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憎まれ口の裏側は



 泣いていた女の子は、目をぱちくりと瞬かせると、何度も男の子に本当?本当?と繰り返し尋ねた。女の子と同じ年の小さな男の子は、本当だと得意げに胸を張って答える。


『本当だよ。約束する』


 女の子は、それだけでまるで希望を見付けたように男の子をじっと見つめた。けれどその目はまた、すぐに不安そうに翳る。


『でも、どうやって?』


 男の子は、その言葉に頭を悩ませた。思いつきで提案したものの、具体的な方法など全く考えていなかったからだ。ただ、女の子の望む存在になりたいと思っていた。

 男の子は考えて、考えて、そして名案を思いつく。


『そうだ!おれと―――――すれば良いんだ』


 そうすれば大丈夫だ、と男の子は元気よく口にする。女の子にとってそれは、思いもよらない方法で、けれど憧れてしまうような素敵な手段で、女の子は笑う。

 赤く染まった頬が、ゆっくりと綻んだ。









 気分は売られていく子牛だった。思わず、例の歌が脳内に流れる。

 私が綾瀬に連絡を取った直後、彼は私の訪問を待っている間に誠一郎様に連絡をしたらしい。どうやら私の信じていた味方はどこにもいなかったようだ。その後、すぐに誠一郎様は私を追いかけ、すぐにでも綾瀬のマンションに辿り着くという。


 何だ、二人は仲良しか。高校時代は挨拶さえ交わさない関係だった癖に。綾瀬は誠一郎様を離れた所から愚直だな、と言って眺めていたし、誠一郎様は得体が知れない、と言って綾瀬を避けていた。そもそも、いつ連絡先を交換していたのだろうか。それすらも分からない。


「まさか綾瀬に裏切られるとは思わなかったわ」

「裏切るなんて失礼な。僕はいつだって本城の事を案じているのに」


 白々しい。口の端が笑っている。彼は面白がっているのだ、私の現状を。私の事を本気で案じているならば、どうして今すぐにでもこのマンションを出て逃亡を再開しようとする私の邪魔をするのか。


「友人が、せっかく近付いて来た幸せを踏みつけて拒否していたら、それを押しとどめてあげるのが友情だとは思わないかい?」

「そうね。けれど、どうやら私と貴方の幸福論には大きな隔てりがあるみたい」

「ああ、君は変わっているから」

「…………言っておくけれど、綾瀬も大概だから」

「それはご指摘どうも」


 会話は平行線である。綾瀬は玄関前に陣取って、今すぐにでも出て行こうとする私を押しとどめている。高層マンションの最上階であるこの場からは、この玄関からしか逃げ出す事が出来ない。せめてここが一軒家だったならば、窓からだって逃げ出してやったものを。


 玄関前で綾瀬と攻防戦を繰り広げていれば、部屋の中にインターフォンの音が響いた。二十四時間体制で詰めているコンシェルジュにはすでに話を通してあると言っていた。時刻はとうに午前零時を回っており、こんな時間にアポも無く訪ねて来る人はいないだろう。

 つまり、扉の前でインターフォンを鳴らしたのは、誠一郎様に他ならない。

 綾瀬の怜悧な微笑みが、意地の悪そうなそれに変わる。彼は外を確かめる事も無く鍵を開けると、呼びとめる暇もなくあっさりと扉を開けた。


「麻耶!」


 すると、そこには当然と言うべきだろう。誠一郎様がいて、勢いよく室内に飛び込んで来た。私の姿をその視界に収めると、目を見開いて私から借り物のパーカーを剥ぎ取った。


「他の男の服なんか着るな!」


 温かい室内にいるので今は別に脱いでも平気だけれど、せめてもの意趣返しにこのパーカーは借りたまま返さないでおこうと思っていたのに。

 誠一郎様は自身の着ていたコートを脱ぐと私に覆い被せるように着せる。我儘お坊ちゃまの癖に、どうしてこういう紳士的な振る舞いはできるのだろう。―――――ああ、昔取った杵柄か。主に爛れた女性関係に伴った。


「僕としては寒そうな本城を気遣ったつもりだったんだけど、気を悪くさせたかな」


 突き返されたパーカーを受け取って、綾瀬は特に気分を害した風も無くそう言うと、私達を揃って部屋から追い出そうとする。


「こんな時間に家の前で揉められても迷惑だから、さっさと帰りなよ。僕はもう寝るから」


 綾瀬はそう言いながらもあまり迷惑そうではなく、むしろどこか面白がるように目を細めて促す。誠一郎様はけして逃がさない、とでも言うように強く私の肩を掴んで、最後にちらりと綾瀬を振り返った。


「……………迷惑を掛けた」

「構わないよ。困ったときに頼られるのも、友人冥利に尽きるじゃないか」


 綾瀬はそう言ってひらひらと手を振り、今度こそ私達を揃って家から見送った。









 無言が耳に痛い。

 誠一郎様は佐久間の車を使わずにタクシーでここまで来たらしい。車庫を開けさせる為に使用人に声を掛けて、とする方が時間も掛かると考え、とりあえず家を出たらしい。

 綾瀬の住むマンションを出て揃って夜道を歩く。何度かタクシーは通り掛かっていたが、誠一郎様は一度もそれを呼びとめようとはしなかった。


 痛いくらいに私の腕を掴んで歩く誠一郎様は私にコートを貸している為に、随分薄着だ。寒くないのだろうか、と心配になる。身体が弱い訳でもないのに、風邪だけは引きやすい癖に。


「………電話、聞いてた」


 唐突にそう口を開かれ、一気に羞恥が襲い掛かって来た。寒い夜道を歩いているのに、顔や身体が一気に熱くなる。けれど、一度起きてしまった事を覆す方法など当然なくて、私は今すぐ逃げ出してしまいたい気持ちを何とか押し込めた。


「でしたら分かったでしょう。私は嫉妬深くて危険な女です。身の安全の為にも、一時の感情に惑わされるのはお止め下さい」

「一時じゃ、ない!」


 誠一郎様は足を止めて、私と真っ直ぐに向き合った。冷え性の私の手を包み込む彼の手は温かくて、無性に悔しいような気がしてくる。


「俺はちゃんと、考えた。おまえといた十二年を思い返した。そうしたらいつだっておまえがいた。おまえだけが、俺のそばにずっといてくれた。麻耶だけだ、麻耶だけだったんだ」

「それはそばにいてくれるのならば、私でなくとも良いという事でしょう?」

「違う!」


 誠一郎様は似合わない苦しげな―――あるいは切なげな表情で、両手で包み込んだ私の手の甲に額を押し当てる。


「………分かってる。忘れていた俺が悪いんだ。小さい頃は、麻耶が笑ってくれるだけで良かったのに、俺が手を引いて、嬉しそうにしてくれるのが嬉しかったのに、母さんの事が、あって。色んな事が億劫になって」

「そして、女の子と遊ぶようになって、星崎さんに救われた」


 彼の目に動揺が走る。誠一郎様が道を踏み外していたとき、彼を救ったのは間違いなく星崎梨花さんだった。彼女の優しさがなければ、今も誠一郎様は道を踏み外したままだったかもしれない。


「誠一郎様には、私じゃなくてもいいんです」


 例え、私には誠一郎様でなければいけなくとも。中心になって考えるべくは彼だ。例えそれが独り善がりで自分勝手な理由でも、せめて彼の幸福を一番に考えられる私でありたかった。

 私の言葉にすぐに反論できない様子の誠一郎様は、一度言い淀んで頭を抱えたかと思うと突然手を離して私の肩を掴み、ガクガクと揺さぶった。


「あーもう!おまえがいくらそう言ったって、今の俺には麻耶しか見えない。十年一緒に暮らした母さんの事は十年立っても引きずってる!二年追いかけた星崎の事は二年経っても引きずっている!十二年一緒にいた麻耶の事は、言っとくが十二年は引きずるからな!これだけしつこい俺が、今更他の女を選べるか!」


 肩を掴む力を込めて誠一郎様は更に言い募った。


「その間の十二年を一緒にいてくれたら、今度は二十四年引きずるだろう。更に二十四年いてくれたら、また四十八年引きずる。おまえがちゃんとそばにいて、俺だけを見ていてくれるなら、俺は麻耶の事だけを一生引きずって生きてやる!」


 覚悟しろ、と言わんばかりに誠一郎様はそう締めくくった。随分見っともなくて、重苦しい宣言だった。

 彼は色んな女性を渡り歩いた。一時の快楽を求めて、刹那的に女性と睦み合った。永遠の愛など存在しないのだと吐き捨てて。けれど、そんな風に唾棄するような感情が芽生えるのは、心のどこかでその存在を信じ、裏切られていたからで。誠一郎様はいつも、自分だけの誰かを探し求めていた。


「………嘘吐き」


 顔が歪んだ。涙が出そうなのを堪えようとして、失敗する。これまで押し隠して来た憎しみや恋しさが一気に溢れ返って制御できなくなってしまっていた。


「先に突き放したのは貴方の癖に。私は何も変わらなかったのに、せいち、誠一郎様が、言ったのに、嘘吐き。私の家族になってくれるって言ったのに。そんな事も、忘れて。それなのに、今更そんな、都合の良い事を言わないで」


 それは、幼い日の約束だった。もう時効だろう。けれどあの頃の私はまだ、その約束を本気で信じていた。彼がいつか、私の家族になってくれる。だから私は、家族を亡くしても、希望を手にし続けられる事が出来た。


「それは、ごめん。でも、麻耶。今度こそ約束を守るから。だから、俺にもう一度だけチャンスをくれないか?」


 誠一郎様の腕が包み込むように私を抱きしめる。その腕が心地よくて、きっとこのまま眠ってしまえば幸福なのだろう、と思った。


「電話で、聞いていたでしょう。浮気をすれば、私はきっと貴方を殺します」

「いいよ、それで。麻耶が俺だけを見てくれるなら、そんな事はしたいとも思わない」


 ―――――ああ、ずるいずるいずるい。そんな幸せな言葉を吐いて、夢みたいな言葉で私を惑わして。突き放せない。私のドロドロした内面を聞かされて、それでもそう言ってくれるのなら、それに縋りついてしましたい。


「………麻耶の事が好きだ」

「嘘吐き」


 思わず出た、否定の言葉。そんなものはただの憎まれ口だ。彼にもそう、伝わった事だろう。その証拠に、私の腕は彼の背に回り、強く強く力を込めていたのだから。






読んで頂きありがとうございます。

一応、収まるべき所に収まりました。次回、エピローグ的なものを一話だけ付けて完結です。

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