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4.予感


「ロル! ロル、聞いてくれ!」


 柔らかな日差しの降り注ぐ昼下がり。日課の散歩に出ていた俺は、ぼんやりしていたところに突如声を掛けられたものだから、驚いてその場で十センチほど飛び上がってしまった。

 びょんっと浮いた俺の身体を見て、何人かの子どもが笑っている。笑顔を見るのは好きだが、何だか恥ずかしい気持ちになって、わざとらしく澄ました顔で塀の上でくるりと方向転換した。

 石造りの道を駆けてくるお姉さんが視界に入る。肩掛けの鞄の紐を掴んで、手を振りながら一生懸命走ってきたお姉さんは、塀の上で首を傾げる俺に弾んだ声で言った。


「絵が売れたんだ! 私の絵が! それも、金貨五十枚で!」

『んにゃふ!』

「誰が買ってくれたと思う? 聞いてくれ、そして驚いてくれ!」


 本当に嬉しいのか、踊るようにして俺を抱え上げたお姉さんが、その場でくるくると回る。いつもはボサボサの髪も、今日は綺麗に梳かれて光の輪を作っていた。

 大事に抱きかかえられたまま回ること十回、上機嫌のまま止まったお姉さんが、内緒話でもするみたいに俺の耳に囁く。


「なんと、勇者様なんだよ」

『んみぃ?』

「ロルから貰った鳥を捌いてくれた肉屋のおっちゃんが居ただろ? その人が私に、娘の店に飾る絵を描いて欲しいって言ってくれてさ、猫の絵が良いって言うから、ロルを描いたんだ」

『にゃぅ……』

「あっ、そうか、許可を貰うの忘れてたな……ごめん、許してくれ」


 露骨に狼狽えた俺に、お姉さんは律儀に謝罪し始めた。

 まあ、自分の絵が何処かの店に飾られているというのは少しばかり気恥ずかしいが、それでお姉さんの懐が潤うのなら俺の顔――顔?身体?くらい幾らでも使ってくれ。

 了承の意を全身で表すと、お姉さんは安心したように頷き、話を続けた。


「そしたら、その店が実は王女様がお忍びで行きつけにしてる店だったらしくてさ、一緒に来た勇者様が飾ってあるロルの絵を気に入って、売ってくれないかって話になったんだ」

『んなぉ?』

「まあ、娘さんも私の絵は気に入ってくれてたから、勇者様の頼みでも難しいってことで、直接依頼出来るように私を紹介したみたいなんだけど……勇者様、わざわざ私の部屋まで来てくれてさあ! 勇者様がだよ? すごくない?」

『なふ』

「そんで、汚いアトリエ――って呼ぶにはどうかと思うけど――まで来てくれた勇者様がさ、ロルの絵だけじゃなくて、私の絵を買いたいって言ってくれたんだ。色使いが故郷の空気を思わせるらしくて……他にも私の絵を好きだって言ってくれる人は居る筈だから、そういう人たちに届けたい、って」


 お姉さんは俺を抱えたまま、アパートの自室へと向かっている。急斜面と化した道を上り、柵に覆われた階段を上って、一度下って、もはやオブジェとしか言えない塔の下を潜ってから、外付けされた階段を四階まで上がれば、お姉さんの自室の窓が見える。

 玄関側は使えない。三年前にテンションが上がりすぎた職人が時計台を玄関側の間近に建てたせいで、お姉さんの部屋は窓から出入りするしかなくなっているのだ。あまりにも不便な為に、家賃は実質ナシみたいなアパートである。


「だから、今は勇者様の言葉に恥じない絵を頑張って描いてる。ロルのおかげで掴んだチャンスだ、絶対に無駄にしないよ」

『んなーん』


 お姉さんの声は少し震えていて、涙に濡れているようにも思えたけれど、そこにあるのは悲しみや苦しみとか言う負の感情では無くて、熱意とか、やる気とか、そういう、眩しくなるほどに輝いた正の感情だった。


「そういう訳で、ロル。私からの感謝の気持ちだ! 思う存分味わってくれ!」


 力強い言葉の響きと共に、お姉さんが窓から室内へと入る。部屋の奥へと進んだお姉さんが引っ張り出してきたのは、火花魚スピサスだった。


 色鮮やかに輝く銀色の鱗。丸々と肥えた腹はずっしりと重く、つややかに輝いている。

 脂の乗った身を焼けば、したたり落ちるそれが火に弾けて虹色に輝くことから名付けられた中型魚は、猫どころか人族の間ですら滅多にお目にかかれない高級魚だ。


『にょねぬふっ!?』

「うぉわ、ロル、お前そんな声出たんだな……」

『ミ……ミ……』

「す、すごい遠慮の波動を感じる……」


 そりゃそうだ。火花魚スピサスなんて、野良猫にほいほいくれてやっていい代物では無い。

 前に身の残った骨を貰っただけで昇天するかと思ったほどの味である。実際三秒くらい気絶した覚えがあった。


 絵ってのは、何がきっかけで誰の目に留まるかなんて分からない。

 俺はただのきっかけであって、お姉さんの絵にヨゼフが惹かれたのは、単純にその絵にそれだけの魅力があったからだ。

 『俺のおかげ』なんてことはない。断じてないのだ。だからこんな美味そうな魚を俺が貰うわけには、美味そうな、や、やめろ、近づけないでくれ!


 鮮度も高く、脂の乗った火花魚スピサスの香りに、ついふらふらと近づいてしまう。

 勝手に食いつきそうになる顎を食いしばり、なんとかお姉さんを見上げて足を止める。本能から来る衝動を理性によって押さえつけた俺の窺うような視線に、お姉さんは祝いの酒らしい瓶を片手ににっこりと笑った。


「ガッと行っちゃってよ。私、魚苦手だから食べられないんだ、ロルが食べないなら捨てることになっちゃうし」


 聞いた瞬間、俺はこの世の有りと有らゆる真理に思いを馳せてしまった。

 捨てる? この極上の火花魚スピサスを? な、なんでそんな酷いことを。なんて酷いことを。

 そんなことを言われてしまえば、もう俺が食べるしかない。この火花魚スピサスが捨てられてしまうくらいなら――そんな悲劇が起こるくらいなら、俺が食べた方が良いに決まっている。


 目の前の皿に乗せられた魚の腹に囓りつけば、お姉さんは満足そうにもう一度にっこり笑った。芳醇な脂の香りに夢中になる俺の背を撫でながら、しみじみと「ありがとなあ、ロル」なんて言っている。

 いや、だから、お姉さんが認められたのはお姉さんが頑張ったからで、俺は――う、美味い。これは美味い。ああ、猫になって良かった。こんな美味いもんが食べられるとは。いや、これは多分人族になっても食えたかも知れないけど、でも、思い切りがっついても許されるのってよくないか? あー、何の話だった?


 口周りに残っている気がする脂まで丁寧に舐め尽くしている俺の頭を、お姉さんが撫で回す。


「おいしかった?」

『なぁーん』

「お、いつになくご機嫌な声だな、これは相当お気に召したと見た」

『にゃぅふ……』

「魚屋のおっちゃんのオススメは聞いとくもんだなあ。ふふ、喜んでくれて嬉しいよ」


 グラスに注いだ琥珀色の酒を飲み干したお姉さんは、半ば無意識に喉を鳴らす俺に嬉しそうに目を細めた。

 程よく酔いの回った柔らかい声が聞こえる。頑張るからね、ともう一度、決意を固めるように呟いたお姉さんの掌に頭を擦り寄せながら、応援の意味を込めて一声鳴いておいた。





 ――――魔族大陸ローカストスがいよいよをもって崩壊寸前である、という情報を俺が得たのは、とある若い雄猫と知り合いになってからのことだ。


『あっ! アニキ! 待ってくだせぇ!』

『……その兄貴ってのやめてくれよ、エイミー』


 基本、顔見知りでもない猫同士は殆ど目も合わせずにそれとなく距離を取る。

 俺は猫としてもちょっと異質な分、グロムの街の猫からは特に距離を取られていたのだが、この茶色の毛並みを持つ猫――エイミーには、怪我をしている所を助けてからというもの、妙に懐かれてしまっていた。


 エイミーなんて可愛い名前(大抵は雌の猫につけられる)で呼ばれている彼は、くりくりとした目にちょっと垂れ気味の耳という名前に見合った可愛らしい顔立ちだが、言葉遣いはこの通り、何処の魔族の下っ端だ?というような感じだ。

 最初は驚いたが、これはこれで可愛いので見ていて飽きない。まあ、兄貴呼びはちょっと勘弁して欲しいが。


『アニキ、ローカストスのこと気にしてたっすよね? オレ、ちょっと小耳に挟んだことがありやして』

『ふむ、ベラちゃん情報か。あの子は元気か? 怪我とかしてないか』

『そっす! 今回も無事に戻ってきたんで心配ないっすよ! まあ、オレとしちゃベラには危ない任務とかついてほしくないんすけど……仕事なんでしゃーないっすね』


 装飾品店のおかみさんから貰った干物を分けてやりつつ、エイミーの話に耳を傾ける。

 この男、どうやら伝声鴉の彼女がいるらしいのだ。異種族恋愛、ということになるのだが、本人(?)達が幸せならば、俺から口を出すようなことは何も無い。

 悲しいことに縄張り付近では変態として遠巻きにされているらしいが、別にエイミーが気にしている様子は無いし、たまに見かける二人は相思相愛で幸せそうだし。


 人間相手には情報を漏らさないように徹底教育を施され、幾つか戒めの魔法もかけられている伝声鴉だが、情報漏洩の咎に動物は含まれていない。

 俺は元は魔王だが、少なくとも今は猫だから、俺が知ってもベラの不利益になるようなこともない。人と猫が言葉を交わす術もないしな。


『あっち、大分ヤバいらしいっすよ。じょーか街も荒れ放題みたいで、少しでもイイ感じの土地を取り合ってドンパチやってるみたいで』

『……なんだってそんなことに。上の奴らは何をやってるんだ?』


 魔族は元々好戦的な種族であるとはいえ、自身の生命や生活を保つ為ならばある程度は協力し合って過ごせる筈だ。

 現に俺が魔王をやっていた頃は比較的安定していて――まあ悪く言えば平和ボケしていて――裕福などとは口が裂けても言えなかったが、ある程度の水準の暮らしは出来ていた筈だ。

 それがどうして、一年も経たずに崩壊の危機に陥ってる? 勇者から聞いた話で危ういことは知っていたが、滅ぶにしても、十年やら二十年やら、そんくらいはかかるもんだと思っていたんだが。


『なんかー、前のマオウひとりに仕事?集めすぎてたとかで、前までやってたやつらが仕事のやりかた忘れちゃってんですって』

『……マジかよ、そんなん有り得るのか?』

『ありえてっからそうなってんじゃないすかね! オレにはむずかしーことさっぱり分からねえんすけど、マオウがやってる仕事が多すぎて誰も次のマオウやりたがんねーらしくて、それでさらに荒れてるっぽいっすね!』

『はあ、成る程なあ……、よかれと思ってやってたんだが……結果的に成長の芽を摘んでたってことか……』


 俺に出来ることなら何だってやろう、と思って、任せられたことは何でもやってきた。

 そうすればきっと、いつか誰かに認められるんじゃないかと思って。でも結局他の奴らからしてみれば俺は言えば何でもやる便利屋みたいな――というか便利な道具みたいな扱いで、いつまで経っても魔王として認められることは無かった。

 それは偏に俺が魔族の社会には適していない性質で、要するに虐殺とか支配とか武力を示すとか、『求められる魔王職』ってもんをこなせなかった俺が悪かったんだが、その穴を埋めようという頑張りが、よもや魔族大陸ローカストスを滅ぼすことに繋がってしまうとは……俺ってつくづく、魔族向いてなかったんだな。


『んで、こっからがメインの話なんすけど』

『うん、どうした』

『ローカストスのやつら、残ったやつらでこっちに攻め込もうとしてるっぽいんすよね』

『なんだと?』

『魔族ってイッチダンケツ苦手じゃないすか。それがまあ、何か、いなくなったマオウへの怒り?みたいなのでまとまっちゃったみたいで』

『ろくでもない動機だな……』

『ゆーしゃ様とおーじょ様の結婚式も、それでお流れで、いまボーエー軍?を作って、こっちに入れないようにしようって準備してんですって! ここが一番王サマの街に近くて、海沿いだから、多分ここがキョテンになるらしいっすよ! よくわかんねっすけど!』

『……そりゃ、困ったことになったな』

『っすねー、オレもベラに危ないからそん時は街の奥にかくれてろって言われてます! オレとしちゃ、あいつの方がよっぽど心配なんすけどね……』

『まあ、困ったことがあったら言ってくれよ。俺で良かったら手助け――治療くらいはするからさ』


 エイミーは俺が治癒魔法を使えることは知っている。どう頑張っても助かりそうにない彼を助けたのが俺の魔法だから、それが治癒魔法であることはよく分かっていなくとも、俺が『傷を治せる』ってことは理解している筈だ。

 せっかくこうして知人、知猫?になったのだし、危ない目には遭って欲しくない。俺が出来るくらいのことなら幾らでも力を貸すつもりだ。勿論、彼の恋仲であるベラにも。


 心の底から『助けたい』と思える相手が居るのは幸せなことだ。だからこそ、此処で出会った彼らには辛い目には遭って欲しくない。

 いっそ此方に攻め込んでくる前に自滅してくれればいいんだけどなあ、なんて、到底元故郷に対して抱くものでは無い感情を込めて尾を揺らしつつ、俺は見えるはずもない魔族大陸を見据えるように、海の向こうを眺めていた。




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[一言] b級バックラーのコピペを思い出しました。
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