第1話 ゲイの高校生物語
はじめまして。清水大地と申します。
まずはじめに、この小説にありつけたすべてのみなさまに感謝します。
作家当人は、実際に男性が性の対象の男性、いわゆるゲイです。
セクシャル・マイノリティな故、生活の中で不便を感じることが多々あります。
この物語は実体験に基づいたフィクションではありますが、同じセクシャル・マイノリティの方には共感できる作品ではないかと思います。
セクシャルで悩んでいる方、また恋愛で悩んでいる方に何かメッセージが届けばいいなと思い執筆しています。
みなさんの素敵な暇つぶしになればと思います。
偏見をもたれる方、もたれない方、マイノリティの方、マイノリティではない方
すべての人に
愛をこめて
高校生の翔にとって、ゲイであるということは十字架を背負って生きていくようなものであった。
それゆえ、それを悩みとして捉えるのも当然のことである。
男であると胸を張って言えるかは少し疑問を覚えるが、生物学的には翔は雄であり、男性である。
それを自覚した時、気づいてしまったことによる後悔はなかった。
むしろ、本当の自分を知れた喜びの方が強い。
それと同時に後ろの方から押し寄せる社会的孤独の波。
じめじめとして、見えない敵の大群。
無音の世界と賑やかな世界を行ったり来たりしては今日も学校へ向かう。
厳しい夏の日差しが、自転車登校をするには煩わしい日々が続いた。
明日から夏休みが始まるというのに雨の日々が続き、教室は一段とじめついている。
周りの奴らは明日からの期間付き楽園時間に胸を躍らせている。
肘をつき、じっとりと教室を見渡した。
先生が夏休み中の注意事項をプリントで説明している。
それをまじまじと読んでいる者はまずいない。
話している先生も目に映る字面を言葉にしているだけのロボットである。
そもそもこれを作ったところで、悪いことをする奴はするし、しない奴はしない。
きっとこのプリントを作った人も形式的な作業をしただけ。
秩序を守った堅苦しいプリントの端を両手に持ち、ゆっくりと顔の上に上げた。
蛍光灯の光が遮られ少し和らいで見えた。
もっと光が強ければ、この秩序を持った文字たちは、顔面いっぱいに映るのだろうか。
そして、僕もまたその秩序の中に溶け込むことができるのか。
急に、客観視した自分の姿に恥じらいを覚え、プリントをそっと机に戻す。
この教室の中で社会的に秩序を乱しているのは誰か。
それは動物学的、性別学的に人として有るべき姿を観点に置き、自問自答した。
もちろん、それは。
抵抗している思いが、かさっと奈落から手を伸ばす。
しかし、その手はとても弱々しく、すぐに手を離す。
何も悪いことなどしていない。
それなのに。
なぜ。
よりによって。
僕が。
教室の窓を見てみると、相変わらずまだ雨が降っている。
とても静かで落ち着く。
雨音が静けさを感じさせるなんて、矛盾している。
無音こそ静けさとは遠い存在なのではないかと考える。
無音とは、孤独で。
うるさい。
教室の音と、雨音を聞きながら、背筋を伸ばし秩序の中に溶け込んだ。
やっと解放された学校から、浮き足を立つこともなく、翔は淡々と帰路についた。
家に着くとさらに分かるのが、静けさ以上孤独未満の怠惰なこの時間。
毎日安売りしては無駄な時間。
そして、ほっとできる時間だ。
自室に直行し、乱暴にカバンをベッドへ投げてスマートフォンを開く。
帰宅をしてからの日課は、ゲイ専用SNSアプリを開き、近隣にいる人を調べること。
現代はきっと便利な時代なのだろう。
指先一つで画面いっぱいに出会いがある。
全ては手のひらの中だ。
相手のプロフィールはもちろん見るが、肝心なのが写真。
要は顔だ。
画面上では顔写真でしか視覚的に反応するものはない。
どんなに高身長高学歴高収入だとしても、メッセージが頻繁に来るとは限らない。
軽い自己紹介はあっても、顔画像がコンタクトをするか決める割合がほとんどだ。
かっこいい顔は得をする。
ブサイクな顔は損をする。
学校ではこんなに分かりやすいことも、教えてくれない。
こんな形で分かりやすく現実を知るとは思わなかった。
顔写真が全てを左右するがゆえ、みなそれなりに気合が入っている。
角度や加工技術を駆使し、奇跡の一枚を取るのに必死である。
人差し指でスクロールしながら、滑稽な奴らを眺めては、ピンとくる人を探す旅を続けている。
滑稽だな、と思いながら必死に探している自分も、また滑稽だ。
ふと、2倍以上の重力が体全身にのしかかっていることに気づいた。
立ちっぱなしの修了式で疲れていたのか、寝てしまっていたらしい。
夢と現実世界の狭間では、布団の中は天国である。
外からは雨音はなくなっていた。
寝たまま手に持っていたスマートフォンを見ると、見知らぬ人からメッセージが届いていた。
「はじめまして。ゆうたです。よかったら今度お茶でもどうですか?メッセージ待っています」
SNSの典型分そのもののような出だしだ。
最初のメッセージを見れば大体その人の人柄が分かったりする。
この人のように、当たり障りの無い文章を送る無難なタイプ。
「今日よかったらうちに来ませんか?」
のような文章で、いきなり体を求めてくるようなヤリ目タイプ(ヤルことを目的とした人)。
聞いてもいない自分の生き方、趣味嗜好を長々とつづっているかまってちゃんタイプ。
まあ例をあげればキリがないが、大体の人は無難なやり方を選ぶ。
もしかしたらお近づきになれるかもしれない人から、嫌われたくないからだ。
それゆえ、このゆうたという人もまた、無難なやり方を選んだひとりである。
先述したとおり、SNSの返信の鍵になるのはプロフィールの顔写真だ。
顔がタイプでなければ、すぐに人差し指は横に振る厳しい世界だ。
顔写真をタップすると、幸いそれなりに翔のタイプに当てはまる人であった。
まだ17歳の翔はそこまで顔写真にこだわらなくとも、若さや学生ブランドでメッセージが勝手に送られてくる(本来SNSアプリは18歳以上から)。
毎日繰り返しアプリを見ていると、だんだんと目が肥えてきてしまい、気になる人を見つけづらくなってしまう。
今回タイプに当てはまったということはそれなりにラッキーなことである。
SNSアプリを使い初めた時は、こんなにも同じ人種の人がいるのかと驚き、嬉しかったのを覚えている。
家族はもちろん、学校の友人にもカミングアウトしていないため、周りにも同じ人種がいるのかもしれないが、それを知る手段はない。
だが、画面にはたくさんの人の顔写真が揃っている。
自分は社会的に見たらマイノリティであるが、こんなにも仲間がいるのかと安堵できる。
「メッセージありがとうございます。是非行きましょう」
翔もまた、無難なタイプである。
メッセージを送り終えると、また眠りの世界へ落ちた。
夕飯のいい匂いで目覚めた。
目をこすりながらゆっくり起きると、母が台所に立っていた。
パートからいつの間にか帰ってきていたらしい。
「あら、あんたまた寝てたのね。今日で学校終わりでしょう?ちゃんと計画的に過ごしなさいよ」
「………」
計画的という言葉をすぐに使う人は嫌いだ。
自分自身、これからどう計画的に生きようとも、一般的な「家庭」を持つ幸せからは程遠い存在だからである。
コトコトとリビングいっぱいに夕飯の支度の音が反響している。
同じような毎日、同じような風景、安心する生活、この生活もいつまで続けられるのだろう。
ゲイであることをカミングアウトしたら、母はいったいどんな反応をするだろう。
反対されたり、拒絶されたりするのだろうか。
テーブルに肘をつき、くたびれた制服をまといながら、遠くの方を見つめていた。
「そういえば、明日美奈帰ってくるわよ」
見ていなくともわかる、広角の上がっている母の嬉しそうな物言いだ。
翔には7歳離れた姉がいる。
有名美術大学を卒業し、小学校の図工の教師として働いている自慢の姉だ。
美奈はよく花の絵を描く。
その影響から翔も花に興味を持ち、今でも大切に持っている花言葉集の分厚い本も、美奈のお下がりだ。
家を出て彼氏と同棲を始めたのは2年ほど前。
それから、夏休みや正月以外はめったに帰ってこなくなった。
家も近いのだから、暇なときに帰ってくればいいのにと思うが、忙しい生活に生きる意義を見出している美奈はまるで回遊魚のようだ。
立ち止まったら、死んでしまう美学を持つ。
しっかりものの姉である。
「ふーん」
「夏休みが入ったんだって、さっきメールが来たの」
「………」
「あら、反応薄いわね」
「………」
言葉にこそしないが、内心心が踊った。
昔から姉の後ろばかり追いかけていた翔は、姉に会うのを楽しみにしていた。
聞きたいことはたくさんある。
同棲生活はどうか、旦那さんとは上手くやっているのか、お腹の赤ちゃんのことについても。
2年前に出て行ったばかりなのに、はるか昔に出て行ってしまったように感じる。
当たり前のように出てきた夕飯のカレーを、無言でただ淡々と食していく。
テレビがぼーっと流れている。
夕焼けが沈み、明るくとも暗くともない、夜明けのような光が差し込んでいた。
じめじめした雨も上がり、どこかに虹でもかかっているかもしれない。
そういえば、長い雨のおかげで外ではまだアジサイがきれいに咲いていた。
アジサイの花言葉は、あなたは冷たい。
あんなに綺麗な花でも、冷たい心があるのだろうか。