第10話 バガボンド
ふっと目を覚ますと、俺は俺を見ていた。
何故か俺は、病院の集中治療室みたいなところに横たわり、人工呼吸器をつけられて苦しそうにしている。
俺は、その「俺」を2m位の高さから見下ろしているわけだが、苦しそうな「俺」のようには苦しくないし、随分と客観的に、そして冷静に自分自身を見ていた。
これが所謂幽体離脱なんだ、なんてことを考えるくらいに。
時折「俺」の体が浮き上がる。AEDでショックを与えられているらしい。
看護士が電極の表面にジェルを塗っている。またAEDだ。
体は弓なりになり、そして鈍い音を立てて処置台の上に落ちる。
脈拍のインジケーターは一瞬鋭いピークを描き、また緩やかで、波の小さい線を描く。
しかし無情にも時を置かず、機器のアラームが鳴り響きやがて凪の海のように線は一直線を描いた。脈拍を表すデジタル数字は0を指していた。
処置にあたっていた当直の医師らしき男が、「俺」の左腕の脈をとり、時計を見やった。
そして呟く。
「午前2時3分、ご臨終です」
俺は死んだ。
不思議なくらい自分の死について感情がなかったが、それでも戻るところが無くなった事にすぐ気が付いた。
さて、どうしたものか。あの世に行くガイドブックなんて持ってない。
というか、あまりに唐突すぎて、幽体離脱なんて異常なことを受け入れたくせに、現世に残してしまったあれこれを今更思い出して後悔したり、心配したりし始めてしまった。
急に幽体離脱している俺の心に人間らしさが戻ってきた。
まず頭を過ったのは記憶をなくす前に頭に浮かんでは消えた有紀のことだった。
結婚式まであとちょうど一か月だったのに、俺、死んじゃったよ。
有紀の悲しむ顔、見たくないな。
お袋の顔が次に出てきた。
レース以外では死なないこと。そう言われてたのに。本当に親不孝者になってしまった。ゴメン。父さんのようには死ねなかった。
それより先に逝ってしまって申し訳ないな。お袋、大丈夫かな。一人になっちゃったし。
監督、すみません。レースやめた挙句死んでしまいました。いままで良くしてくれたのに。陽子ママにも申し訳ない。
ああ、俺、なんで死んでしまったんだろうな。
思い出したよ、あのネコだ。
ネコがあんな時間に、道の真ん中で動けなくなってたんだよ。
それを避けようとして反対車線から突っ込んできたタクシーにぶつかりそうになったから、スロットルふかして後輪を滑らせてかわしたんだった。
路面は濡れていたから簡単だった。でも、いきなり半乾きの路面でグリップが戻って、ハイサイドで飛ばされたんだっけ。
あのネコ、大丈夫だったかな。
ネコのことを心配している身分じゃないけどな。
あれが光輝を乗せてた時じゃなくて本当に良かった。光輝を高円寺の駅で降ろして、有紀の部屋に戻るときに事故ってしまったんだよな。
光輝はさすがにもう家に帰ったよな。
有紀のお父さん、このことをいつ知るんだろうか。