第49話 五法具
翼を二回羽ばたかせて、化け猫に変化したロクの急襲を八咫烏は易々と躱した。
「空を飛べぬ貴様など、恐るるに足らんと言ったはずだ!」
「カラスのおっさん、それはちょっと早計じゃねえか?」
八岐大蛇を横目に見ていた慎一はニヒルに笑って言った。
ロクは態勢を変えると、垂直に約二十メートル程の驚くべき跳躍を見せ、八咫烏の右翼に一撃喰らわせた。
慎一は化け猫に変化したロクの実力をよく知っている。
「バカな!」
八咫烏は想定外の攻撃に躊躇して回避行動が遅れた。
致命傷を負うのは免れたが、鋭いロクの爪が翼をかすめて、黒い羽根が二、三枚揺れ舞いながら落ちて行く。しかし深手を負わせたわけではない。
しかも八咫烏に急襲はもう効かない。
窮したのはロクの方だ。
「無念じゃ。一撃で痛手を与えられなかったのは痛かったのう。」
八咫烏は、《闇》の底に降りたロクの周りを左回りでロクの挙動を眼で牽制しながら飛んでいる。
ロクはロクで跳躍は何度も繰り返せるものではないらしく、八咫烏の動きを監視しながら次の跳躍に向けて力を蓄えているようであった。
ロクと八咫烏は膠着状態に陥った。
一方、慎一は慎一で孔雀を失い、残る六つの蛇頭に対して攻め手を欠いていた。
「あ、そっか。」
と言うと、憑き物が落ちたように慎一の表情が晴れやかになった。
「蛇には蛇だ!」
慎一は孔雀明王から軍荼利明王に変化した。
軍荼利とは、とぐろを巻く蛇を指す。
「不細工どもめ!今から退治してやるから待ってろ!」
《シャ~~、シャ~~》
憤怒の表情をした軍荼利明王の八臂に巻き付いた蛇が八岐大蛇を見据えて牙を剥いている。
慎一は、球体の《闇》の頂点あたりにいる八岐大蛇に近づいて行った。
「ガキが!我ら蛇頭を舐めるな!」
「お前など一噛みで殺してくれる!」
「死ね!死ね!」
蛇頭たちは口々に近づいてくる慎一に向って威嚇を繰り返している。
慎一は、印を結ぶ腕を交差し、怯まず突っ込んでいった。
逆立った焔髻からは炎が立ち上がっている。
いつもは甘露軍荼利真言『Om amṛte hūṃ phaṭ (オン・アミリティ・ウン・ハッタ)』を唱えて圧倒的な力で敵を八つ裂きにするが、今回は印を結ぶ腕以外に持つ武器、金剛杵、金剛鈎、三叉戟、輪宝、羂索を使ってみようと思った。
甘露軍荼利真言は体力を著しく消耗させるからだ。
「喰らえ!この野郎ども!」
と、叫びながら三又に分かれた槍三叉戟をクジャクに頭をつぶされた八番目の蛇頭の左隣、一番目の蛇頭に突き立てた。
「グええぇええェええ!」
三叉戟の効果はすさまじく、これに突かれた一番目の蛇頭は直ぐに炭化し、ボロボロに崩壊していった。
「次はてめえだ!」
と言って一番目の蛇の一つ飛ばした右隣、七番目の蛇頭に輪宝を投げつけた。
輪宝は自ら高速で回転し、敵を散逸することが可能だ。見事に命中し、蛇頭を正面から二つに割った。
七番目の蛇頭は断末魔のように
「貴様!殺してやる!殺してやる!」
を、切り刻まれても繰り返している。慎一は、軍荼利明王の中で、
「殺されてるのに殺してやるはないだろう」
と笑いを堪えるのに必死だった。
そのまた右隣、五番目の蛇頭には羂索を。投げ縄だ。首に引っ掛け、念を送ると今度はあっけなく石化した。
二番目の蛇頭には金剛鉤を力任せに刺して引っ張った。蛇頭は無残に胴体から引き離され、《闇》の底に落ち、泡となって溶けて無くなった。
残るは、六番目の蛇頭のみ。
手元の武器は金剛杵が残った。
「うらぁ!くらえ!くそったれめ!」
慎一は金剛杵を振りかざし、六番目の蛇頭に飛びかかった。
六番目の蛇頭は、金剛杵を噛み砕き、軍荼利明王の宿った慎一の印を結ぶ右のほうの腕に噛み付いた。
「我らを、舐めるなと言ったはずだ!」
「うぐぐぐぅあああぁあ!」
毒牙にかかった慎一の身体は痺れ始めた。