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神話以前  作者: 叶子
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最終章 そして神話になる


音がない

波の寄せる音も

海風のわたる音も

ぽこり ぽこりと

小さな泡が消える音も



蟹が死んだ。

赤い固い甲羅の中に、青く深い海をもつ、愛しい友が死んだ。


かなしいな、かなしい。


蟹が死んだ。

愛しい、愛しい、友が死んだ。


海はざぶりと体を起こす。


愛しい友の死に、いつまでだって、静かに泣いていられると思うのに。

全てをとめて、静かに泣いていたいと願うというのに。


海は重い体をざぶりと起こす。


海は、動かねば。

動かねば、腐るから。


生が死に、死が生まれる。生まれた死が生をつなぐ。

海はそういう性だから。


ざぶり、ざぶりと、寄せてはかえし、動き続けねばならる。

死を生むため、生を生むため、生と死をつなぐため。


過去がかえり、未来がゆき、今がうつる。

海とはそういう性だから。


ざぶり、ざぶり、と寄せてはかえし、動き続けねばらなぬ。

過去が悲しくとも、未来が暗くとも、今があり続けるため。


動かねば。怒らねば。愛さなければ。

海は腐る。


海はざぶりと身を起こす。

海とはそういう性だから。

重い体をざぶりと起こすしかないのだ。


ざぶりと、海面が膨れる音に、青年は剣を構えた。

「お前が古の魔か。人々の命を奪い、海を不条理にも我がものとする。」

青年の声が朗々と響く。


「お前が答えか。幼い考えるものたちの、出した未来の答えがお前か。我は海。」

海は静かに答えた。


「我は正義の使い。富溢れる海を、正しき統制のもとにおかんと、光の女神より使わされた。」


海は言っても詮無いことだと思いながら、残して逝く愚かな幼子たちへと、せめてもの手向けにと言葉を紡ぐ。


「我が海で、海が我なのだ。

哀れな子らよ。哀れな生き物よ。お前が答えか。未来の答えか。

正義を掲げ、支配できぬものを支配し、その欲望のとどまる所はあるのであろうか。

全て虚しく滅ぼしつくして、その掌に何が残るのであろうか。」


「我は正義。我がなすこと、それが正義だ。

我が正義の刃の前にあるもの、それが悪なのだ。

我の正義の刃がある限り、悪は滅びはせぬし、我らは進み続けるのだ。」


「なんと愚かな。

なんたる矛盾。

そして、なんと憐れな子らよ。」


青年は言葉を打ち切る。

蟹の言葉もそうであったが、海の言葉も聞いてはならぬ言葉なのだ。

正義の前に、あってはならぬ言葉なら、聞くことすら許されぬ。


青年は力強く足を踏み出すと、青い鱗が光る海へと躍りかかる。

海は長い鎌首を揺らし、鋭い牙で青年に襲い掛かる。


晴天の空の下

そこに荒々しい嵐があった


青年の剣が青い鱗をかすめれば

高い音が鳴り、ばちばちと閃光がはじげる


一太刀 二太刀

ごうごうと唸る声は

身が削れる痛みに海が吠える声


三太刀 四太刀

白くはじける渋木は

青年の剣に削り落ちた海の身


そして、最後に青年の放った一閃は、白銀の美しい光を放ち海を駆けた。

光を受けた海はびくりと立ちすくむと、ふいに力を失いばさりと二つに割れ堕ちた。


青年は肩で息をして、海面をみつめる。


ざぶり、ざぶりと、波が寄せ

ざぶり、ざぶりと、波が還る


それは、一瞬前の風景と何ら変わりない。

しかし、海は魔ではなくなり、ただの巨大な塩水の塊だった。


青年は、警戒の姿勢をとくと、手の中の剣に目を落とした。


願いが成就した剣は、端からぼろぼろと崩れ落ち、寄せてはかえる、波に乗って海の彼方へと消えて行く。


「満たされぬ。」

青年はぽつりとこぼす。

「虚しい。」

空っぽの手のひらを広げ、そこに何かを探す。


正義の刃を携えて、ひたすらに悪を滅ぼしてはいるのに。

青年は空虚だった。



すると、青年を慰めるように、白い柔らかな光がすっと天から差し込んだ。

甘い優しい香りがあたりに充満する。


青年ははっと顔を上げ、期待にごくりと喉をならした。


すると、青年の願いの通り、光の女神がたおやかにほほ笑みながら現れた。


「光の女神よ」

青年の唇から零れた言葉には、賛美、憧憬、喜び、乾き

まざまざとした思いが込められ、かすれている。


女神は、その寄せられる思いに満足そうに、小さく頷いてみせた。

「よくやりましたね。わが息子。」


鈴の音のような女神の言葉に、青年の目は喜びに潤み女神をみつめる。


けれど女神は青年にはそれ以上の関心をむけず、死んだ海にそっと手を触れた。

すると、海の中から青い星と赤い星が煌きながら現れた。


満足そうに星を見る女神に、青年は首をかしげながら聞いた。

「女神よ。それは?」


女神は、青年の存在を思い出したのか、少し驚い顔で、ふわりと振り向くと、と小さく首をかしげる。

それから、ふふっと笑うと、その二つの石を髪に飾ってみせた。


「どう?きれいでしょう?

海と蟹よ。この青。この赤。素晴らしいわ。


私を彩る星になりなさいと、言っていたのに、いつも月の後を追っているのだもの。

面白くないじゃない。次の天上の舞踏会。きっと月も悔しがるわね。」


青年は小さく喉を鳴らす。かすれた弱弱しい声が唇から漏れた。

「そのために、私を?」


女神は期待していた賛美の言葉ではない、言葉が青年の唇から漏れたことに、不快の念を示すように眉をひそめた。


「あなたは正義の子。そして、私が光の女神。

ならば、私があなたに命じることが正義。


それに疑問を持つとは何事かしら?


でも私は慈悲の女神。愚かな私の息子を諭すのも慈悲。


よく、お聞きなさい。


私の目的・理由はどうあれ、結果として、海の魔物が退治されたから、この浜はやがて、人々で満ち溢れるでしょう。

村は大きく、豊かになり、神殿はますます立派になるでしょう。


あなたは結果として正義をなした。

よろしいんじゃなくて。」


有無を言わせぬ女神のことばに青年は感情を飲み込む。

頭を垂れた青年に、女神は再び優しい笑みをむけると、褒美とばかりにその黄金の巻き毛をひとなでした。


「さぁ。私の愚かで罪深き息子。

私に愛されるために、行くのです。

次の正義をなしに行くのです。」


青年は小さく頷くと、もう一目愛しい母を見ようと顔をあげた。

けれど、そこにはただ、青黒い海が広がるだけ。


「愛されるため。」


青年は足に力をこめると立ち上がった。

次の正義をなすために。

正義の子となるために。




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