第5話 川口 健三
慎一の四時間耐久レースの活躍により慎一がバイク店で働いていること、そしてバイクのレースをやっていることが、とうとう母敬子に知れてしまった。
改めて敬子にエグゾーストノートの社長川口健三とともに、今までのことを詫び、これからのことについて承諾を得るため上河内を訪れた。
敬子は無言だった。
時折、慎三の遺影を見やりながら目を閉じるばかりであった。
いたたまれなくなった川口は、
「お母さん、慎一君の将来は私が決められることではありません。ですが、私なら、慎一君の夢を叶えてあげるお手伝いができると信じています」
と口火を切った。
敬子は重い口を開いた。
「川口さん、とおっしゃいましたね。」
重苦しい感じで口火を切った。
「あの子の夢、といまおっしゃいましたが、慎一はオートバイのレースをやることが夢なんでしょうか? 私には一言も言わなかった」
川口が答える。
「もっと早くお母さんに本当のことを話したかったんだと慎一は、いえ、慎一君は言ってくれました。」
慎重に言葉を選びながら答える川口。
「恥ずかしながら、慎一君のお父さんがバイクで亡くなった事、お母さんに内緒で私どもの店で働き出したこと、お母さんからのお電話を頂くまで私は全く知りませんでした。」
言い訳がましいと思ったのか川口はすぐな言葉を継いだ。
「責任逃れで言っているのではありません。大切なお子さんをお預りしている事をもっと早くお母さんにお伝えすべきだった。私は経営者として失格です」
「いえ、川口さん。この子なら、どんなことがあってもあなたに本当のことは言わなかったでしょう。何度もあなたは私と話しをしたいと持ちかけてくれたはずです」
「それはそうですが、しかし」
「多分慎一は私が病弱で合わす事ができないとか何とか言ったんでしょう」
その通りだった。
18歳の就職である。個人商店は小さな職場なので信頼関係が一番必要とされる。
慎一の身元をきちんと把握しておきたかったが、慎一はのらりくらりと、時として頑として彼は川口の上河内訪問を断った。
「この子は人一倍気を使うのです。でも、自分のやりたいことはどうしてもやりたかったのね。」
川口は頷く。
「あの人があんな亡くなり方をしたので、私はオートバイに乗るなんて大反対だったけれど、慎一がバイクに乗りたいと言い出したら許すつもりだったんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。父親の影響を受けていましたからね。もう、既成事実があるし。でも、私に隠してたのは許せないわ」
川口は心中そりゃあそうだよな、と思った。
「でも、この子はこの子。私の勝手な思いで縛ってはダメ。一人の男として認めなければならないのかもしれないわね」
川口は思いもしない敬子の言葉に驚いた。
慎一は黙って下を向いたままである。
「慎一、顔をお挙げなさい」
「はい」
慎一は心配をかけたくなかったが、いつしかレースの世界に没頭してしまいそのことを忘れかけていたのを恥じていた。
「ひとつだけ条件があるわ。これを守るなら、レースを続けなさい。できないなら乗るのを止める事」
「どんなこと?」
「簡単なことよ」
「え?」
「レース以外では、死なないこと。」
慎一はどういう事だ? という顔をした。
「あの人は仕事のなかで亡くなった。あなたはこれからレース一色になるでしょう。レースではどんなことが起きるか分からないから、私には息子はいない、そう考えることにするわ、お母さん」
敬子が放った条件重い一言だった。
「か、母さん…」
慎一が呼びかけたまま絶句している。
川口が助け舟を出す。
「レースでも死なせません。私は若いライダーがレースで散っていくのを何度も見てきた。その度に思うことがあります。」
敬子は川口の言葉に耳を傾けている。
「レースで死なないこと、これって勇気のいることなんですよ。速いマシンに乗っているライダーは必然的に速く走りたくなる。それを抑えなさいって言うことですから」
一呼吸おいて、
「私は彼をレースでは死なせません」
敬子は川口の誓いに答えた。
「この世の中に、絶対なんて事は人はいつか死ぬということだけよね。でも川口さんがいうならきっと大丈夫のような気がします。どうか息子を分別のある人間に育ててください。」
父親の葬儀でも涙がなぜか出てこなかった慎一の頬に、一筋の熱い涙が伝っていた。
「心配するフリして、自分が苦しくなるのを嫌がっているだけなんだわ」
そう敬子が言うと川口は、決意を語った。
「いえ、慎一君はお母さんの気持ちをよく分かっている本当にいいお子さんです。私が責任を持って慎一君をライダーとして、社会人としてひとり立ちできるまで、しっかり面倒見ます」
網戸の外は暑い夏だった。
ツクツクホウシがけたたましく鳴いている。もう少しで秋の訪れはもう少しだ。