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そうして囲い込んで



『泣くなよ』


 小さな男の子は、唇を尖らせて不満そうに口にした。その手は同じ年頃の女の子と繋がれており、彼の後ろで手を引かれて歩く女の子は、ポロポロと涙を流し続けていた。


『おれがいるだろ。おれがずっと一緒にいるよ』


 だから泣くなよ、と小さな男の子はまたそう繰り返す。拗ねたような口調だったが、男の子はけして泣いている女の子の手を離して、置いて行く事は無かった。

 ごめんね、と女の子が謝る。ごめんね、泣いてばかりでごめんね。男の子と繋ぐ手とは反対の手で乱暴に目元を拭い、小さな女の子は幼いながらに精一杯の強がりで笑った。


『ごめんね、ありがとう。もう、だいじょうぶだから』


 けれど、強がるには女の子はやはりまだ、幼くて。笑う為に細めた目尻からまた一筋、涙が流れた。


『だから泣くなって』


 男の子はもう一度そう、繰り返した。今度はまるで仕方が無いなあ、とでも言うように苦笑して、女の子の涙を拭った。









 佐久間のお屋敷の使用人の年齢は幅広い。

 長年佐久間の家に仕え、誠一郎様だけではなく私も幼い頃からお世話になっている人もいれば、最近雇われた若い人もいる。誠一郎様が女遊びに夢中になっていた時期だけは、屋敷内でその犠牲者を出すかもしれない、と若い女性を雇う事を控えており、平均年齢が釣り上がっていたが、今では良い人材がいれば若い女性でも積極的に採用している。


 私とそう年の変わらない人も多く増え、時折世間話に興じる事もあった。華やかな事に疎いところのある私にそういった事を教えてくれるのは、いつもお喋り好きのその人たちだった。

 しかし、慣れているはずのそのお喋りの時間が、今は私の心をじりじりと追い詰める。


「麻耶ちゃんが将来は社長夫人かぁ」

「あ、そうなると気安く『麻耶ちゃん』なんて呼べなくなるわね」

「何て呼ぶ?やっぱり『若奥様』?」

「やだぁ。若奥様なんて、麻耶ちゃんったら玉の輿ね!」


 まるで身に覚えのない話だった。私に結婚の予定もなければ、ましてやその相手がどこぞの会社社長であるはずもない。更に言えば、佐久間の使用人に『若奥様』と呼ばれるようになる相手と結婚する気など微塵も無い。


「………あの、何のお話ですか?」


 努めて冷静に口を開いた。しかし、頭の中は混乱の極致である。最近、私の周りで誠一郎様が何やらぎゃーぎゃーと喚いていたが、それは全て私と二人きりの場での事だった。女性恐怖症にまでなった癖に昔のプライドだけは健在な彼が、振られた話などを人前でしたがるはずもないのだ。


「もう、麻耶ちゃんったら。隠さなくて良いのよ」

「そうそう、私達、誠一郎様にちゃんと聞いたんだから」

「すみません。全く心当たりが無いのですが、あの方が何をおっしゃったのですか?」


 聞きたくないような気がしつつも、この不可思議な現状を放置する事も出来ず、恐る恐る追求すれば、彼女達はさっと互いに顔を見合わせた。


「もしかして、麻耶ちゃんには秘密なのかしら」

「そうよね。誠一郎様からすれば、サプライズのつもりかも」

「それなら私達からは言わない方が良いわよね」

「その方が喜びも倍になるかもしれないし………」


 ぴったり三秒の沈黙が落ち、きゃあきゃあと華やかに盛り上がっていた彼女達は突然静かになって、にっこりと笑った。まるで何もかも分かっているのよ、とでも言いたげに完璧で隙のない微笑みだった。


「私達は皆、麻耶ちゃんの味方だから、安心してね」


 何もかも安心出来ない、と自分の頬が引き攣ったのが分かった。









 誠一郎様が帰宅した瞬間、やはり彼が何かしたのだと確信した。

 私と顔を合わせた瞬間のあの、顔!してやったり、と言わんばかりの得意げな顔だった。ざまあみろ、という声が聞こえてくるようだった。見ているだけで腹立たしくなってくるような、そんな顔だった。


 分かりやすく取り乱すと彼の思う壺のようで、私は何とか落ちつき払って誠一郎様の帰宅を出迎えた。彼の食事の給仕をし、着替えを用意して風呂へ向かわせ、最後に寝室まで連れ添った所で、初めてまともな口を聞いた。ここまでお互い事務的な会話しか交わしていない。その間も、誠一郎様は満足げな顔を崩さなかった。忌々しい。


「お伺いした事があるのですが、少しお時間を頂いてよろしいでしょうか?」

「聞いてやろう」


 誠一郎様は尊大な態度で私を自室に招き入れる。つい先日まで私の背後で『意味が分からない!』と喚いていた癖に、なんだこの態度は。

 ベッドの上に腰掛ける誠一郎様の前に立ち、口を開く。


「率直に伺いますが、使用人の方々に何か、変な事を言いましたか?」

「変な事なんて言ってない。俺はただ、『そろそろ麻耶に指輪を用意しようと思うが最近はどういうのが流行っているのか』と聞いただけだ」

「言っているではありませんか!」


 男性から女性へ指輪を贈る意味、そして『そろそろ』という言葉によって感じ取れる付き合いの長さとその終着点。女性恐怖症気味だった誠一郎様は若い女性である彼女達を遠ざけていた。その為、彼女達は誠一郎様の事も、私と彼のこれまでの正確な関係もしっかりとは把握していない。そんな彼女達があらぬ妄想を膨らませるには十分な一言だった。


「下村さんにまで『あるべき所に収まりました』と言われたのですよ!何も収まっていないのに!」

「諦めろ、もう使用人の中では麻耶が将来の『若奥様』になっている」

「私は何も了承しておりません!」

「だから先に周囲を固めたんだろ」


 しれっと悪びれ無くそう言われた。どこでそんな手法を覚えて来たのだ。高校時代は星崎さんを追いかける様子を綾瀬に『愚直』とまで言われるほどだった癖に!こんな手の込んだ事を。


「麻耶」


 けして私に向けられた事のない、甘さを含んだ声がこの名を呼んで、座ったまま手を伸ばされた。そのまま立っている私の腰に腕を回し、ぐっと引き寄せられる。


「『覚悟しろ』と言っただろ」

「………その後に『冷え性女』という捨て台詞を頂きましたが?」

「俺が温めてやろうか?」


 恋人同士の戯れのような言葉に、ぞっと寒気がした。十代の頃には余所の女の子に散々口にしてきたのだろうが、初めて聞かされるその言葉は、私にとって不気味でならなかった。


「………誠一郎様がいくら我儘をおっしゃったところで、私では佐久間の跡取りの妻に相応しくはありません。佐久間のお爺様も、社長も反対されます」


 感情的になっては負けだ、と思い、平静を装ってそう真っ当な反論をした。将来佐久間グループのトップに立つ人間の妻には、それ相応の価値が必要なはずだ。私では佐久間に対し、何も貢献する事などできない。所詮、元々私は、佐久間のお爺様の温情によって生活する、孤児でしかない。


「そこを通して置かなければ『周囲を固めた』とは言えないだろ」


 意地悪そうに笑った誠一郎様は、何の断りもなく抱き寄せたこのお腹に頬を寄せる。変な音が鳴ったらどうしよう、なんて詰まらない事が心配になった。


「親父は元々よく知っている麻耶なら間違いも起こさない、と遠回しに勧めて来ていたからな。親父にとって、利益よりも信頼出来るかどうかが重要らしい。で、おまえの大好きな爺さんは『好きにしろ』だと。むしろ嫁の後ろ盾を当てにするような跡継ぎならいらん、と言われた」


 そこまで聞いて、私はようやく、『捕まった』事を理解した。社長は元奥様とお見合い結婚だった。常々、元奥様の本質を見抜けなかった事を悔いていらっしゃった。おまえは相手をよく見て知ってから選べ、と反抗期の誠一郎様に嫌がられるほど口を酸っぱくして言っていた。

 佐久間のお爺様は、元々小さな商店だったものを、一代で世界に名立たる大企業にまで育て上げた。実力でのし上がったお爺様は、端から政略的な結婚などを当てにする考えを持たない。


「だから、麻耶。諦めろ」


 誠一郎様はひどく上機嫌だった。私を論破し、全て自身の望むままに事を運べたのだ。さぞ心地良いだろう、と思う。抱きしめる腕を緩めると、長い指が私の頬へ伸びた。もう片方の手が私の首の後ろに回り、私は少し屈むように彼へ顔を近付けた。


「麻耶」


 彼の、私を呼ぶ声は、毒のようにひどく甘い。誠一郎様がここまでするとは思わなかった。私を好きになりたい、なんて一時の気の迷いだと思っていた。だってこれまで、一度だって私に振り向いてくれなかった癖に。

 顔を引き寄せられると、誠一郎様の唇が私の頬を掠めた。


「麻耶」


 そのまま、今度は唇に口付けられそうになる。女性恐怖症だったのが嘘のよう――――そうだ、彼は元々、こうして女性に触れることこそが得意だったのだ。

 私は自ら両手を彼の頬に触れさせて、一度その動きを押しとどめた。うっすらと微笑めば、誠一郎様は嬉しそうに目を細める。その顔が、本当に嬉しそうに思えて、何だか無性に悔しかった。


 だから私は、容赦しない。そのまま彼の額に自身の額を打ち付けた。渾身の頭突きである。


「…っ!?」


 誠一郎様は反射的に私から手を離すと、額を抑えて悶絶する。良かった、小さい頃から変わらず、私の方が石頭のようだ。精々悶え苦しんでくれればいい。

 私は捕まった。けれど、大人しく捕まっていてあげるつもりなど毛頭ない。退路まで見失ったつもりはないのだ。


「誠一郎様。これまで大変お世話になり、誠にありがとうございました」


 一礼して、彼の額の痛みが収まる前にその部屋から逃げ出す。走って自室まで戻ると財布とスマートフォンとパスポートだけ持って、佐久間のお屋敷を飛び出した。






読んで頂きありがとうございます。

このまま、この勢いで完結目指したいです。しかし、誠一郎くん、前話から痛い思いしてばかりである。

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