第56話 賽の河原
「解せぬ」
眉間にしわを寄せながら、忽那は煉獄から現世に繋がっている三途の川を腰まで水に浸かりながら渡っていた。三途の川も正しく言えば煉獄の一部分だ。
河原では小さな子供が ー どうして幼くして亡くなったのだろうか ー 石を積んでいる。
うまく塔のように積み上がると、子供達は手を合わせて拝むのだが、すぐに恐ろしい形相をした背丈が2メートルほどもある鬼がやって来て、せっかく積んだ石の塔を崩すのだ。
「賽の河原」
現世の人間たちはこの三途の川の河原をそう呼ぶ。
この幼子たちは、親よりも先に死んでしまった科により、積んでは崩される、を繰り返す苦行を強いられているのだ。
親よりも早く死ぬことは許されることではないという事らしい。
鬼が次々と子供達が積んだ塔を崩すのを見て、忽那が疑問を挟んでいるわけではない。
「閻魔の奴、何故にこの私に鍋島の化け猫と一緒にいるあの男を始末させぬのだ。この私なら、奴を亡き者にするのは容易いこと」
忽那は明らかに苛立っている。
「今までも何度もその機会はあった。玉藻前が鍋島の化け猫に引き裂かれた時も、タガメの時も、不死鳥の時もそうだ。そして八岐大蛇。あの男は次々と我々の仲間を…いや、仲間などではない。閻魔の使いの者たち倒してしまう」
「見たところ大した闘神は持ち合わせていないようだが、不気味なのは精神のが可変で、その振り幅がとてつもなく大きいという事だ」
忽那は実に慎一の事をつぶさに観察していた。
「まだ、私に勝るものは何もない。万が一つにも私が負ける要素などない。しかし、何故なんだ。何故閻魔を裏切り、あの化け猫はあの男を助けるのか。そして八咫烏の奴め。式神など寄越して娘を監視させあまつさえあの男と行動を共にするとは。許せぬ」
忽那の怒気は頂点まで昇って行った。
「式神を操っているのは誰だ…猫ではないな。あの未熟な男でもない。八咫烏だとすれば最初からそうしているだろう。そうか、あの娘…」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うぅうっ、寒い!」
日野の有紀の家の周りで妖に対する警ら中だったサキは突然悪寒に襲われた。
「どうした、サキ? 寒いってお前死んでるのに風邪でも引いたのか?」
「シン兄、幽霊だって風邪は引くんだよ? 知らなかったの?」
「初めて聞いたぜ」
「死んでたってシン兄は妖怪にコテンパンにやっつけられてひどい傷を負ったりしてるじゃない!」
「ぐっ、それとこれとは…」
「なにが違うのよ!」
「貴様ら面白いな」
八咫烏が割って入った。
一瞬慎一とサキはお互いに顔を見合わせたが、またすぐに諍いを始めた。
「おい、六左エ門、あいつらはいつもああなのか?」
「痩せガラスよ、ワシは又六郎じゃ。六左エ門ではないぞ」
「貴様、どさくさに紛れて私を痩せガラスと呼んだな?」
「やや、これは失敬じゃ。フハハハハ!」
八咫烏は怒りに任せて右の翼でロクを吹き飛ばした。姿こそ人間の形をしているが、八咫烏の背中に灰色の羽が生えている。
「お主! 老人は労わるもんじゃぞ! 何をしてくれる!?」
「元気な老人だ。長生きしろ」
ロクと八咫烏が喧嘩を始めると、慎一とサキの諍いは終わった。
「ネコちゃんも相変わらず気が短いのね」
「本当だな」
四人は「新宿事件」の後、一ヶ月少し経ったが、特に妖の類が攻撃してくることがなくなった事にむしろ警戒を強めていたが、それがストレスにもなっていたのか、喧嘩をしやすい雰囲気になっていた。
そんな時、有紀が家から出てきた。
今日は土曜日。会社は休みのはずだが、出社する時と変わらぬ時間帯に、少しよそ行きの服装をして。
「おい、慎一よ。有紀殿はどこへ行くんじゃ?」
不思議に思ったロクが慎一に聞いた。
「あー、まあ、付いていけば分かるんじゃないかな」
と、慎一。
「シン兄、勿体ぶって!なんなのよ!」
サキは怒っていたがお構い無しに残りの三人は有紀についていった。
慎一が、三人に言った。
「今日は2月11日だったよな」