1 海辺の人々
さわさわ
さわさわ
浜辺に女たちの泣き声が響く。
押しては返す波のように、高く低く嘆き揺れる。
3日前。男達は船を出した。海を荒らす魔物を倒すために。
堅牢な要塞のような船に乗り込み、鋭く研いだ銛を手に、愛する者を背中に残して、広く残酷な海へと漕ぎだした。
『魔物さえいなくなれば、俺たちの暮らしはもっと豊かになる。』
『いいじゃない、いまのままでも。日々、お腹を満たし、冬に備えるだけのものが獲れて。あなたを危ない目に合わせるくらいなら、私、これ以上はいらないわ。』
『お前に綺麗な櫛の一つでも、買ってやりたい。それに、ややが生まれれば、もっと、もっと必要になる。』
女は男を引きとめられない。なぜなら、村の男は皆ゆくからだ。いつの間にか、そう決められたからだ。
村に暮らすのならば、足並みを乱すことはできないのだ。
それに、女も。
男にもっと美味しいものを食べさせてやりたかった。新しい着物のひとつ、こしらえてやりたかった。
だから、止めたかった思いは誠だったが、止めなかったこの手も誠なのだ。
男は女をふりきった。
行きたいのか行きたくないのか、怖いのか怖くないのか、己に問うことを禁じることで。
男というものはそういうものなのだ。そう、あらねばならないのだ。
ただ、背中が薄ら寒い気がした。
男らが漕ぎ出して一夜明けた浜辺。
そこに無残にも打ち上げられたいたのは
かつては船だった木片と、かつては男だったもの。
この未来を知ってはいた
けれど未来のために知らぬふりをした
愛しいものを失ったのは
だれのせいか、だれの罪か
行き場のない嘆きが
さわさわ
さわさわと
浜辺を包む
海におわす偉大なものは、かつては神で、今は魔物で
海におわす偉大なものは
海に寄り添い生きる人間と同じように
海に生きるものたちを愛している
だから人が、
必要な分だけ貝を集め、必要な分だけ魚とることを許す
けれど、ひとたび、欲を出し
沖へ出て、網を引いて、富むために海の生き物をとるのであれば
海のその人は怒るのだ
人と同じようにすべてが生きているのだと
それはお前たちの本分を超えているのだと
船底を抜き
大波を立て
愛する者のために漕ぎ出た男たちを
愛する者が待っている男たちを
容赦なく、苛烈に海の底へと引きずり込む
そして、戒めとばかりに、海で死んだ男たちを
浜辺へかえすのだ
お前たちの罪なのだと
愛した者たちの変わり果てた姿を
残酷にも待つものへと見せつけるのだ
悪いのはどちらだ。正しいのはどちらだ。
魔に落ちたのは神か
あるいは欲をしった人なのか
高く低く、低く高く
女たちは嘆く
自らの罪をしっているが、それを認めることはできない
死んでいった男たちのため
これから生まれる赤子たちのため
自らの罪を認めることはできないならば
嘆きは呪いへ
海の神よ 魔物へと堕ちよ
嘆きは呪いへ
さわさわ
さわさわと
ざりぃ
ざりぃ
嘆きに満ちる浜辺に、異質な音が混じった
女たちはいっせいに振り向き、ひざを折る
身体を引きずるように現れた老婆は、船と男たちの残骸をみると、いまいましげに唸り声をあげた。
「蟒蛇め。海に巣くう魔のものよ。若衆達の無残な姿。この無念、はらさずにはおられまい。」
しわがれた声が浜に響く
さわさわ
女たちは涙にぬれた顔をあげる。
巫女様、巫女様と囁き声が浜をわたる。
「しかし、村にいるのは足腰の弱った老人と、か弱い子供と女ばかり。いかようにして、海の魔にいどめましょうか。」
村長の妻は、主の亡骸を抱きかかえながら、老婆へと問いかけた。
「祈るのじゃ。魔を屈する、光の女神に祈るのじゃ。おんしらの、柔らかい唇は荒れ乾き、喉から血潮が吹くかもしれぬ。しかし、女神は答えてくれよう。女たちの嘆きに。女たちの恨みに。おんしらに、まっことの覚悟があるのであれば。」
女たちはごくりと唾を飲み込んだ。そして一人が頭を垂れると、さわさわと、女たちはこうべをたれた。
「ぬしゃ。」
老婆が枯れ枝のような指で一人の女を指さした。
女は、あい、と顔をあげる。
「腹に命をかかえとる。丁度いい。神を宿す憑代になるのだ。」
女は、あい、と頭を垂れた。
これが罰なのか
女は震える手で、わずかに膨らみ始めて腹を撫でた。
つぅと、女の頬に新しい涙が伝い墜ちた。