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5.傍観



 魔族大陸ローカストスからの侵攻に備えてか、最近のグロムは何処となく不穏な空気が漂っている。


 一般市民に対して避難を呼び掛ける話も出ているが、誰も彼もがすぐに家を空けられる訳ではない。高台付近に住む貴族やらは内陸部に一時的に住処を移しているみたいだけれど、グロムに根ざした職を持つ人間は、大半が残るつもりのようだ。


 平民である彼らにはいざという時の避難場所が無い――というのとは別に、単純に大半が職人であり、また職人を目指してやってくる者が多いグロムの住人としては、自分たちが育てに育て上げた街が壊される様を黙ってみている訳にはいかないのだろう。


 勇者ヨゼフに対する信頼は厚いが、だからといって全てを彼一人に任せるつもりはない。魔王討伐という大役を成し遂げたヨゼフを、今度は皆で支えよう、という訳だ。

 本当に、人族大陸ミュステンの人間は良い奴らばかりである。


 さて、そういう訳で七賢人がひとり、大魔法使いのヘレナを中心に、建築職人のおっちゃん達が街に張る防御壁の相談を始めた。各地区の代表者がそれぞれ五人、ヘレナを囲んで話し合う様がここ数日様々な場所で目撃されている。

 女性にしても小柄で、ホワイトピンクのふわふわの髪を揺らすヘレナが筋骨隆々の職人さん達に囲まれて歩いているのは、なんというか、ちょっと――いや、ちょっと処では無く目を惹く。


「姐さん、俺らとしてはどうしてもこの中央広場だけは守りてえんすが、海辺から直線上な分、攻め入る時には被害に遭いやすいっすよね」

「確かに、そのような状況に陥る恐れはあります。出来る限りヨゼフ様と私達で食い止めるつもりですが……」

「あ、あー、いや、姐さん達の力を信じてないって訳じゃなくってですね」

「オレらが言いてえのは、もし攻め込まれちまった時にどうしても此処は守りてえな~って話なだけで」

「ええ、勿論分かっています。先生方はきちんと私達を信頼してくれています、その上で万全を期しておきたいということですよね」

「姐さん、その先生ってのはやめてもらえっと助かりやす……照れ臭いんで……」


 見た目は深窓の令嬢かと言わんばかりの華奢な美少女であるヘレナだが、筋骨隆々の職人方に囲まれても少しも物怖じしていない辺り、やはり勇者一行といったところだろうか。

 より効率的な防御壁の構築のため、地形を確かめるように街を歩き続けているヘレナとおっちゃん達を横目に、俺は中央広場の像の上でだらりと身体を伸ばす。


 魔族軍は既に一次防衛ラインを越えてきているらしい。伝声鴉から報告を受けて一週間でよく此処まで準備が整ったものだ。


 これまでの歴史を見れば、魔王を倒せば大抵魔族は散り散りになり、再び力を持つ者が現れるのを待って集結するのだが、今回はどうもイレギュラーが起こっているらしい。

 十中八九俺のせいであり、迷惑をかけてしまって非常に申し訳ないのだが、流石に一介の猫である俺にはそれらしい手伝いは出来そうに無い。

 治癒魔法が必要な場合にこっそり手助けするとか、そういうことなら惜しみなく手を貸すんだが。今のところ、出来るのは町中で鬱屈としている様子の住民の側に行って精神に癒やしの魔法をかけるくらいのことだ。


 俺がこの、危機的状況といえる事態でも呑気に昼寝をしているのには、一応だが理由がある。


 ――――今から三日前、モニカさんが俺の前に現れた。

 『転生の丘』で俺の担当をしてくれた神殿の女官さんだ。神殿で見た姿と同じだったから一目で分かった。


「こんばんは、アレルスマイアー様。お久しぶりですね、今世は如何お過ごしですか」


 にっこり笑ったモニカさんは、グロムの民と何ら変わりない服装をして、すっかり街に溶け込んでいた。

 夜の路地裏を探索していたところに声を掛けられ、それがあのモニカさんだったという衝撃で固まっていた俺は、小首を傾げる彼女の笑みにはっと我に返った。目線を合わせるように屈み込んでくれる彼女を見上げながら、驚きの声を上げる。


『モニカさん!? 一体どうして此処に、まさかモニカさんも転生を……?』

「いえ、今日は休暇を頂いたので、好きな時空に観光に行こうと思いまして。普段は別時空に向かうことが多いのですが、今日は此方に来てみました」

『休暇、なるほど……』


 神様に仕える方々といえども休暇はきちんと得られているらしい。そりゃそうか、あれだけ多くの存在を転生させておいて、休暇の一つも無いなんて、流石にちょっと過酷な職場すぎるもんな。

 神殿では白い正装姿だったモニカさんは、商店街でよく見る娘さんみたいな格好をしている。そういう服を着ていると、まだ成人もしていない女性に見えてくるから不思議だ。

 滑らかな金髪のボブカットを揺らすモニカさんは、オパールのような不思議な色合いの瞳を笑みに細めながらそっと俺の頭を撫でた。


「満喫なさっているようで、何よりです。転生課としても、やはり来世で充実した生を過ごしている方を見るのは嬉しいものですので」

『いや、本当、充実なんてもんじゃないです! 俺、生まれて良かったなあ~って毎日思ってますよ。本当、ありがとうございます、モニカさん』

「私はただ手続きを行っただけですよ。功績点を得られたのは、間違いなくアレルスマイアー様のお力です。転生者の方々の中には、前世の行いのせいで罰としての来世を送られる方もおりますから……」


 ほんの少し表情を曇らせたモニカさんは、俺が何か言うよりも早く、俺の身体を抱え上げて腕に抱いた。

 画家のお姉さんや勇者と違い、モニカさんは前世の俺を知っている人である。何だか謎の気恥ずかしさが胸を襲った。


『あ、あの、モニカさん……俺……その、』

「はい?」

『……えーと、俺の功績点、結構高かったみたいなんですけど、俺のやったことって結局魔族を滅ぼしかけて、人族大陸ミュステンに害を及ぼしてるっぽいんですよね……本当に、これであんな功績点貰ってよかったんですか?』


 下ろして貰えませんか、という言葉は、モニカさんの完璧な微笑みに圧殺されてしまった。喉の辺りを擽られたり、指先でこちょこちょされたりしていると、抵抗の意思が瞬く間に消え失せてしまう。おのれ、俺の身体のくせに、俺の意思が通じないとは。


「短期的に見ればそうでしょう。ですが、世界にどれだけ貢献したか、というのは百年二百年の単位で見るものではないのです。

 最終的に世界をより良い形にする為に働くことが出来た存在に与えられるものであり、それが世界の為となるのなら、人口の半数を死に追いやった暴君にすら高い功績点が付きます。全ては唯一神の御心のままに、何が正しく、何が誤りであるかは、全て大神様だけが知っておられることです」


 今までにも何度か説明したことがあるのだろう。モニカさんの説明は淀みなく、まるで歌うように紡がれた。

 ついでに、俺を撫でる手も一向に止まる気配が無かった。モニカさん、さては猫がお好きですね?


「故に、此度の件も長期的に見れば確実に世界のためになるのです。ですが、アレルスマイアー様が気に病まれるのも分かります。魔族の軍勢が襲ってくる、ということであれば、死人が出てもおかしくはありませんものね。

 神殿でも申し上げました通り、アレルスマイアー様には大抵の災難は降りかかりません。過去一万年の聞き取り調査により、軽度のハプニング等は起こりえますが、致命的な災難は避けられるように配慮してあります。

 記憶を無くされた方はそのような人生に退屈を覚える、といったケースも見受けられますが、アレルスマイアー様に限ってはそのようなことは起こらないでしょう」

『そりゃあ、勿論。災難とか、二度と御免です』

「この『災難を避ける』という配慮自体はアレルスマイアー様にのみ適用されていますが、逆に言えばアレルスマイアー様の身に降りかからない程度の『災難』でしたら身近で起こることも有り得ます。

 そして、唯一神の配慮を賜ったアレルスマイアー様の身に起こらない程度の『災難』というのは、つまり貴方様の周りで大規模な被害は出ないような代物ということです」

『えーっと……要するに、俺の周りの人は、今回の件で特に被害は受けない……ってこと?』

「少なくともグロムの街は安全でしょう。認識の食い違いが起こらないように確認をしておきたいのですが、アレルスマイアー様が守りたいのは、あくまでも目の届く範囲の者ですよね」

『……うん、まあ、そうかな』

「では何も問題はありません。今回の勇者軍と魔族軍の争いで命を落とす者はおりませんので。無論、それは彼らが力の限りを尽くして戦った結果、齎される成果であり、我々の加護は関係ありませんが。あくまでも、配慮ですから」


 勇者達が力の限りを尽くして戦った結果――というのを聞いた瞬間、俺の身体からはすっと力が抜けた。

 俺の前世の行いのせいでこんな事態になっている訳だから、絶対に一人も犠牲は出て欲しくなかったのだが、それを俺の貰った神様からの温情で解決したりするのも嫌だなあ、と思っていたところに、その言葉を貰えたものだから。


 画家のお姉さんの件でもそうだが、俺はやっぱり、その人の頑張りは、その人の力だけで報われて欲しい、と思ってしまう。俺は脇でそれを見て、応援して、ちょっと手助けが出来ればそれでいい。


 そりゃあ、それでどうしても失敗してしまうようなら、俺は精一杯助けたいと思うけれど、それでも、必死に頑張っている人達に軽々しく横から手を差し伸べて、これで解決!なんて状況にはなりたくないのだ。

 大体、程度や実情は違えど、それをやり過ぎて魔族大陸ローカストスはあんなことになっていた訳だし……。兎に角、今回の件がヨゼフ達の頑張りによって解決する、と知れたことは素直に嬉しかった。


『そっか……誰も死なないんだな……』

「ええ、少なくとも人族大陸ミュステンの者は」

『…………やっぱりそれって、世界のためになるってことですかね』

「私からは何とも言えません。そして、今のアレルスマイアー様が考えることでもないと思いますよ、貴方様は、今は可愛いにゃんこちゃんですので」


 優しく、言い聞かせるように囁かれて、確かになあ、と納得してしまう。もし仮に俺が記憶を持たずに生まれ変わっていたら、俺は何も知らず、決戦の日にも干し肉でも囓っていただろう。こうして考え込んでしまうのは、やっぱり記憶があって、考えることが出来てしまうからだ。

 何のために猫になったのか。お気楽な生を楽しむ為じゃなかったか? そりゃあ、何もかも知らん顔なんて真似はしたくないが、今大事にしたい人達から死人が出ないと分かった現状、わざわざ俺を虐げた者の心配をしたところで仕方が無い。


『にゃおん』

「ふふ、可愛い鳴き声ですね」


 ある程度投げ出すことを決めて鳴いた俺に、静かな微笑みを湛えたモニカさんは軽やかに靴音を響かせながら夜道を行く。ぽつぽつと明かりの灯る道を歩く彼女の足取りは迷い無く、然程掛からぬ内に、古びた教会へと辿り着いた。

 所々穴だらけで、嵐でも来れば簡単に崩れてしまいそうな教会を見上げながら、モニカさんは小さく笑う。


「私、昔猫を飼っていたことがありまして」

『……そうなんですか?』

「まだ神殿仕えになる前の話ですがね。可愛い子でしたよ、白猫だったのですが、お尻の所に人の顔みたいに見える黒い毛が混じっていまして、眺めるたびに面白くて笑っていたものです」


 教会の扉を開けたモニカさんは、俺を抱えたままゆっくりと祭壇へ歩み出す。夜の教会には灯りになるようなものは一つも無いが、足下を照らすほどの月明かりが視界を助けてくれていた。


「実を言うと、私は大分猫が好きなのです」

『それは……なんとなく感じてました』

「ですから、アレルスマイアー様が来世に猫を選んだ時はとても嬉しかったんですよ。この世に幸せな――幸せになると決まっている猫がまた一匹増えたわけですから」


 モニカさんはにっこりと微笑むと、古びた祭壇に俺を乗せた。首を傾げる俺の前で、彼女の周りに月明かりの煌めきが集まっていく。


「アレルスマイアー様。どうか、精一杯楽しく生きて下さいませ。私はただの担当官ですが、貴方様の幸せを願う一人でもあります」

『それは……えっと、ありがとうございます、嬉しいです』

「ついでに、もしも気が向いた時には、次の転生には転生課を選んでいただいたりしてもいいんですよ。ここ五千年ほど顔ぶれが変わっておりませんので、新入りさんに入っていただけると、私達としても新鮮な気持ちで仕事に取り組めて助かります」

『え、そんなこと出来るんですか?』

「勿論。希望された上で、推薦状があれば、ですけども」


 モニカさんの身体を包むようにして収束する光の粒が、徐々に魔方陣を描き始める。恐らくだが、此処から転生の丘まで直通の転移陣か何かなのだろう。


「まあ、今生を充分楽しんでいただいて、猫又も経験なさってから考えていただいても結構です。ではまた、休暇で遊びに来たときにはお声がけさせてください」

『あ、え、はい。では、また!』


 俺が別れの言葉を口にすると同時に、モニカさんは粒子に包まれるようにして掻き消えた。瞬きの間に、収束していた光の粒も解けて消えてしまう。何だか夢を見ているような気持ちだったが、会話は確かに頭に残っていた。

 一体次はいつ遊びに来るんだろうか。天上の方々のことだから、きっと数年単位では済まないだろう。

 次に会ったときには、具体的な仕事内容でも聞いてみようかな、なんて、転職について割と前向きに考えてしまったりしつつ、俺はその日は教会で夜を明かした。




『――――ん、もう夕刻か』


 鳴り響く鐘の音を聞きながら、広場の像の上で伸びをする。気づいた時にはすっかり寝入ってしまっていた。確約されたせいか、安堵で気が緩んでいるのかもしれない。

 あくまでも、勇者が死力を尽くした上での勝利なのだ。死人はなくとも怪我人は出る恐れはあるのだし、俺もこっそりとしか動けないが、まあ、もしもの時には助けられるようにしておこう。


 そんなことを考えながら、俺は像から飛び降り、海岸線を確かめておこう、と足を海辺へと向けた。




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