第32話 元紀の中で
「えっ、あなたは、か、風戸さんですよね?」
実世界でフリーズした元紀の体の中では、慎一がそこにいる。
「君は僕を助けようとしてくれた救急隊の人だね?」
「ええ、でも助けることができませんでした。申し訳ありませんでした」
「はは、何を謝ることがあるんだ?君のせいじゃない。僕は昨晩あの場所で死ぬ運命だった。それだけのことだよ」
「しかし、」
「しかし、なんだい?」
「人の命を救う仕事をしていて、そうできなかった事については、仕方ない、なんて割り切れるわけじゃありません」
「そうやって、何人もの人を見送ってきたんだろう?その人たちのことを今でも悔やんでいるのかい?」
「ええ、ひと時たりとも忘れたことがない、なんていうことはウソになりますが、ちょっと時間ができて独りでいると思い出すことがあるんですよ」
「君は真面目なんだね」
「それが取り柄ともいわれますが、あまり褒められた気分には・・・いえ、聞きたいんですが、風戸さんは何故『ここ』にいるんですか?」
「ああ、クソ猫がな、俺が事故を起こした原因をつくったボケ猫なんだが、随分と昔から生きながらえている化け猫なんだと」
「はあ、自分には見えませんが・・」
「今君の周りにはすでにこの世の者ではないのが俺を含めて3人?、いや、2人と1匹いるんだ。ただし、あの猫は君の前に姿を現そうとしたければできるようだけどね」
「そうなんですね。それで風戸さんはなぜ僕の中に入ってきたんでしょうか。亀石さん、あ、この怒っている人なんですけどどうにかしないと困ります」
「病院に駆け付けてきた女の人がいただろう?」
「え、ええ。風戸さんの婚約者、と聞きました」
「ああ、有紀っていうんだ。結婚式の打ち合わせをしていた。弟と一緒にね」
「・・・」
「弟は航輝っていうんだが、いい奴でね。俺に弟はいないんだが、本当の弟のように思っていた」
「弟さんを送っていった帰りだったんですね?」
「そうさ。光輝を乗せているときじゃなくて良かったよ」
「そうですね」
「それでさ、君に頼みがあって」
「はあ、その前に自分の頼みも聞いてくれますかね?」
「え?あ、ああ。亀石さんを何とかしないとね。はは」
「そうですよ」
慎一は一旦元紀の体から出ることにした。
ロクは教えてくれなかったが、元紀の意識の向こうに光が見える。元紀を通り過ぎて光の中へまるでドアを開けて出るように出て行った。