表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/14

愛故に、なんて



 寂しい、寂しいと泣いてばかりいる女の子に、同じ年の小さな男の子は不満そうに唇を尖らせた。何がそんなに悲しいんだよ、と。


『おれがいてやるのに』


 それでも、小さな女の子はいやいや、と首を横に振る。溢れる涙は止まる事無く、女の子の頬を濡らした。


『だって、かぞくがいない』


 両親を一度に亡くした女の子は、いつだって両親が恋しいと泣いていた。それは仕方のない事だろう。ただでさえ恋しい存在であるはずの両親が、もう二度と手の届かない所へいってしまったのだ。

 家族を失ってしまったから自分は一人ぼっちなのだ、と女の子は嘆いた。男の子はまた、俺がいるのに、と悔しそうに口にして女の子の手をぎゅうと強く握る。


『わかった。じゃあ―――――』


 男の子はまるで名案だ、とでも言うように目を輝かせた。その男の子の提案を聞いて、女の子はようやく、零れるような笑顔を見せた。









 よくよく思い返してみれば、彼との付き合いも最早五年になり、お互いの事を深く知るのに十分な時間のように思えていたが、どうやらそれは私の自惚れだったようだ。


「……っ!…………っ!…!」


 腹を抱えて身を捩りながら笑いを堪える綾瀬悠紀なんて初めて見た。彼はいつだって微笑んでいるが、その表情には『冷たい』という形容詞がつくのが常だった。こうも息苦しそうに笑う姿など、これまで想像も付かなかった。あまりの物珍しさにムービーでも残したいものだが、残念ながら彼をこうまで笑わせている原因の一端を自身が担っていると思うと、とてもそんな気分にはなれなかった。


「綾瀬、それは笑い過ぎじゃない?」

「いやいやいや。本城はもう少し、自分がどれほど笑える状況に陥っているのか自覚すべきだよ」


 ようやく、笑いを収めた綾瀬はソファに背を預けて息を吐く。こんな夜更けに突然綾瀬を訪ねた理由を説明しただけだったのだが………うん。私もこれが他人の話なら思わず笑ってしまったかもしれない。

 佐久間のお屋敷を出た私は、すぐにタクシーを拾って綾瀬が一人暮らしをするマンションを目指した。綾瀬の実家が管理する高級マンションの最上階のワンフロアが、今の彼の住居らしい。贅沢な事だ。


 綾瀬の実家が管理するマンションともなれば、セキュリティーも万全だ。例えば後を追われても、綾瀬の許可が無ければフロントのコンシェルジュが追い返してくれる。下手にホテルに避難するよりも余程安全だと思い、匿ってもらう事にした。

 大慌てで佐久間の屋敷を出たので、お仕着せからエプロンを外しただけの姿でここまで来ていたのだが、今は綾瀬に上着を借りてリビングのソファで寛がせてもらっている。屋敷を出たときは必死で気付かなかったが、そんな格好でよく来たね、と綾瀬にパーカーを着せられて初めて寒さに気付いた。


「気軽に君を部屋に上げたけど、そんな事になっているならこの状況も、佐久間からいらぬ嫉妬を買いそうだね」

「誠一郎様のあれは、一時の気の迷いよ。気にしないで」

「彼は本気だって言っているんだろう?」

「そう思い込みたいだけよ」


 あの人は昔から単純で、思い込みやすいところがあった。だから、彼に目を覚ましてもらう為には、少し距離を取る必要がある。咄嗟にパスポートを持ってきたが、せっかくなので、本気でしばらく海外に飛んでほとぼりが冷めるまでやり過ごそうか。帰るまでに何年掛かるか分からないが、佐久間にはお爺様宛に手紙を書いておけば良い。佐久間のお爺様ならきっと分かって下さる。


「それにしても何故、本城はそうも嫌がるんだい?彼に選ばれて嬉しいとはならないのかな」

「なる訳ないわ。あの人は、愛されたがりなの。愛して欲しい人にこそ愛されなくて、手近で済まそうとしているだけ」

「酷い言われようだね」


 L字に置かれたソファにそれぞれ座っていたが、立ち上がった綾瀬は私のそばまで歩み寄り、すぐそばで腰を下ろした。ソファの背もたれに身を預け、どこか気だるげに私の顔を覗き込む。


「だけどそれは君も同じじゃないか」


 酷薄な微笑みで綾瀬は笑う。その顔こそが妙に彼らしいと、ある意味失礼な事を思った。


「僕には二人とも同じに見えるよ。どちらとも、プライドだけが高くて、さして愛される努力もせずに最初から諦めている。彼は本城の言う通りなら手近で済まそうとして、君は自分の納得のいく女性を宛がおうとしている。どちらも勝手で、自業自得だね」


 綾瀬はそう、容赦なく切り捨てた。誠一郎様は星崎さんに対し、彼女に愛を伝えようとするよりも、その優しさがもっと欲しいと求めてばかりいた。まるで、小さな子どもが母の背を追うように。

 そして私は、自分が可愛かった。これは敵わなくても仕方がないと、この人以上に彼を幸せにしてくれる人はいないと、そう思える人を誠一郎様が選んでくれたならば、私の傷はまだ、浅くて済むのだとよく理解していた。なんて身勝手な理由だろうか。


「………悪い?」

「いいや?ただ、僕は君に親しみを感じている。これでも案じているんだよ。君はそれで、本当に良いのかな、って」


 そう口にしながらも、何を考えているのかいまいちよく分からない表情で、綾瀬はソファの背もたれから身を起こすと私の手を取った。そのまま握りこまれると、綾瀬の方が誠一郎様より少しだけ指が細いのだと分かる。


「こんな風に、掴んでみれば良いじゃないか。差し出されたなら、とりあえず掴んでそれから悩めば良い。例え今が本当に気の迷いでも、いつか本物に変わるかもしれない」


 綾瀬の口にする言葉は、一々もっともらしくて嫌になる。もしも、私が他人の事としてこの話を聞いたのならばそう返すだろう、と思えるような事ばかり。だからこそ、何の反論も出来なくて、その癖何もかも理解してくれるような気がして、ついつい余計な口を滑らせる。常に理解者を求めてしまうのは人の性だと言うけれど、その性を言い訳にしてしまいたい。


「気の迷いのまま、終わったらどうするの」


 気紛れに私を視界に入れて、そのまま思い込んで駆け出して。そのまま走り切れればいい。けれどもしも、途中で振り返ってしまったら、


「……ずっと好きなの。すごく好きなの。人生の半分以上を、彼を好きだと思って生きて来たの。それでも、最初から手に入らないと思えば、自分を誤魔化して諦めを付けられる、はずだった」


 例えば私が、星崎さんみたいに素直で綺麗な心の持ち主だったなら、気の迷いに一縷の望みを賭ける意味はあっただろう。けれど私は、所詮素直じゃない捻くれ者だ。


「思い込みでも、一度手を掴んでしまったら、無理よ。もう諦めなんてつかない。彼が後からどんなに後悔したって手離せない。もしも『前』みたいに他の女性を見たら――――」


 私は、自分の心が醜い事も汚い事もよくよく理解している。誠一郎様のお心を一度手に入れたと思い込んで、そしてまたこの手をすり抜けて行ってしまったとして。私はまた愛されるように頑張ろうなんて、前向きに思える人間ではない。きっと私は、


「例えそれが遊びでも、私はあの人を殺すと思う」


 諦めが必要だった。自分の中で湧き上がる感情を抑えつける為に、呆れて、見下げて、諦めてしまいたかった。そうでなければ、感情が一色に塗り替えられて制御できなくなってしまう。


 その感情は嫉妬だ。

 彼が女性へ興味を持ち始めて、私は何度心の中で呪った事だろう。『嘘吐き、嘘吐き、嘘吐き!』と。欠片も私を見ないで、他の女性に伸びる手が、切り落としてしまいたいほどに憎かった。羨ましくて憎らしくて息苦しくて、そんな感情を抱えたまま生きていられなかった。


 だから何も期待しなかったのに。だから何も求めなかったのに。だからそばに、いられたのに。今更手なんて伸ばさないで欲しい。諦められなくなる。きっと、何もかも許せなくなってしまう。

 握られた手に力を込めれば、綾瀬はまるで労わるように、反対の手で私の手を撫でた。


「情熱的だね」

「素直に言って良いのよ。しつこくて重くて面倒くさいって」

「まあ、色々考え過ぎて面倒なのは間違いないね」


 遠慮なくそう言って、綾瀬は私の手を離すとまたその身をソファに預けた。そのまま、彼はあまりにも軽々しく口を開く。


「殺せば良いんじゃないかい?別に彼一人死んだ所で世界は終わらないさ。君一人警察に捕まった所で世間は一週間もすれば忘れる。浮気者には死を。結構な事じゃないか」

「軽く言ってくれるわね」

「もっと軽く考えれば良いと思っているからね。ところで、本城」


 綾瀬は私に呼びかけながらソファから立ち上がると、元々座っていた所に画面を伏せて置いていた自身のスマートフォンを持ち上げる。その画面をくるりと私の方へ向けた。


「これ、なーんだ?」


 特に悪戯っぽいという事も無く、棒読みでそう言われた。私の視線はスマートフォンの画面に吸い寄せられる。その画面は通話中を示しており、大きく『生徒会・会計』と表示されていた。


 綾瀬には、妙な癖がある。アドレス帳に名前で登録しないのだ。いつもその人物を表す役職や特徴で登録している。確か私は『風紀兼友人』で御代尚之は『単細胞』で登録していた。いつも冷静で鋭利な印象の綾瀬だが、幼馴染である御代尚之に対してだけは妙に子どもっぽいところがある。生徒会長をしていた御代尚之はけして『単細胞』などではなかったので、これも嫌味の一環なのだろう。―――――――今はそんな事はどうでもよくて、


『あっ!何でバラすんだよ、馬鹿!』


 私達の高校時代、生徒会で会計をしていた人間で、このタイミングとなれば一人しか思いつかない。そして、スピーカーモードになっているスマートフォンからは思った通りの声が聞こえた。

 声の主は佐久間誠一郎。果たしていつから、この電話は繋がっていたのだろう。それも、スピーカーモードで。


 こちらの声は全て彼に筒抜けだという事に気付き、勢いよく血の気が引く。早く通話を切らせるよりも何よりも、いっそこの場で気を失ってしまいたかった。







読んで頂きありがとうございます。

麻耶は割とドロドロしてます。


男性の嫉妬は自分の恋人に向き、女性の嫉妬は恋敵に向く、と言いますが麻耶の嫉妬は何故誠一郎に向くのだろう、と考えて気付きました。

不特定多数過ぎて、恋敵に嫉妬を向けようがなかったのではないかと。誠一郎、もげろ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ