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見つからない探しもの





切っ掛けは、小さな男の子のちょっとした悪戯心だった。

彼は佐久間グループの跡取りと言っても、普通の男の子だった。特別その重責を感じる訳でも、大人に揉まれて妙に大人びる訳でもなく、だからと言って増長することもない。周囲の大人達から適度に厳しく、適度に甘やかされて育った明るく元気な男の子だった。


『母さんをびっくりさせてやるんだ』


彼は私の手を引いて、そう悪戯っぽく笑った。母親や使用人には私と出掛けて来ると嘘を吐いて、こっそりとお屋敷に戻った。最近特に元気のない母親にサプライズのプレゼントを用意して、喜ばせたいのだと言っていた。

悪戯好きで、それがばれたときに色んな所に隠れる彼は、お屋敷内で人に見付からない場所を熟知しており、私達は誰に見付かる事もなく彼の母親の私室に辿り着く。


『しーっ』


 彼は唇の前で人差し指を立てて私に合図をすると、なるべく音を立てないようにこっそりと目の前で扉を開けた。

 それは、彼にとっても、私にとっても、大きな間違いだった。


 侵入した室内の、ベッドの上で。私達は見てはいけないものを見てしまう。

 それから彼は、少しずつ歪んでいった。明るい少年はその日を境に消えてしまう。

 私達はまだ、十歳だった。









 冬に差し掛かる頃、誠一郎様が風邪を引いた。

 学生時代は自己管理が甘く、薄着をしては季節の変わり目によく体調を崩していた。元々繊細と言うか、少し体調を崩しただけで気持ちからすぐに悪化し、よく寝込んでいたのだが、高校を卒業してからは初めての事だった。去年はこれでもう佐久間のお爺様に『軟弱者』とは呼ばせない、と胸を張っていたので、今回の風邪に対してとても悔しそうにしていた。高熱が出ているのに、何とか先日から予定していた通りに会社に向かおうとするので、止めるのが大変だった。


 しかし、更に熱が上がって這う気力もなくなったようで、今はおとなしくベッドの中で眠っている。学生時代はこれ幸いにと色んな事をサボろうとしていた事を思えば大きな成長だが、高熱が出ているときくらい大人しくしていてくれればいいのに、と思った。

 彼はまるで、失恋の悲しみをぶつけるように、跡継ぎとしての勉学に励む。


 看病の為にベッドのそばに椅子を置いて待機する。サイドテーブルに林檎や薬等を置いてから、椅子に腰かけて寝込む誠一郎様の額に手を当てた。相変わらず熱は高いが、それでも少しだけ下がったような気がする。額に浮いた汗を拭こうとタオルを手に取った所で声を掛けられた。


「麻耶……?」

「すみません。起こしてしまいましたか?」


 失礼します、と断って額の汗を拭う。彼は熱によって焦点の合わない目で、自身の額を拭う私の手の動きをじっと見つめていた。


「林檎、食べられますか?お薬をお持ちしたのですが、何か胃に入れてからの方が良いと思います」

「………食べ、る」


 昨夜から何も食べていなかったので、食欲を見せてくれた事にほっと安堵してサイドテーブルに用意していた林檎とナイフを手に取る。どうせ食欲があるのなら、お粥などの方が良いのかもしれないが、彼は昔から風邪を引くと林檎を好んでいた。呆然とした誠一郎様は、その手の動きを目で追って、息苦しそうに呼吸をしながら口を開いた。


「夢、見た……」

「夢ですか?」

「高校で、風邪…ぶっ倒れて、そう、したら………あの子が」


 その言葉に、当時の事を思い出す。それは、実際にあった事だった。誠一郎様が風邪で倒れたと聞き、佐久間の家へ迎えの手配をしてから荷物を持って保健室へ行けば、星崎梨花さんが彼の手を握ってそのそばに寄り添っていたのだ。その前から星崎さんに心を開こうとしていたが、誠一郎様が決定的に恋に落ちたのはそのときだったように思う。


「温かい手で、ぎゅっと握ってくれて、大丈夫って、ずっとそばにいるから、って……」


 誠一郎様の顔が歪む。その顔が、風邪の苦しさによるものか、それとも悲しみによるものなのか、私には分からなかった。


「それなのに、今、どうして………いて、くれないんだろう」


 彼の唇が、音を発する事なく動いた。微かな動きで、私には唇の動きを読み取るような特技なんてない。けれど、『嘘吐き』と動いたような気がした。


「………………おまえは手、あまり、綺麗じゃない。冷たいし」

「失礼ですね。元々冷え症ですし、水仕事もするのでどうしても乾燥するんです」

「そうだ………おまえは、いつもそうだ」


 誠一郎様は、じっと私の手を見詰めた。


「おまえは、俺の知ってる女じゃ、ない。母さんとも、あの子とも、違う。優しくないし、甘くもない。手だって………でも、」


 小さな小さな、呟くような声。熱で掠れたその声は、けれど彼にとって何よりも深い本音だったのだろうと思う。


「優しさも甘さも、俺に何も残してはくれなかった」


 小さな声が、私にはまるで絶叫のように心に響いた。ナイフを置いて、おしぼりで手を拭く。


「林檎が切れました。起きられますか?」


 私の問い掛けに、嫌がるように誠一郎様は首を横に振った。八等分した林檎をフォークで一切れだけ突き刺して、彼の口元へ持って行く。すると、ぎこちなくそれを咀嚼した。


「………誠一郎様。お疲れが溜まっていらっしゃるのです。おしゃべりはもう止めましょう。薬を飲んで、ゆっくりお休みになれば、きっとすぐお元気になられます」


 誠一郎様は、今度は小さく首を縦に振った。

 林檎は結局一切れしか食べられなかったけれど、薬を飲んですぐにまた眠ったので、熱も引くと信じよう。掛け布団をしっかりと掛け直しながら、彼の言葉を思い返す。


 誠一郎様にとって、母親と星崎さんは特別な存在だった。おそらく、彼が本当に心から愛した女性はその二人だけだった。

 彼の母親は、不倫の末に離婚して佐久間の家を出て行った。それが明るみになってしまったのは、決定的な場面を彼と私が目撃してしまったから。子ども以外は皆、薄々気付いていたようだが、誠一郎様にとっては優しい母親だった事もあり、社長も黙認する代わりに自宅に寄りつかなくなっていたらしい。


 誠一郎様は母親を失い、目に見えて荒れていった。生来の素直さを無くし、中学へ上がる頃には母親の代わりのように女性を求め、同時に傷付けていた。彼にとってそれは孤独を埋める手段で、復讐だったのだろう。利用された女性は堪ったものではない。

 そして、まるで母親のように広い心で彼を理解し、受け止め、その心をゆっくりと温めてくれた存在が、星崎梨花さんだった。


 女性である私から見ても、魅力的な少女だった。明るくて、優しくて、人の為に涙を流せる人だった。それ故に強く、真っ直ぐで、潔かった。彼女の言葉や表情の素直さを、羨ましいとさえ思った。誠一郎様が彼女を愛した事も道理だと感じた。

 けれど、彼は星崎さんの心を手に入れる事は出来なかった。彼が本当に欲しいと願うものはいつだって、簡単にその手をすり抜けていってしまう。


「誠一郎様」


 名前を呼んで、熱に魘されて顔を顰める様子を見詰める。星崎さんのように彼の手を握ろうとして、止めた。私では誠一郎様の慰めにはなれない。

 こんな私の、冷たい手では。









読んで頂きありがとうございます。

だからと言って女性を弄んで良い理由にはなりませんが。

まあ、一応、やんちゃしていた頃の誠一郎のお相手で本気になったのは一、二割の方だけで、あとの女性達とは割り切った関係だったと思われます。

………そんな中高生すごく嫌だ。


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