第55話 煉獄にて
地獄は、悪人が死後落ちる世界で奈落とも言われているが、煉獄は天国との中間に位置し、現世との往来を可能にしている領域だ。
玉依姫は ー 八咫烏の娘だが ー 生きたまま忽那によってこの煉獄に囚われている。父親の八咫烏同様、彼女もまた無理やり時空を超えさせられたのだった。
忽那は、玉依姫に何かをするわけでもないが、煉獄に結界を張って玉依姫の行動を制限した。
いつもどこから行ってしばらく戻らないが、時折戻ってきてはその大きな体躯からは想像できないほど繊細な、それでいて冷徹な視線を玉依姫に向けるのであった。
忽那は黙して語らず、玉依姫が何を訪ねても答えることはなかった。
ただただ、行動を束縛し、冷たい視線でさらに玉依姫を縛るのである。
流石に長い年月忽那にそうされていると精神を病んでくる。玉依姫は、心身ともに破綻寸前だった。
この煉獄には地獄に堕ちるほどではないが、罪を償う必要のある死者が来る。
地獄との違いは、永遠の苦痛を与えられる地獄に対して、苦痛に耐え、罪を償ったと見なされれば極楽へ行けるということだ。
忽那は、地獄と煉獄と現世の間を往来できる。
そして時空すら自由に往来できる存在である。
八咫烏から玉依姫を奪い、ここに匿っている。
玉依姫は、久し振りに何処からか帰ってきた忽那に向かって、
「忽那様。私はいつ、お父様の元に返していただけるのでしょう」
と、か細い声で聞いた。
忽那が言葉を発したことは玉依姫の記憶の限りない。
玉依姫に近づいては、おもむろに目を閉じて、踵を返して去る。その繰り返しだ。
危害を加える事もしない。
玉依姫が聞いていたような、恐ろしい、残忍な妖怪という一面を見たことは一度もなかった。
またいつもと同じように忽那は目を閉じた。
「まただわ…」
諦観にも近い感情が玉依姫の心の底に沸々と湧いた。
そして、彼女は俯き、後ろを向いた。
「お前の父親と相見える事になった」
玉依姫は驚いて振り返って忽那を見た。
「初めて、話してくださったのね」
想像していたよりも、遥かに清らかな、透き通る様な忽那の声に驚いていた。
「お父様と相間見えるのですか」
「今、そう言った」
忽那はそう言い残して、いつもの様に踵を返して檻から去っていった。
憂のある表情、透き通った声。そして思いのほか優しそうな話し方に、玉依姫は忽那に興味をもった。
父から引き離し、ここ煉獄に匿った憎い相手なのに。
「いえいえ、私は、彼の方を許してはいないのです」
独りごちた玉依姫は忽那が自分の侍女を引き裂いた後、ここに連れてこられた日のことを思い出していた。
「父上にお力を」
と、目を瞑って俗世の入り口に向かって祈りを捧げた。