幸せなクリスマスイヴ
彼の愛情表現は、いかにも分かりやすかった。
お金を掛ける事。掛けた金額が大きければ大きいほど、より豊かな愛を表現出来るのだと無意識の内に思い込んでいるようだった。おそらく、彼の母やそれまで付き合って来た女性がそういった類の人間だった事が、理由の一つであるだろう。
また、彼自身金銭で苦労した経験がなく、欲しい物は何でも手に入った。そんな環境では、当たり前に存在する金銭への感謝も生まれ難い。金遣いの荒さに気付く事もなかった。
だからこそ、彼には分からなかった。用意するプレゼントをことごとく、愛する少女から拒絶される理由が。
その半生には色々と複雑な事情があったらしく、少女はお金持ちの令息令嬢が集まるその学院の中では異質な程、中流階級程度の金銭感覚を持っていた。彼から手渡されるプレゼントの高価さには喜びや感謝よりも戸惑いを覚えているようだった。
『同じ女なら分からないか?あの子は何が気に入らないんだろう』
そんな事も分からず、私の気も知らず、彼は私に相談を持ちかけた。と言っても、私の気持ちなど彼が知るはずもない。私はその気持ちの一欠片すら、言葉にも態度にも見せなかったのだから。
きっと彼は困るだろう。その問い掛けがどれほど残酷なものであったのかを知れば、優しい少女によって生来の素直さを取り戻しつつあった彼は、罪悪感を抱え込む事になるだろう。
だから私は、この感情に対し口を噤む。彼を困らせない為に。それが、私に許された唯一の愛情表現だった。
そんな私があのとき衝動的にキスをして告白をしてしまったのは、愛情よりも苛立ちが勝ってしまったからだ。所詮はその程度の気持ち。誠一郎様への思いやりよりも、自身の苛立ちを優先するただのエゴ。浅はかな気持ちなのだから、と恋心から目を逸らす理由にして納得するつもりだった。
そしていつか、自身の気持ち以上に誠一郎様を思いやって下さる奥様を見付けて、ああなんて彼に相応しい人だと、この恋が叶わなくて良かったと、そう前向きに受け止める未来予想図まで描けていた。
それなのに、
「うん、麻耶にも、そのワンピースにも似合っている」
この人は、せっかくのクリスマスイヴに一体何をしているのだろう。鏡の前で三日月形のネックレスを試着した私の首元を覗き込み、誠一郎様は満足げに頷いた。
クリスマスイヴに予定を開けてくれと言われた私は、特にどこかへ出掛けるとも聞いていなかったので、ニットにロングスカートという普段通りの出で立ちだった。世間はクリスマスイヴと言えど、私と誠一郎様の間には全く関係がない。この格好で問題無いと思っていた。
しかし、そんな私の格好を見て、誠一郎様は難色を示した。どうやら、カジュアル過ぎたようだ。誠一郎様はチノパンにワイシャツ、その上からジャケットを着ている。スマートカジュアル程度のドレスコードならば通過出来そうな格好だった。
それならばと、彼に合わせて着替えようとしたのだが、車を回して来た誠一郎様に引きとめられた。運転手を付けずに、佐久間にしては車体の短い車の運転席に乗り、私を助手席へ引っ張り込んで、車は佐久間の家が贔屓にしている百貨店へと向かった。
そこで、私は何故か誠一郎様に全身コーディネートをされてしまったのである。ここまで、私は一銭も払っていない。私が何かを言う前に、誠一郎様が素早くカードで支払ってしまった。俺の顔を立てろ、と言われてしまったので店の中ではお礼以外は何も言わなかったが、あのカードは確か、彼が会社の手伝いを初めて、アルバイト代という形で受け取っている金銭用の口座に繋がっているはずだ。あとでこっそり同じ金額を振り込んで置けば良いだろう。痛い出費だが、こんなものを頂く謂われなどない。
更に言えば、彼は私の愛など求めていない。つまり、これは何か私に対しやましい事があり、そのご機嫌取りであると解釈していた。尚更そんな事でこんなものを貰いたくない。せっかく何故か楽しそうな様子を邪魔するのも忍びないので今日は何も言わないが、もしも本当にこれが私のご機嫌取りならば、後日改めてその考え方を注意しておこう。他人の愛を得るにも機嫌を取るにも、これを得策と考えるのは問題だろう。
「優しい彼氏さんで羨ましいです」
アクセサリー売り場のお姉さんの言葉を否定するのも、そろそろ面倒になって来てしまった。私だって、男に全身コーディネートされている女がいれば、恋人同士だと思うことだろう。
誠一郎様の見立てによって、紺色のワンピースに着替えた。腰の所にリボンの切り替えが付いており、私には可愛過ぎて似合わないと始めは嫌がったのだが、渋々試着してみれば、感心するくらいしっくりときた。リボンこそ付いているものの、全体の雰囲気は落ち着いており、何より着丈やバランスが絶妙に私の体型や髪の長さに合っていた。
そう言えば、彼は昔からこういう、女性のファッションに関するセンスだけは、うんざりするほど良かったのだ。
それに合わせて、白いカーディガンを購入し、足元もワンピースに合わせて紺色のパンプスを買った。そして、次にやってきたのがアクセサリー売り場だったという訳だ。
「紺色のワンピースが夜空のようで、月のネックレスがよく映えますね。一緒に星のピアスなどもございますが、よろしければご覧になられませんか?」
販売員のお姉さんの巧みな言葉に誘われ、このままでは誠一郎様がピアスまで買いかねない。ネックレスまで買ったならもう十分だろう、と私は円満にその場を離れる為に、無駄な労力を使う羽目となった。
百貨店を出ると、案の定レストランを予約しているらしく、彼の運転によって車で十五分ほどの場所にあるホテルへ向かう事になった。まるきり、クリスマスイヴにデートをする恋人達のコースである。独り身同士、気分だけ味わって寂しさを紛らわせるつもりだろうか。余計に虚しくなるだけだと思うのだが。
「何を考えているんだ?」
妙に気疲れして、助手席でぼうと窓の外を見ていれば、そう誠一郎様から問い掛けられた。本気で分かっていないのだろうか、この摩訶不思議な現状を。
「全身コーディネートされてまで、ディナーに出掛ける意味が分かりません」
それもクリスマスイヴに。
「何でだよ。よく似合ってる。綺麗だ」
「………………………」
褒められて、思わず顔が歪みそうになった。一体何人の女の子に、同じ言葉を伝えて来たのだろう。こんなに褒められて嬉しくない相手も早々いない。
「イタリアンの店を予約してある。好きだろ?」
「確かに好きですけど」
私が幼い頃から彼を知っているように、彼もまた、幼い頃から私の事を知っている。空白期間はあるが、味の好みくらいなら想像がつくのだろう。
しかし、どうせ共に食事に行くとしても、クリスマスイヴには行きたくなかった。幸せそうに寄り添う恋人達を見る度に、私と誠一郎様もそう見えるのだろうか、と馬鹿みたいな考えが頭を過る。そして、現実との差異に心を締め付けられるのだ。
「誠一郎様の運転される車の助手席なんて、初めて乗りました」
「そうだろうな。そもそも、助手席に誰かを乗せるのが初めてだ」
彼が車の免許を取った頃、誠一郎様はすでに立派な女性恐怖症だった。女なんて信じられない、と一番よく嘆いていた頃だった。だから、彼は車で女性とデートをした事がないのだ。
そんな些細な事で、小さな優越感を覚える私の心なんて、きっと彼は知る由も無いだろう。それが私にとって、どれほどの意味を持つのか、きっと想像もつかない事だろう。
それでいい。それで良いから、こんな喜びさえ知りたくはなかった。
ディナー自体は非常に満足のいくものだった。
少し量が多かったものの、あまりの美味しさに夢中になって食べてしまった。最後に出て来たデザートも絶品で、クリスマスイヴに何をやっているのだろう、という複雑な感情さえ忘れる事が出来た。
ホテルのレストランを出ると、誠一郎様は駅前の駐車場に車を停め、私にコートを着せるとそのまま自然とコートを抑えるように肩を抱いて、駅前広場の方へ連れて行った。何だろう、この人は女性の肩を見ると抱かなければいられない病気なのかもしれない。そもそも、私の事を女性として認識していたというのなら、その事に驚きだ。
連れて行かれた駅前広場には大きなツリーがあり、それをイルミネーションが彩っていた。青と白の光で照らされるツリーは幻想的で、思わず見入ってしまうほど綺麗だった。同じように、見惚れている恋人達が大勢ツリーの前に集まっている。
「近くで見ると思った以上に圧巻だろう」
「そう、ですね。綺麗です」
これまで、テレビなどでイルミネーションが映る度に、何故寒い中でわざわざそんなものを見に行かなければならないのか、と思っていたが、これは確かに何度でも見たい、と思えるほどに魅力的だった。
「麻耶」
イルミネーションに彩られた大きなツリーに見惚れていると、夢見心地のこちらの空気など読まず、誠一郎様が私の名前を呼んだ。そうして、より一層強くこの肩を自身の方へ抱き寄せたので、イルミネーションを隠すように誠一郎様の顔が私の視界を覆った。
「麻耶」
「………どうか、されましたか?」
繰り返し、妙に切ない声で名前を呼ばれて、不安になって問い掛ける。何かそうまで困り果てる事でもあったのだろうか。もしや、一日がかりで私のご機嫌取りをするほどの『やましい事』をとうとう口にするつもりだろうか。一体、彼は何をやらかしたというのだろう。
「麻耶、ごめん」
「それは、何に対しての謝罪ですか」
「俺はずっとおまえの存在を、おまえがそばにいてくれる事を当たり前だと思っていた。だから、簡単に蔑ろに出来たし、冷たい事も沢山言っただろう」
誠一郎様は、まるで懺悔のようにそう口にした。私の肩から腰へその両手を回して抱きしめる形になり、とうとう私には誠一郎様の肩しか見えない。
「ごめんな。麻耶がいるから、俺は一人じゃなかったのに。この手から何が、誰がすり抜けて行っても、麻耶だけはずっとそばにいてくれていたのに、俺はずっとそれに気が付いていなかった。夢みたいに甘く綺麗なものに夢中で……俺に本当に必要だったのは、厳しくてもけして突き放さないでいてくれる、この手だったのに」
抱きしめる腕が緩んで、誠一郎様の手のひらが私の手を掴んだ。イルミネーションをその背に負って、真っ直ぐに私を見る。
「麻耶がいてくれて、俺は幸せだったんだ」
それはとても、優しい言葉。私にとっての、夢みたいに甘く綺麗な言葉。その言葉を口にするのは、私が誰よりもそう在って欲しいと願っていた人。夢のような人。そんな彼が口にする言葉だからこそ、それは蜂蜜のように甘くトロリと絡みつく――――――まるで、柵みたいに。
「急な事で、まだ『好き』とかどうとかははっきり言えない。けど、今、誰よりも麻耶の事を大切に想ってる。俺は、麻耶の事を好きになりたい。だから、」
「………っです」
真摯な彼の言葉が、更に重ねられる前に遮った。私は真っ直ぐに誠一郎様を見上げ、私の手を握る彼の手を引き剥がし、そのまま両手で制して距離を取り、はっきりと告げた。その後どう言葉が続けられても構わなかった。私のただの自惚れであればそれで良かった。
「結構です。誠一郎様のお気持ちは必要ありません」
私は彼に、捨てきれない恋をしている。けれど、彼の気持ちは、欲しくなかった。
読んで頂き、ありがとうございます。
ネックレスのブランドもレストランも、麻耶が雑誌を見ていて0.5秒ほど目を止めた場所。イルミネーションは寒そうだなーと心の中で思いながらテレビを少々眺めていた場所。
誠一郎の女性に対する観察眼だけは、半端じゃないです。振られたけど。