはずだ。ほっとして、踏み出し掛けていた足を引っ込める。


 思わず駆け寄って治癒魔法をかけそうになっていた。危ない。いや、俺のために怒ってくれたんだから、お礼ぐらいはしたいんだけどさ……流石にあれだけ目立つ位置にいるとどうにも。

 まあ、俺が治癒したアリシア殿下に治されてる訳だから、間接的に俺も助けになったってことで。


 さて、空中のハルピュイアは今の一撃に巻き込まれて全滅。残るは膠着状態にあった非戦闘要員の女子供だけが、抱き合うようにして震えている。

 国王としては魔王を討てば大陸の王としての役目は果たしている訳だし、魔族を根絶やしにすることで起こるデメリットも理解しているだろうが、民衆はそうすんなりと納得はしてくれない、よなあ。


 戦意を喪失している彼女達を集め、取り囲む騎士達の面持ちは硬い。その顔は治療を終えたヨゼフが近づいてくるにつれて更に強ばった。

 そりゃそうだ、幾ら味方とは言え、あんな力を見せつけられては同じ人族でも恐ろしく感じる。ヨゼフもそこは理解しているのか、少しばかり困ったような笑みを浮かべながら、あくまでも低姿勢に騎士団の者の間を通っていった。

 ……これが魔族だったら、力の差を見せつけるだけでカリスマ扱いなんだがなあ、なんて思いつつ、そろりそろりと、彼らの後ろに回る。


「……僕としては、君たちに戦闘の意思がないのならこのまま魔族大陸ローカストスに帰すつもりでいる」


 ざわつく騎士団の者を、アリシア殿下が手で制すのが見えた。殿下が口を挟まない以上、この場の勇者の発言は国に認められたものである。婚前であるが故に詳細は語られていないだろうが、『魔王を討ち取った後は魔族大陸ローカストスを去れ』と指示されていた筈の勇者としても、魔族を根絶やしにするデメリットは薄々感じているのかもしれない。

 多少のざわめきは残しつつも落ち着きを取り戻した空気の中、ヨゼフが問いかける。


「君たちは無理矢理連れてこられたんだろう? もう、戦闘を続けるつもりはない、そうだよね?」


 武器を奪われ、騎士達に囲まれた中で問われた数十人の女性達は、代表の者を選定するかのように顔を見合わせ、しばしの間の後に、最前列中央の女性が恐る恐るといった様子で口を開いた。


「……その通りです、わたし達に、戦闘の意思はありません」

「そうか。なら、魔族が使っているルートで帰還を、」

「ですが、勇者様が言ったように、我々は滅びるべきなのかもしれません」

「……なんだって?」


 驚きからか少しばかり低くなったヨゼフの声に、女性はびくりと肩を震わせた。

 ああ、いや、続けて、と慌てて口にするヨゼフに、女性は自身の腹を守るようにさすりながら呟く。


「……わたし達は、先代魔王様の恩恵を感じつつも、周囲に流されて、あの方を顧みなかった者たちです。あの方は充分に頑張っている、と口にすることで誹られることを恐れて、見て見ぬ振りをしてきました。

 私の母もそうです。魔王様のおかげで随分と生活が改善された、と繰り返し教えてくれましたが、外では他の魔族と同じように魔王様を強く詰っていました。そうしなければ……きっと母は魔王様と同じく、いえ、それ以上に虐げられてしまうからです。

 我々のような特別な身体を持たない種族は、立場も力も酷く弱い。わたし達は、我が身かわいさに魔王様に無理をさせていると知りながら、見ない振りを続けてきたのです、三百年も。滅びて当然の種族ではないでしょうか」


 言い終わると、彼女達はまるで自ら首を差し出すように頭を垂れた。ヨゼフは、どこか呆然とした様子でそれを見下ろしている。俺も、その後方で同じような顔をしている自信があった。


 まさか、俺のことを少しでも応援している魔族がいるだなんて、考えたことも無かった。

 思い返せば、病院で治癒魔法をかけていた者の中には俺に侮蔑の目を向けていない魔族もいたのかもしれない。いつからか他人の目を見るのが怖くなって、事務的にこなすようになっていたが、無言でそっと手を差し出す者の中には、微かに礼を口にしていた者もいたのではないだろうか。

 疲労が溜まりに溜まっていた俺はそれをただの空耳だと聞き流していたけれど、もしかしたら、あれがこうした魔族にできる精一杯の俺への礼だったのかもしれない。


 きっと、あの日街に降りたときに声を聞いたのが彼女たちのような魔族だったなら、俺はもう二百年は頑張れていただろう。ちゃんと見てくれる人はいるんだ、と気合いを入れ直して、魔族そのものを作り替えるくらいに頑張れていたかもしれない。

 だが、それはもう過ぎてしまった可能性だ。今の俺に出来るのは、今の彼らを手助けすることだけ。


「……確かに、それは貴方たちの弱さかもしれない。でも、きっと、これから……」


 これから立て直せるじゃないか、と呟こうとしたヨゼフは、そこで自分がその言葉を紡ぐことの惨さに気づいて口を噤んだ。

 人族である彼らに、魔族にかける慰めの言葉は持ちようがない。この先、必ず争わなければならないと決まっている存在だからだ。世界はそういう風に出来ていて、きっとそれを覆そうとしたって、何百年もかかるに違いない。


「お願いします、勇者様、我々に慈悲を……」

『んなーん』

「……ロル?」


 騎士団の足の隙間を縫い、最前列の女性の膝に飛び乗る。守るようにして伸ばされた手の上に前足を重ねれば、確かにそこには、小さな命の気配が在った。

 俯く女性の鼻先に自分の鼻をくっつけて、頬を伝う涙に頭を擦り寄せて拭う。たし、たし、と彼女のお腹を軽く示すように撫でれば、震えていた喉から嗚咽が零れ出した。

 ヨゼフの少し後ろに立っていたアリシア殿下が、はっとしたように身を屈める。


「……もしや、あなたは子を宿しているのではありませんか」

「…………そう、です。ですが、わたし達にはもはや、未来を繋ぐ資格も、」

「資格? 資格なんて、誰も持っていません。誰もに生きる権利がある。生きるというのは、究極的に言えば、他者の命を奪うことです。

 私たち人族大陸ミュステンの者も、貴方がた魔族大陸ローカストスの者もそれは変わりません。私たちは何千年もそうしてきました、今回の件は……正直愚かしいと思いますが、大きな目で見れば、これまでと何ら変わりありません。

 食うか食われるか。この世はそういうものであり、命の儚さを知るからこそ、我々はその輝きを消さぬようにより一層強く生きようとするのです。貴方がたはこの大陸に無くてはならない存在。人族と魔族は、共生は無理でも、共存はしなければならないのですよ」


 ――――貴方には、その命を繋ぐ義務がある。

 柔らかい声だが、はっきりと力強く告げたアリシア殿下に、最前列の女性は一度微かに息を呑み、涙に濡れる目で瞬いてから、小さく頷いた。

 水仕事で酷く荒れてしまった手が、俺の頭を撫でる。ごろごろと喉を鳴らしてみせ、ごく自然にその場を離れようとした俺は、そこでひょい、と細い指に拾い上げられた。


 見上げれば、にっこりと微笑んだアリシア殿下がいる。硬直する俺を他所に、アリシア殿下はてきぱきと指示を飛ばし始めた。


「それでは、レオンハルト様。その方々を魔族のルートから送り返して下さいませ」

「承知した」

「ヘレナ様は申し訳ありませんが海岸沿いの補修を。ヨゼフ様は宿でお休みになられてください、重症ですので」

「お任せ下さい」

「アリシア、君も休むべきだと思うんだが、まさか仕事する気じゃ無いよな?」

「私は至って元気なので問題ありません。それに、この子とお話があります」

「……ロルと?」


 あ、俺終わったわ。


 訝しむヨゼフ達が解散するのを見送りつつ、俺は静かに己の猫生の終わりを感じて目を閉じた。



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