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3.廃教会


 雨が降った日は気分が沈む。

 全身がぶよぶよの膜に包まれたみたいな感覚がして、常に不快感がつきまとう。猫になって辛いなー、と思うことのひとつである。


 まあ、そういう訳で、こんな風に土砂降りの日はだれも出歩かない。みんな、自分のテリトリーにじっとして、雨が過ぎるのを待っている。

 猫歴五ヶ月の俺も無論それにならって、縄張りの中で一番居心地の良い場所──もはや誰も寄りつかない、古びた教会──に伏せてじっとしている。防御魔法でも張ればいいのかもしれないが、雨を弾きながら歩く猫ってのはちょっと珍しい部類の存在で、目立つような真似をするのは俺の本意では無いのだ。


『(……しかし暇だなあ)』


 くぁ、と欠伸を一つ。空模様を見るに、きっとこの雨は数日降り続くだろう。必要な恵みなのだし無意味に嫌うつもりはないが、それでも本能は忌避してしまう。

 早く止まないかな、と思いつつぼんやり内装を眺めていると、不意に足音が聞こえてきた。


 水音混じりの重い響きは、確かにこの教会まで向かっている。なんだってこんな古い教会に、と身体を起こすと同時に、もう閂もボロボロになっている教会の扉が開いた。


 土砂降りの雨から逃げるように滑り込んできた男の顔を見た瞬間、俺の口から「にゃっ」と声が漏れた。気持ち的には、『あっ』である。

 思わず声が漏れるのも無理は無い。俺の目に映るびしょ濡れの男は、前世の俺を倒した『勇者』だったのだから。


 勇者ヨゼフ。御年十七歳――もしくは十八歳。細身ではあるが鍛えられた身体に、青年と言うには少しあどけない顔を持つ男だ。

 聖剣を手に魔王城まで攻め入り、見事『魔王ロルフ』を討ち取った勇者。最終決戦を前に、仲間を危険に晒すわけにはいかない、とそれまで共に旅をしていた仲間たち――神子の王女、剣聖の騎士、七賢人の一人である魔法使いを人族大陸ミュステンへと残し単身乗り込んできた彼の印象は、なんとも誠実で、真っ直ぐな人間、というところだ。

 事実、彼について流れる噂は、全てが好意的なものだった。グロムの者にも、王都の民にも随分と好かれているらしい。そりゃそうだ、魔王を倒した英雄だもんな。


 しかし、国を挙げて奉られる存在の勇者が、一体なんだってこんなボロい教会に?

 混乱のあまり動くことも出来ず首を傾げ続けて数分。自身の身体を炎魔法の応用で乾かした勇者が、俺に向かって申し訳なさそうに眉を下げて微笑みかけた。


「すまない、此処は君の縄張りだったんだな。長居はしないから、少しだけ置いてくれないか」


 グロムの――というか、人族大陸ミュステンの人間は、誰も彼もが、身近な動物に親しげに語りかける。勇者であるヨゼフもそれは変わりないようだった。

 『んなーん』と気安い鳴き声を上げてみせれば、少しばかり強ばっていたヨゼフの笑みがより柔らかいものになった。


「……ありがとう」


 どうやらこの男、猫相手にも大分気を遣うたちのようだ。気遣いというか、居たたまれなさが全身から滲み出ている。……なんだか他人のようには思えなくなってきたな。

 分かるぞ。先客がいると、俺本当に此処に居て良いのかな、みたいな感じになっちゃうよな。

 ついでに言うと、例え俺が先客だったとしても、後から来た奴らが我が物顔で居ると「あっ、此処は不味いのか」みたくなって出て行きたくなっちゃうよな。すげー分かる。

 記憶の底から蘇った苦々しい思い出に、知らず、しんみりした気持ちで勝手に共感してしまった。


 ボロボロの長椅子の中でも幾分まともなものを選んで腰掛けたヨゼフに、そろりと近づく。何故かは知らないが、どうにもかなり落ち込んでいるように見えたのだ。

 勇者様を相手に俺が出来ることなんて殆どないだろうが、もし彼が猫を撫でて気を紛らわせることが出来るタイプだったなら、俺の毛並みくらいは使って欲しいと思った。


『なーん』

「……はは、なんだ、慰めてくれるのか?」

『なふ』

「ありがとう。…………きっと今の僕は、君にも分かるほど、顔色が悪いんだろうな」

『…………』


 その言葉は紛れもなく事実だったが、俺は何も答えること無くその場で腹を見せて転がった。

 猫はこういう時に言葉で空気を読まなくて良いから、ちょっと楽だ。全身を使った『俺の腹を撫でろ』という脈絡の無い要求に、ヨゼフは苦笑しつつ革手袋を外して俺の腹をもしゃもしゃと撫でた。予想通りの、優しい手つきだった。


 どのくらい腹を撫でていただろうか。

 優しい手つきながら的確に気持ちの良いところを撫でてくる素晴らしい手に若干意識が朦朧とし始めた頃、ヨゼフは独り言のように呟き出した。


「…………やっぱり、僕は、もしかしたら、とんでもないことをしてしまったのかもしれない」

『んにぃ?』


 実際独り言なんだろう。親しげに語りかけてきたとしても猫に相談事をする人間は――まあ、画家志望のお姉さんとかは結構相談してくるが――早々居ない。

 俯いたヨゼフは膝の上の俺を見つめたまま、微かに震える声で続けた。


「……君は、知らないだろうけど、僕は、少し前に魔王を討ち取ったんだ」


 知ってますよ、当事者なんで。とは思ったが、言わないでおいた。そもそも、言葉使えないしな。

 じっと見上げる俺に促されるように、もしくは、耐え難い苦しみを誤魔化すように、ヨゼフは俺に語り聞かせる。


「そうすることが使命だと聞いたから、そうしたんだ。僕は皆の平和を脅かす魔王を倒す為に生まれてきた、それだけが僕の存在理由だったから、そうしなければならないと思っていた」

『にゃふ』

「僕は……最北端のケイブリーで産まれて、山奥で爺様と二人きりで暮らしてたから、王都の暮らしどころか、普通の人の生活すら知らなかったんだ。でも、姫様が直々に迎えに来てくれて、……勇者だと言われて、助けてくれる仲間と一緒に旅に出た。見たことも聞いたこともない経験ばかりで楽しかったし、こんなに素晴らしい人達の平和を脅かす魔王なんて死んで当然だと思った。……思っていたんだ」

『なぁん』


 俺にはこの話の行く先が、何となくだが分かっていた。聞いていたいような、逃げ出してしまいたいような、妙な気持ちになりつつ、それでも俺の腹を撫でる勇者の手が震えているから、ただそっと、彼に寄り添うように寝転び続けた。


「……魔王はあっさりするほど簡単に倒せたよ。海壁の四天王なんかあんなに苦労して、みんな大きな怪我を負って、それでも何とか励まし合って少しずつ魔族大陸ローカストスへの道を切り拓いたっていうのに……」

『……んなふ』


 さっきとは違う理由で聞きたくない状況になってしまった。いやはや、いや、本当に、申し訳ない。防御力も攻撃力もゴミカスな魔王で、いやあ、真面目に恥ずかしくなってきた。そんなしみじみと俺の弱さについて言及しないでくれ。頼む。

 居たたまれなくなってころんと転がった俺に、ヨゼフの手は今度は背を撫で始めた。


「魔王が倒されて、これで何百年かはみんなの平和が保証されて、安心して暮らしていけるんだと信じてた。でも、多分、それは僕の勘違いだったんだ」

『にゃぅ?』

「魔族は容易く海を越え、人を襲っては殺している。それは紛れもない事実で、間違いは無くて、魔族は魔族同士でだって殺し合いをしていて、みんな醜かった。こんな奴らを束ねる王なんて死んで当然だと思っていた、……けど」


 ぽたり、と俺の頭に滴が落ちた。教会は所々屋根に穴が開いていて、雨漏りが酷いから、とうとう此処も駄目になったのかと思ったが、どうやら違うようだった。

 顔を上げれば、ヨゼフが瞬くたびに涙が滴となって落ちてくるのが見えた。お、おいおい、泣くなよ。どうした。大丈夫か。どっか痛いのか? 治癒魔法いるか?


「魔王が死んで、最初に魔王城が駄目になった。僕が逃げ出した頃には、城は崩れて使い物にならなくなってた。魔王がいなくなれば城が崩れるってのは聞いてたけど、こんな風に跡形もなく崩れるなんて聞いてなかった。姫様が言ってた文献にもあんな崩れ方は載ってなかったらしくて、魔王城ってのは、魔族大陸の要だから、建て直しが遅くなると土地が痩せるかもしれない、って。

 それから、僕が魔族大陸ローカストスから離れるための船を待つ間に、病院が立ち行かなくなったんだ。聞いた話だと、魔王が治癒魔法の使い手で、病院はそれに頼りっきりになってたって……小さな子どもが何人も苦しんでいたのに、僕は見て見ぬ振りをして逃げ出してしまった。

 その時から、もう既に、僕は何か、酷い、とんでもないことをしてしまったんじゃないか、って思い始めたんだ」


 一度言葉を切ったヨゼフは、そこでようやく息を吸って、涙を拭った。

 多分、誰にも言えずに我慢していたんだろう。魔族と人族には長い争いの歴史があって、諍いで出来た溝は容易く埋まったりはしない。小さな子どもが相手とは言え、勇者が魔族の心配をしてしまっただなんて、誰にも言えずに抱えるしかなかったに違いない。それこそ、野良猫くらいしか吐露する相手が無いくらいには。


「……魔族大陸ローカストスは、伝声鴉から聞く度に状況が酷くなってる。魔王城の建て直しも上手くいってなくて、大陸内で同族同士で殺し合っているって。土地が荒れて、秩序が乱れたせいで安寧の地を求めて、豊かな人族大陸ミュステンに……大軍で、押し寄せようともしてるみたいなんだ。

 ……姫様に頼んで記録を調べてもらったらさ、ここ三百年は魔族による被害がそれ以前の歴史に比べて激減してるんだよ。魔族大陸ローカストスも大陸内が比較的安定していて、確かにたちの悪い魔族は人間を襲いに来るけれど、殆どの魔族は大陸内で満足してわざわざ海を越えようなんて考えもしないみたいだって。それが今はこんな風になっていて、これから先もっと悪くなるかも知れないってことは、それってさ、つまり、…………僕があの魔王を討ち取ったのが原因ってことじゃないか?」


 ヨゼフの手は冷たかった。さっき炎魔法で身体の芯まで温めただろうに、冷え切っていて、震えていた。


 多分、この純朴な青年は『魔王を討ち取る』ということの本当の意味を理解しては居なかったのだろう。

 みんなを苦しめる悪者だと聞いていて、みんなに期待されていたから、だから言われるままに、それが使命だと思って魔王を殺した。それによって、国が滅びるかも知れない、なんて考えたことも無かったに違いない。


 俺は別に、それは間違いじゃないと思う。

 海を挟んでいるとは言え、自分たちを『食料』として見る生き物が居て、そのうちの何割かは明確な害意を持って此方を襲ってきて、その上、根本では習性としてそんな性質を持ち合わせている生き物が何千何万と居るのだ。

 恐ろしい悪意を持つ存在――自分たちより圧倒的な力を持つ外敵を前に、相手の生活やら将来やら考えても仕方ない。そんなことを気に掛けていて、自分が殺されたら元も子もない。


 正直なところ俺は、自分が軍を率いて人族大陸ミュステンを攻め落とすなんてのは、マジで身体的にも精神的にもしんどくて辛いし、多分誰も付いてこないし、『失敗したときに地を這っている支持率がマイナスを突っ切って暴動が起きる』恐れの方が大きかったからやらなかっただけで、もしも俺が真っ当な能力を持った真っ当な魔族だったら、きっと歴代魔王のように人族大陸ミュステンを滅ぼしにかかっていただろうと断言できる。

 魔族ってのはそういうものだ。どう足掻いたって、そういう風に出来ている。つまり俺は、魔族としては欠陥品みたいなもんだ。


 ヨゼフが変な罪悪感を抱いているのは、単に俺が歴代でも最も腑抜けた、碌でもない魔王だったというイレギュラーのせいであって、彼は勇者として限りなく正しいことをした。

 そもそも、王が一人死んだくらいで滅びるような国は、遅かれ早かれ滅びるに決まってんだ。だから、ヨゼフはなんも悪くない。いや、まあ、ちょっとは悪い……のかも?しれないが、きっと俺の方が何倍も悪い。

 寧ろ、踏ん切りのつかなかった俺を殺してくれたことに礼を言いたいくらいだ。いやほんと、ありがとう。本気で礼を言う。

 あのな、ヨゼフ。あの国、多分一回滅んだ方がすっきりすると思うんだわ。俺は魔王だったからよく分かるよ。分かってるよ。だから、そんな泣くなよ。


『んなーん……』


 零れ落ちる涙を拭おうとして、残念ながら舐め取るくらいしか出来なかったので、流石にそれはな~、と頬を擦り寄せる。

 ついでに、ほんの少し、気づかれない程度に治癒魔法をかけておいた。精神を落ち着かせる、鎮静効果のある魔法だ。魔族には不快感を齎すだけの代物だが、多分、人間になら効くだろう。

 しばらく泣き続けたヨゼフは、俺がゆっくりと弱く治癒魔法をかけている間に落ち着いたのか、土砂降りの雨が弱まり、ほんの少し晴れ間を覗かせる頃になってようやく笑みを浮かべた。


「……すまない、君の縄張りを荒らしたばかりか、こうして慰めて貰ってしまって。……情けない勇者だよな」

『ンミィ』

「……それはどういう声なんだい」

『ン゛ミィ』


 たし、と頬に軽くパンチを見舞ってやると、ヨゼフは、ぱちり、とその大きな垂れ目がちの瞳を瞬かせてから、また泣きそうな顔で笑った。


「ありがとう。君のお陰で、随分と心が楽になった気がする」

『んみぃ』

「……また、此処に来ても良いかな? 会えるときだけでいいんだ、今度は美味しい魚を持ってくるから」

『にゃふぉふっ』


 にゃんと! おいしいおさかな!

 おっと、いかん。完全に思考が吹き飛んでしまった。猫になったとはいっても心は俺のままのはずなんだが、たまにこういうことがある。


 何か素早く動くもんを目の前に振られたときとか、美味しい肉を転がされたときとか、夏木花エフィメスを放られた時とか。

 あの花、本当に訳が分からなくなるんだが、何で出来てんだ? ちょっと怖い。


 飛び上がってじっと期待の目を向けてしまった俺に、ヨゼフは少し楽しそうに「期待して待っててくれ」と告げて、光の差す教会を後にした。

 魔王と同じく、勇者ってのも重圧がある役職だろう。それも、十七年しか生きてない子どもには途方もなく重い肩書きに違いない。俺の相手をすることで少しでも彼の気が晴れたなら何よりだ。

 降り続くと感じていた雨だってこんなにも早く上がる。きっと、彼の苦しみにだって必ず終わりが来て、道が開ける筈だ。


 雲が避け始めた空を屋根に開いた小さな穴から見上げ鼻を鳴らした俺は、今日の晩飯を探すべく、壁の隅の崩れた穴からするりと外へ抜け、歩き慣れた道へと足を向けた。


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[一言] 魔族大陸は完全に自業自得とは言え理由を知らない勇者にとっては辛いことやったんやなぁ〜 彼が善人過ぎるのと単身で魔族大陸に行き、ボロボロをなる過程を見たのが原因で仲間の王女とか一緒にいればまた…
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