第57話 元紀と有紀
有紀は、中央線に乗り新宿方面へ向かった。
時間が止まっていた間の記憶は無いものの、黒い「闇が瞬く間に自分の乗っていた電車を呑み込んだ様を思い出し、恐怖が無い訳ではなかったが、行き先は高円寺だ。職場へ出勤する際と同様この電車に乗る他ない。
立春を過ぎたとはいえまだ2月。この日は日差しが柔らかく、暖かい。来週のヴァレンタインデーを一足先に二人で過ごすカップルが散見される車内も心なしか穏やかな感じだ。
あの日、慎一がオートバイ事故にあった日から丁度一年だ。事故にあったのは10日の深夜、亡くなったのが11日。一周忌が中野で営まれるが、家族よりも先に有紀は事故現場に赴いて献花をするつもりだったのだ。
高円寺の駅で降り、新高円寺駅に向かって南下。青梅街道を越えると、その道は「五日市街道」と呼ばれるようになる。
有紀はまず高円寺駅の近くにある、フローリスト「フルール・ブランシュ」で花束を見繕ってもらった。
5000円を払うと、その花束を抱えて歩き始めた。
この日まで、有紀は父哲朗、弟航輝と共に何度となく訪れた。最初のうちはその場で泣き崩れる事もしばしばであったが、この頃はもう少し冷静に事故現場と向き合うことができるようになっていた。
しかし、現場に着いた有紀はその人物を目を見開いた。
「川上、さん?」
「あ、白石さん。ご無沙汰してます」
そこに非番なのか、私服を着た川上元紀が慎一に献花をしている姿があった。
「わざわざ花を手向けて下さったんですね。あ、アネモネ。慎一、好きだったんですよね」
元紀は少しはにかみながら答えた。
「アネモネを選んだのは花屋さんなんですけど。この紫色のアネモネの花言葉を教えてもらったんですが、白石さんはご存知でしたか?」
「ええ、『君を信じて待つ』でしたよね?」
「よくご存知ですね。風戸選手、きっとずっとずっと白石さんを天国でも見守っているんだと思います」
有紀は、少し躊躇いながらも勇気を出して元紀に聞いた。
「川上さん、なぜ慎一に花を?」
自分が搬送した要救護者であっても、救急隊員が個人的に特定の人物に対して献花をするのには違和感を禁じ得なかったのだ。
「そうですね」
と、短く元紀は答えて、
「一年前のあの時、白石さんが見間違えるくらいに僕と風戸選手は似てたんですよね。他人とは思えなかったんです」
と有紀の目をまっすぐ見てそう続けた。
「この後、一周忌があるんです。今日、もし川上さんが非番でいらっしゃったらきて頂きたいのですが…」
有紀は思いつきで元紀に言った。
元紀は、少し考えて、
「せっかくお誘いいただいたのですが、遠慮しようと思います。いえ、嫌というわけでは勿論ないんですよ。ご遺族の方が、私が現れることで少し混乱してしまわないかと心配で」
有紀は、
「でも」
と言いかけたが、それに続く言葉を呑み込んだ。
「そうですね。そうかも知れません。川上さんをお見かけして、思いがけず私も舞い上がってしまって。変なお願いをして申し訳ありませんでした」
「いえいえ、そんな、謝らないで下さい。あ、そうだ」
元紀はそう言って、持っていたディパックからメモ帳とボールペンを取り出して何やら書き出した。
「これ、僕の職場の連絡先なんです。今度是非いらしてください。隊長もきっと喜んでくれると思います」
「私なんかが行ったらお仕事の邪魔になるのでは?」
有紀は至極普通の反応を見せたのだが、元紀は意に解することなく、
「もしよかったら、白石さんの連絡先も教えてくださいよ」
と有紀に答えた。
「は、はあ」
有紀はそう返答するのが精一杯だったが、自宅の電話番号を書いて元紀に渡した。
この様子を慎一達四人は見ていた。
「元紀君、上手いこと有紀とつながりを持ってくれそうだな」
「シン兄がモトキさんに、そう言うように言ったの?それで本当にいいの?」
サキが心配そうに聞く。
「いや、俺が何か言ったわけじゃないよ。もし、有紀が元紀くんの事を、その、好きになったとしたら、俺はひょっとして成仏できるんじゃねえかな」
慎一が真剣な眼差しでそう言うと、ロクは、
「お主にはその前にやる事はまだある」
と、いつもとは違って少しも茶化すことなく慎一を諭すように呟いた。