いもむし
ピピピピピピピピピピピ
窓に当たって砕ける雨の音がする。カーテンの向こうは夜のように暗い。
ピピピピピピピピピピピ
目覚まし時計が朝を告げる。部屋の中はまだ暗い。身体に毛布を巻きつけたまま手を伸ばす。
ピピピピピピピピピピピ
あともう一つ届かない。雨の音はより一層激しさを増し、それと比例するように私の意識は薄れていった。意識の端で目覚ましの音が鳴っている。もう鳴りやむことのない音。警告。目覚めなければいけないよ、と怒鳴られている。
「おい。おいていくぞ!」
私の馬よりも、一回り大きな馬に乗った大男が叫ぶ。筋骨たくましく、まさにカウボーイといったような男だ。
「はいはい」
私も、思いっきり馬にけりをいれ、心地よいテンポで乾燥帯に駆け出す。ソフレーン。私の愛馬だ。小柄だが、ワルツのように走る。艶のある栗色の毛をなびかせる。
「今日も綺麗だな、ソフレーン。私たちの走りを、ヴィッツに見せつけてやろうぜ」
それに答えるようにソフレーンはスピードをあげる。テンポを速めるなんて無粋なことはしない。そのかわりソフレーンは飛ぶのだ。
あっという間にヴィッツに追いつく。彼の愛馬、ドーギャンが力強く地面を蹴る。舞う砂埃が、私たちの軌跡となる。
「今日はなにすんのさ」
いつもの通り放った質問に、ヴィッツはにやりと笑った。
「レースだ」
ヴィッツは一言だけ発すると、さらにスピードを上げた。ドーギャンの足音は、もう地響きに近い。それに合わせるように私とソフレーンは横に膨らむ。
ヴィッツがスピードを上げたのには理由があった。敵だ。この地域に拠点を持っているバルマキ族。彼らは縄張りを犯されることを極端に嫌う。そして私たちは今、それを犯した。
いきなり地面が破裂する。バルマキ族だ。バルマキ族は、ある特定の鉱物を自在に操ることが出来る。例えば、爆弾のようにも。
彼らの縄張りはおよそ5キロメートル。その最も端に位置するガダル岩。そこまでのレースだ。
次々に爆発する岩。だが、岩が爆発する時には私とソフレーンはとっくにその岩を通り過ぎている。
「ソフレーン、ちょっと遊んでやろう」
私はソフレーンに左斜め前にある岩場に行くように指示した。およそ300メートル。おそらくあそこにバルマキ族はいる。奴らはあの岩場からここらの岩を爆発させているのだ。その証拠に、さっきから爆発のタイミングが合っていない。
ソフレーンにケリをいれる。ソフレーンはさらに速く風をきる。あと100メートル。私は胸ポケットに忍ばせておいたミリオンボールを手に取る。ミリオンボールは衝撃を与えると凄まじい閃光と爆音をはなつ。ちょっとしたイタズラアイテムだ。
あと、50メートル。岩の爆風にのってソフレーンは風になる。岩場で何かがうごめいているのが分かる。バルマキ族だ。
ドゥ!
掛け声と共にソフレーンは岩を蹴り、空を飛んだ。眼下のバルマキ族に影を落とす。1、2、3、4、5人。そらよ。手を離れたミリオンボールを目で追う。この猛スピードの中、私の目は確実にミリオンボールを捉えていた。ミリオンボールがあっけにとられているバルマキ族の真横の岩に当たる。凄まじい閃光。そして爆音。
「うわぁ!!!」
ピピピピピピピピピピピ
「・・・」
ピピピピピピピピピピピ
閃光にやられたのか、視界がおぼつかない。
ピピピピピピピピピピピ
徐々に世界が形を取り戻し始める。窓の外はまだ暗い。雨。音。
ピピピピピピピピピピピ
何度も繰り返す電子音。それは人工的に作られた雨音のようであり、その雨に濡れまいとして布団のなかに潜り込む。そこは、唯一の安泰の地。
「負け試合だな」
安藤監督が呟く。監督のお前が誰より諦めちゃいけないだろ、と思いつつ、だがこの6点差に絶望しているオレが居る。いや、本当に絶望しているのか。違う。オレのどこか深いところで、何かこの逆境を楽しんでいる俺がいる。
初めてのベンチ入り。そもそもオレはプロのサッカー選手ではなかった。テレビの前でゴロゴロしながら中継をみながら愚痴を言う側だった。そんなオレに安藤監督から唐突に電話が来た。
「安藤です」
「あんどうさん、、、。えっと、、」
知り合いの中に安藤さんを探したが、オレの知り合いの中にこんなに渋い声を出す安藤さんはいなかった。
「あ、あの、今、サッカー日本代表の監督をしている安藤克己です」
「え!あ、え?」
いたずら電話だと思った。なにせサッカーは好きだったがサッカーとは全く関係のないところで生きていたからだ。
その後、疑心暗鬼なオレを安藤監督は必死に説得した。何度も何度も電話をくれた。テレビ電話の時もあったし、手紙もくれた。オレはどうしてオレなのかを聞いたが、監督の理論は俺にはむつかしくなんのことだかさっぱりわからなかった。ただ、オレは安藤監督に選手として必要とされていた。
「やりましょう」
オレは日本代表として戦うことを決めた。
こうして今の俺がある。そしてなにより負け試合といってよい状態だ。オレはなにも失うものはない。真の意味での絶望なんてオレにはまだない。
オレは安藤監督にいった。
「オレがいきます」
安藤監督はオレの顔を見、真顔で聞き返した。
「それは出たいだけか。それとも勝てるのか」
「勝てます」
嘘ではなかった。本当でもなかった。ただ、どこからくるのかよくわからない謎の自信がどこからともなく湧いてくるのだった。
「行ってこい」
ボールがラインを割る。ホイッスルが鳴り、電光掲示板に交代がうつされる。会場からの不満にみちた拍手に見送られ、オレはピッチに立った。
残り時間20分+α。
その精神の高揚は、サッカーの神がオレに乗り移ったかのようだった。カラダが信じられないほど軽い。いろいろなものが見える。すべたが見える。いける。そう確信した。
スローインで試合が再開された。オレはとにかく声を出した。チームのみんなに俺の声が届いているのが分かる。直感とかではなかった。見えるのだ。みんなに活力が戻った。まだ間に合う。
オレにボールが回ってくる。オレはいたって冷静だった。なにせ全てが見えていた。トラップする。ベストなトラップ。顔をあげる。全てが見える。敵はもう自陣に引いている。オレはそのままドリブルをする。ハーフラインを越えるあたりで一人がプレスをかけてくる。もう遅かった。その時オレはすでにフォワードの輪島につないでいた。鋭いスルーパス。神がかり的な一直線のパス。抜けた。輪島がディフェンス一人をかわす。1対1。シュート。ゴール。5点差。
「まだまだだ!」
俺は叫んだ。もちろんみんな理解していた。ボールをすぐさまハーフラインに戻すと試合は再開された。前線からの必死のプレス。3人目ぐらいでボールを奪うことに成功した。すぐさまパスを要求する。オレにボールが来る。オレにはヴィジョンが見えていた。そして同じヴィジョンを田中も見ていた。オレにはそのことがわかった。アップテンポでの田中へのパス。田中はそれをダイレクトで輪島の前のスペースに放った。トップスピードの輪島はまたもやキーパーとの1対1。外すはずがなかった。ゴール。4点差。
その後3アシスト1ゴールで同点とした。残り2分+α。十分だった。
「あと1点!」
全員気持ちは同じだった。敵も必死になっていたが、一度落としたギアは二度とトップギアには戻らなかった。
ボールを奪う。
その瞬間に、全力で全員が前へと走り出した。細かく早いパスをつなぐ。ボールは人の速度を超え、あっという間に前線に送られる。見えた。坂城が最前線から後ろのオレにパスを返す。オレは右足を振り抜いた。矢のようなシュートがネットに突き刺さる。ゴール。スタジアムが歓喜に沸く。地面が揺れる。そしてホイッスル。すべての光はオレに差していた。
ピピピピピピピピピピピ
ん。
ピピピピピピピピピピピ
ん。眩しい。薄目を開ける。いつの間にか窓から光が差し込んでいる。どうやら雨はあがったようだ。
ピピピピピピピピピピピ
わかったよ。うるさいな。布団から抜け出し、腕を伸ばす。
ピピピピピピ・・・・・
届いた。