2.建築の街
――――グロムは、建築の街だ。
王都を作る為に各地から呼び寄せられた職人達が住み着き、アクの強い彼等が千年かけて好き勝手に建設や増築を繰り返していった結果、街中が迷路のように入り組んでしまっている。
建てるならばまずグロムを知れ、とまで言われる程には、街全体が技術の結晶なのだ。
しかして、技術と技巧、美しさはあれど、グロムはひどく歩きづらい。
『(これは猫じゃないと通りづらいだろうなあ……)』
坂道を上がり、隣り合う家々の合間を跳び歩いて、俺は螺旋状の階段をたったか下りる。
細い塀の上を通りに出るまで歩いたなら、いつも俺がおやつを貰いに行っている出店に到着だ。
「あらぁ、ロルちゃん! 久しぶりね」
『んなん』
「三日くらい見ないから心配してたのよ〜、どこ行ってたのかしらね」
うちより良いとこ見つけちゃった?と笑いながらお肉をお裾分けしてくれるおかみさんの足元で、切り分けられた鳥頭熊の前脚を齧る。
装飾品店を営む彼女の旦那さんは冒険者で、よく大型獣を狩ってきてはギルドに卸したものの余りをこうして餌用に取っておいてくれるのだ。
この辺りは一応、俺の縄張りとなっているから、他の奴らはあまり見ない。俺は仲良くしたって構わないんだが、どうも猫ってのはそうはいかんらしい。
猫として生活を始めて三ヶ月が経ったが、まだまだ知らないことだらけで難しいもんだ。
しかし、この三ヶ月は本当に幸福すぎて、夢なら覚めないでくれ、と何度も祈った。
まず昼前まで寝てても誰にも怒られないし、迷惑さえかけなければグロムの街の人たちは基本猫に優しい。
勿論、洗濯物を引っ掻いたり、店のものを勝手に食べたりしたやつは怒られてたが、それでも打たれたりしてるやつは見たことがない。
仕事に追われることもない。強いて言うなら鼠を駆除するのが役割のようだが、あれはあれで、追いかけるのが楽しい仕事だし、浄化魔法があるので食べるのに抵抗も無い。
トイレだけちょっと困るけど、まあ、記憶を持って生まれ変わった俺が悪いのでそこは割り切った。
とにかく、前世の比じゃないくらいに楽しい。
活気に溢れるグロムの街は大抵どこかしら増築中で見ていて飽きないし、飯は旨いし、街の人たちは俺みたいなのにも声をかけて可愛がってくれる。良いことづくめだ。
ロル、というのは靴下を表す言葉らしく、黒い毛並みに四つ足の先だけが白い俺にはそんなあだ名がついた。元の名前に似ているので響き的に違和感はない。靴下に名前が似てんのは、まあ、そっかー、とはなるけど。
装飾品店のおかみさんと、魚屋のおじさん、縄張りの端に住む五階建ての奇抜なアパートに住む画家見習いのお姉さん、それから商店街の近くに暮らす八人家族の末っ子ちゃんなんかが、俺のことを特によく可愛がってくれる。
何処を通るかはその日の気分だ。
何せ、俺はもう仕事に縛られてはいない。あちこちから上がってくる整備の不満に応えて予算を動かす必要もないし、日々起こる街中での喧嘩で大怪我する馬鹿の為に休日出勤しなくてもいいし、寝る前に明日の仕事で悩まなくたっていい。
スケジュールが分刻みだった時代は終わったのだ。
まあ、なんとなく、大体早朝に起きて飯食って、昼過ぎまで寝て散歩して寝て、夜になったら飯を食う、みたいなルーティンは出来てる。
「んん? ロルじゃないかー、丁度いい、気晴らしにもふらせてくれ……もうダメ描けない……」
『なふ』
「絵具が高すぎる……もう下着くらいしか売るもんがない……」
『……なーん』
「分かってるよ、そんなことしないさ、一応来週になれば当てがあるんだ」
部屋中に画材を散らしている部屋で寝転がるボサボサ頭のお姉さんは、画家を目指して王都にやってきた。城下町だと家賃が高いので、川を渡ったグロムの街で一番安い――つまりは非常に使い勝手の悪い――アパートの四階に住んでいる。
建物伝いにアパートの窓の前を通ったところ、お姉さんに干物を餌に呼び寄せられてからの付き合いだ。
この通り、若干ズボラな面はあるが良い人である。
困窮しているのに俺に餌を出そうとしてくるので、そこは丁重にお断りしているが。
むしろたまに俺が餌を持ってくることもある。魔族としては雑魚も良いところな攻撃魔法だが、食用の鳥を仕留めるくらいは出来るのだ。
半月前本格的にヤバい状態になってるお姉さんに獲物を渡したところ、『ありがとう、命の恩人、恩猫……』と頭を下げながら泣かれてしまった。
猫にご飯をやる人間は沢山いるが、猫にご飯をもらっている人間はお姉さんくらいのもんだろう。
その後、後払いで肉屋に捌いてもらった鳥を焼いて食べながら、お姉さんはもう一度泣いた。
どうもお姉さんは画家を目指すことを反対されて家を出てきたらしく、実家には頼れないんだそうだ。
日雇いの仕事をこなしつつ、絵を描いては売りに出している。いつか倒れてしまうんじゃないかと心配で、俺はこうして度々お姉さんの様子を見にきて、必要ならまた差し入れをしたりもする。
夢を叶えるってのは大変なことだ。特にこういう、才能が必要な職は尚更。
俺からすれば、お姉さんの絵は充分凄いと思うけれど、やはり無名の画家が売れるのは相当厳しいらしい。
画材の散らばった部屋の真ん中で転がるお姉さんは、しばらく俺の腹に鼻先を埋めたのち、ぱっと顔を上げた。
「ロル、そのままちょっと動かないでね」
『ぅなん』
「十分、いや五分で済ますから!」
鉛筆を片手にしたお姉さんは、散らばった画材の中からスケッチブックを取り出して、俺を見つめて手を動かし始める。
描きたい、と思った時にすぐ描くのがお姉さんの趣味だ。そして、沢山の人に評価されるものを描くのがお姉さんの仕事である。
趣味と仕事が同じだと大変そうだけど、お姉さんは空腹に泣くことはあっても、絵のことで泣いたことは一度もなかった。いつも、歯を食いしばりながら堪えて、描き続けている。
お姉さんの努力も、認められると良いなあ、と思う。
それは『転生の丘』で、ではなくて、今生で。お姉さんの絵が色んな人に評価されて、素晴らしいと持て囃される日が来てほしい。
そんなことを祈りつつ、俺はひらひらと飛ぶ蝶を視界に入れないように必死に堪え五分間じっとしていた。
「ロルー! ロル! こっち!」
来週になって下着も売りかけていたら、お姉さんのところに狩った獲物を持って行こう、なんて考えながら歩いていた俺を、幼い声が呼び止めた。
立ち止まれば、八人家族の末っ子ちゃんがこっちに走ってきている。その後ろには買い物袋を抱えたお兄さんが呆れた顔で立っていた。上から二番目のお兄さんだ。
「ニーナ、走ったら危ないっていつも言ってるだろ」
「ころばなかったもん」
「転んだ回数の方が多いくせに生意気言うな。ロルからも言ってやれよ」
『にゃあん』
尻尾で軽く末っ子ちゃんを叩けば、根が素直な彼女は唇を尖らせつつも「はーい、きをつけます」と答えた。
素直でよろしい。腹を見せて転がる俺をわしゃわしゃする末っ子ちゃんは、嬉しそうに笑っている。
両手が塞がっている次男坊がもどかしげにしているので、起き上がって足の間で遊んでおいた。
実際のところ、彼は生粋の猫好きである。が、猫を可愛がるのはダサいと思ってるのか、人目があるところではつっけんどんな態度を取られることが多い。
路地裏で俺と次男坊だけ、とかだと結構気軽に触ってくれるし、ぶっちゃけ彼の触り方が一番上手い。背中側をぐぐーっと撫でられるのが絶妙である。
「今日はどこ行ってたんだ? またロゼッタさんの所か?」
『なふ』
「旨いもん食わしてもらったか?」
ご機嫌に尻尾を揺らして見せれば、次男坊はほっとしたように小さく笑った。
家路につく二人を見守るように、塀の上を伝ってついていく。この街の人は、猫に話しかける人が多い。俺が会話じみた反応をするからかもしれないが、それでも大抵の人が言葉が通じてる前提みたいなノリで話しかけてくる。
人との会話に飢えている俺としては、有難いことだ。
嫌味や刺のない会話がこんなにも楽しいものだとは知らなかった。人語を話せるようにもしてもらえばよかったかなあ、と思ったが、そうなると今度は気を遣ってしまいそうだから、やっぱりこのままでいいと思う。
「ロル、ばいばーい」
家の前まで見送ってから、手を振る末っ子ちゃんに尻尾を振り返してお別れした。
さて、日も登って良い感じだし、適当に昼寝でもするか。
建物が入り組んだグロムの街だが、中央広場は案外日当たりがいい。催し事もするから人も集まりやすいのか、色んな人がちょっとした待ち合わせなんかに使ったりもしている。
行き交う人々の間を抜けて、グリフォンを模した石像の上を陣取る。背の上で身体を伸ばせば、温まりに誘われてすぐに眠気が襲ってきた。
「あ、ロルが寝てる。あそこ好きね」
「ねえ、海沿いにできたカフェ行かない?」
「パフェが美味しいんだっけ? いいよー、行こ行こ」
「はー、仕事サボりてえ……親方厳しすぎだろ」
「何言ってんだ、親方がお前の年の頃には、工具飛んで来るなんてザラだったんだぞ。怒鳴られるだけで済んで有難いくらいに思っとけ」
「そういうのもう古いっすよ〜」
「命にも関わんだから厳しくて当然だろ」
「やだもー、今月ピンチすぎるのにヒール折れたんだけど! 最悪!」
「あたし、めっちゃ安く直してくれるところ知ってるよ」
「ほんと? どこ!?」
「んっとねー、」
「にしても、魔族大陸は大丈夫なんかね」
「あー……こっちにまで来たりしなきゃ良いけどな……」
「王女様と勇者様の結婚式っていつだっけ」
「年明けって言ってなかったかなあ」
猫の耳というのは割と便利で、聴こうと思えばある程度の距離なら明瞭に聞き取れる。
広場内で交わされる会話は半分寝ている状態でも充分聞こえてきていて、俺はここでみんなの世間話を聞くのが案外好きだった。
魔族大陸は基本的に他人の悪口とか貶し合いが好きだったりするもんだから、世間話も聞いてて気持ちの良いもんじゃなかったし。
あ。そう、それだよ。さっき、なんか、誰かの口から『魔族大陸』って出てなかったか?
むくりと起こした体で辺りを見回すも、耳に拾った声は既に広場には無い。昼休憩も終わったからみんな仕事へ戻って行っていて、人波に紛れたその声を探すのはちょっと骨が折れた。
『(ローカストスに何かあったのか……? いや、まあ、魔王が死んだんだから何かあるだろうけど……、こっちに伝わるまでのことが起きてんのかね)』
寝起きでぼんやりしている頭で考える。
もしかして跡継ぎが決まっていないのだろうか。いや、確かに俺のもとに嫁いでくれる魔族令嬢はいなかったから子供はいないけれど、その辺は四天王組がなんとかする筈だろ。
エレジルは論外として、アールンは先の戦いで死んで、株分けした体が育っていないから魔王には立候補出来ないよな、ヴェラノイアのところは子供いたよな? 俺より使えるとか自慢してたし。まあ実際俺より攻撃魔法強かったし、ヴェラノイアの息子とか良いと思うけど。うーん、ノペは無性体だから子供いなかったよな。
正直日々の業務に追われている中で跡継ぎのことまで考える余裕なんてなかった。最後の十七年は完全に虚無の中で仕事してたし。
うーん……分からん。さっぱり分からん。
そもそも俺がこんなところで考えたとしてもどうにもならんしな。猫だし。
その辺りは魔王城の奴等がなんとかしてくれるだろ。たぶん。きっと。
くぁ、とあくびを一つかまして伸びをした俺は、再び居心地の良い場所を探ってから、石像の上で丸まって目を閉じた。