第33話 玉藻前(たまものまえ)
慎一が元紀から出ると、元紀は正気に戻った。
「亀石さん、手、手を離してください」
「ああっ?」
捻り上げた胸元に当てた手を緩めると短く吼えた。
「すみません、少し疲れが溜まってるみたいで。あとは全部自分でやります。申し訳ありませんでした。」
「お前らしくないだろう。どうしたんだ。何かあったのか?」
「いえ、本当になんでもないです」
亀石は気の短い男だが、曲がった事が嫌いなだけで基本的に善人である。
元紀の事は、自分の部下ではないが、常に一生懸命使命を果たそうとしている姿を見て感心している。
「それが終わったら、誰かに勤務変わってもらえ。現場で使い物にならん。今日の週休要員はサカキだったな?」
「カメさん、ちょっと待ってくださいよ」
口を挟んだのは救急隊長の山崎だった。
「自分が見極めますんで、ちょっと口出さんでください」
「ヤマ、お前甘いんじゃないか?モトキの惚けぶり、見ただろうが。お前の足を今のモトキは引っ張りかねないぞ。」
「分かってます」
亀石は上司ではないが、歴戦の勇者として名を馳せている。
年長者へのリスペクトだ。山﨑は一礼して片付けが終わった元紀に来るように促して、奥の応接室に連れて行った。
「お前、なんか変だったぞ?この世にいないような感じだった。なんか、なんかあったんじゃないのか?」
「隊長、すみませんでした。亀石さんにあんなことまで言わせてしまって。本当に何でもないです。ちょっと昨晩の件が引っかかってて」
「本当に大丈夫なのか?榊原も待機しているんだ」
「榊原先輩には申し訳ないですし、もう大丈夫ですから。これでも隊長にしごかれてここまでやってきてるんですよ、自分」
山崎は目を挟めて、
「そうか。三十分休め。呼びに行く。出場が掛かったら三十分じゃなくなるけどな」
というと、踵を返して部屋から出て行った。
「隊長、物凄く勘が冴えてるな…この世にいない見たいだって」
元紀は先ほどの山崎の見透かしているような眼が恐ろしく感じられた。
(風戸さん、今なら大丈夫ですよ。)
心の中で念じると、慎一が意識の中に入ってきた。
なんとも気持ちが悪いあの感覚がまた襲ってきた。自分の身体が奪われて自由がきかない。それでいて意識はハッキリとしている。
(さっきは申し訳なかった。あんなタイミングで君の中に飛び込んだのは本当に申し訳なかった。それに、君の中に俺が入ると、君は自由を奪われるんだな)
(そうみたいですね)
(頼みがあるんだ)
(頼みってなんですか? 自分にできることですか?)
(と言うか、君はあの世の者が纏わり付いているのをやけにすんなり受け入れるよね?)
(あー、そうですよね)
(そうですよねって)
笑う慎一。
(頼みって言うのはさ、言いにくいんだけど有紀を、見守ってやってくれないか。って事なんだけど。)
(なんで自分なんですか?)
(見た目が似ている、って言うのは君も否定しないだろう?)
(ええ、こんな似てるなんて不思議な感じです。)
でも、と言って元紀は続ける。
(似てても、自分は風戸さんじゃない事くらい有紀さんだってわかるでしょう。それに似ている事を良いことに婚約者を亡くした人に近づくなんて、卑怯者みたいじゃないですか!)
(まあ、そうだよな。君の言うことは正しい)
そこに闖入してきたのは、サキとロクを追ってきた、妖艶な和服姿の妖だった。
二人とも痛手を負っている。
「すまぬ、お主の邪魔をしたくなかったのだが、こやつはちと強いぞ。」
「シン兄、ごめんね。私が弱いばっかりに。」
「大丈夫か?おまえたち!」
元紀に完全に憑依した慎一が、この妖、名を玉藻前という。正体は九尾の狐だ。
「お前たち、まとめて相手してあげる。掛かって来なさい」
「女を殴るのは趣味じゃねえがな。サキをこんな目に合わせやがって。ただで済むとは思ってんじゃねえだろうな?」
「それは、お言葉だね。お前なんぞ一捻りしてくれるわ!」