第59話 忽那の本領
「お主、大丈夫か?」
珍しく慎一を心配しながらロクが聞いた。
軍荼利明王への変化を解いて人間の姿に戻り、見た目怪我は治癒したように見える慎一だが、肩で息をしていて体力の回復までには至っていないようだった。
「ああ、カラスの野郎がカッコつけて俺たちを逃してくれたんだろ。早く助けに戻らなきゃな」
「シン兄、無理だよ。確かにどんな傷も治す瑠璃光だけど、万能じゃないって。それにカラスさん、忽那って人に勝てる考えがあるんだよ。体力が戻るまで少し辛抱してよ」
サキが慎一をそう窘めると、ロクも、
「今は体力を戻すのが先じゃ」
と慎一を諭した。
「もっと力が欲しい。正直アイツの強さはハンパなかった。軍荼利明王に変化しても全く歯が立たねえ」
座り込んだ慎一は、自分の拳を地面を叩きつけた。
「だからいつも言っていたであろう。いつか忽那はやってくると」
「ああ、ロクの言う通りだ。自分自身が不甲斐ないよ」
三人は、環状7号線を北上して豊玉陸橋辺りまで逃げてきた。左手に小ぢんまりとした私大があったので、そこに一旦身を隠す事にした。
勿論忽那に見つけられるであろうことは承知の上だ。
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慎一達が身を隠す少し前の事。
八咫烏は三度に渡り忽那の熱源を喰らっており、すでに満身創痍だった。
両の翼は破れ、深く傷ついていた。
「娘は、娘は無事なんだろうな?」
傷つきながらも八咫烏は娘である玉依姫の身を案じて忽那に問うた。
「指一本触れておらぬ。安心するが良い。しかし、貴様を亡き者にし、娘を好きにさせてもらう」
確かに忽那は玉依姫を監禁しているものの何一つ危害は加えていない。
「さて、貴様の思う通りになるかどうか」
「そんなズタボロになってそんな口がよく聞ける。恐怖で気でも触れたか?八咫烏よ」
「いつまでもほざいていろ」そう言うと、八咫烏は渾身の力を込めて空高く舞い上がった。
その時である。
八階建てのマンションに被って見えなかった太陽が姿を見せた。
太陽を背負った八咫烏はそのまま急降下して忽那に体当たりをして行った。
「よし。やったぞ!」
忽那を捉えた確信があった。
八咫烏は体を捻り、三本の脚を忽那に突き立てた。
「貴様もこれで終わりだ!」
笑みを浮かべ忽那に突っ込んでいった八咫烏だったが…忽那は三本の脚に潰される寸前で少し体を時計方向に回転させ、この急襲を躱したのだ。
「なにっ!忽那は眼が弱いはずだ」
忽那の熱源を三発も浴びながら、忽那の弱点を突くタイミングを待っていたのだが、果たして不発に終わってしまった。
今度は八咫烏が守勢に回る番だ。これ以上あの熱源を喰らう訳にはいかない。今度喰らえば、タダでは済まないことは自分が一番よく分かっている。
「小賢しい。その程度でこの忽那が狩り取れるとでも思ったか!」
「貴様を試したまでよ。この程度でお仕舞いになるようでは困る」
しかし、八咫烏の精一杯の強がりは忽那には通じなかった。
「さあ、もう終わりだ。俺はとても機嫌が悪いんだ。直ぐに眠ってもらうぞ。永遠にだ」
(熱源さえ躱せれば、まだ勝機はある…)
心の中で八咫烏は呟き、熱源が発射されるタイミングを見ていた。
しかしだ。
忽那は恐ろしいほどのスピードで八咫烏に接近し、肩から上腕にかけて見事に盛り上がった筋肉に任せて八咫烏を殴った。
「ぐうう」
八咫烏は短く声を漏らした。
(嫌な音がした。肋骨が何本か逝ったな…)
意識は飛んでいない。しかしその事で悪魔のような痛みと格闘する羽目になってしまったのだ。
「俺にはまだ腕っ節だけで貴様を殺すことができる。しかしまだくたばらんのか。しぶといな。八咫烏よ」
「貴様なんかに、貴様なんかにやられはしないぞ!」
声を出すだけで身体がバラバラになるような痛みが襲う。
(これが最後になるかもしれないな。もう、出し惜しみはできない…)
そう八咫烏は心の中で決意を、命を賭した決意を固めたのだった。