愛されなかった男の末路
それは、甘く優しい物語。
あるところに、次代を担う若者達が集う、私立学院がありました。分かりやすく言ってしまえば、お金持ちの令息令嬢がこぞって入学する、一種のブランドめいた学院でした。
その学院では、あるとき極まって有能であり、家柄容姿共に文句のつけようのない五人の生徒がいました。その生徒達はやがて揃って高等部に進学すると生徒会に所属し、一般生徒達の憧れと羨望を一身に集めておりました。
そんな中で、一人の転校生がその学院に現われたのです。
転校生は凡庸な容姿をした、これと言って突出した長所も短所も見当たらない極普通の女の子でした。ただし、笑うと大変愛らしく、何より純真でひた向きで、心根の優しい女の子でした。
曲がった事の大嫌いな女の子は、誰に対するときも臆することなく真っ直ぐに意見しました。そんな女の子に興味を持ったのは、あの輝かしい生徒会でした。
始めは皆、珍しい者を面白がるような、そんな興味だったのでしょう。けれど、真っ直ぐで人の本質を見抜く女の子に、生徒会の方達は揃って好意を抱きました。その家柄故に、優秀さ故に苦悩の多い彼らにとって、女の子の存在は確かな安らぎとなったのです。
誰もが願った事でしょう。女の子と過ごす甘く優しい日々が、永遠に続くように。優しい女の子が、自分だけに微笑んでくれるように。
やがて女の子もまた、彼らと関わるごとに一つ、また一つと成長し、自らの将来を、自分の意思で選びました。女の子もまた、一人の人間として、唯一人の人を愛するようになりました。そのお相手は優しく、ときに厳しく自分を支えてくれた、生徒会長でした。
それは、誰しもが憧れるハッピーエンド。女の子は、沢山の困難を乗り越え、愛する人を見付け、幸せになりましたとさ。めでたし、めでたし。
と、世間にいくらでも氾濫している少女小説、少女漫画ならばここで締められるのだろう、と私、本城麻耶は考える。
優しい少女が、同じく心優しい少年と想いを通じ合わせ、将来を誓い合う。なんて美しく、夢のように輝かしい物語だろうか。それに憧れる者がいたとして、誰がそれを否定できるだろう。それは確かに、分かりやすく明確な、一つの幸福の形だ。
しかし、問題はある。二人がどんなに愛し合い、二人だけの精神世界を構築できたとしても、実際に二人が現実世界から隔絶された訳ではない。周囲には必ず多くの人間が生息している。
それはもちろん、初めて心から愛した少女に『愛されなかった』男達も。
「俺はもう、女なんか信じない!」
例えば、部屋の隅で膝を抱えている目の前の男。少し長めのダークブラウンの髪に相応しく、目鼻立ちは優しく甘い。柔らかく微笑めば多くの女性がうっとりと見惚れるような美青年だが、いじけきったその表情が全てを台無しにしている。
「それは聞き飽きました。いい加減ご覚悟なさいませ、坊ちゃま」
「嫌だ!大体、坊ちゃまって何だよ!」
「ただの皮肉ですが」
「だろうな!!」
縮こまったまま喚き続ける男の名前は、佐久間誠一郎。世界に名だたる佐久間グループの御曹司である。失恋をして以来、まるでその痛みから目を逸らすように真面目に跡継ぎとしての勉強を始めたが、私の前で漏れる性格は今のように我儘で甘ったれのままだった。
「それが使用人の態度か!」
「私は確かに使用人としてのお仕事を頂いておりますが、佐久間のお爺様から貴方の我儘を諌める為の進言を許可されております」
坊ちゃまは進言ではなくただの嫌がらせだが。彼は昔から子ども扱いを嫌う。それこそが子どもの証左で在るという事にも気付かずに。まあ、嫌味もこのくらいにしておこう。
「私とてこのような事を口うるさく言いたくはありません。けれど貴方は、いずれ佐久間グループを背負って立たれる御方。いつまでもそのような我儘は通りません」
「………それは、分かっている。ただ!それとこれとは話が別だ!」
誠一郎様は震える腕で己を抱きしめると、ゆっくりと深呼吸をしてか細い声で呟いた。とても普段、堂々と風を切って歩く佐久間誠一郎とは思えない。
「………結婚なんかしたくない」
この世の終わりのように、青褪めている。私は彼の中に燻る根深いトラウマに、大きな溜息を吐いた。
「我儘をおっしゃらないで下さい。佐久間のお爺様のご意向です。誠一郎様も、そろそろ婚約者候補となられる方くらい見付けなければなりません」
「い、嫌だ!女なんか信用出来ない!甘い声で他の誰が敵に回っても俺の味方でいてくれるとか言いながら、あっさり他の男を選ぶんだ!俺には弱さを見せてもいいと言いながら、自分は他の男に甘えるんだろう!」
「誠一郎様も、昔は多くの女性にそのような事を囁いていらっしゃったではありませんか。少なくとも、本気で貴方を案じてくれていた彼女の方が、誠一郎様よりも余程ましです」
今でこそ、失恋のショックにより女性不信であり、女性に対し憎しみに近い感情を抱いている誠一郎様だが、その昔は目も当てられないような、性質の悪い女たらしだった。
視界に入る女性は根こそぎ声を掛け、たらし込み、その癖彼自身はけして相手の女性に深入りしない。誠一郎様の火遊びで、どれだけの女性が涙を流した事だろう。きっと彼の現状に対し、罰が当たったのだと思う人はけして少なくないと思う。かくいう私はもちろんその一人である。
そんな誠一郎様を真正面から否定したのが、あの優しい少女だった。彼女は彼の在り方を諌め、その上でこう語ったのだと言う。
『佐久間君は女の子が大好きだって言っているけど、それならどうして、女の子に囲まれている佐久間君は、いつもそんなに寂しそうなの?』
それは、彼の本質を突いた言葉だった。誠一郎様は彼女ならば自身を理解してくれるのではないか、と期待した。彼は女性の温もりを求めていたが、その一方で心の奥底では女性を軽蔑していた。それでも自身を優しく包んでくれる存在が欲しいと足掻いていたのだ。
「そ、そうかもしれないけど……!初めて女を信じられると思ったのに!」
心から嘆く誠一郎様に同情はする。彼はあの少女に恋をして、自身のそれまでの行いを心から恥じ、悔いて、関係のあった女性達とは丁寧な謝罪の後に縁を切った。派手な色に染められていた髪も自然な色に戻し、誠心誠意少女に尽くした。
ただ、やはり誠一郎様は考えが甘いと思う。どれだけ相手を想い、尽くしたとしても、報われるとは限らないのが恋というものだ。それに対して恨み事を述べるなど、筋違いも良いところである。
「諦めて別の女性へ目を向けて下さい。良いお話は山のように頂いているのですから」
「絶対に無理だ!それならいっそ………!」
苦渋の選択だとその表情で語るように彼は言葉を吐き出す。まだ見合いをしろ、とせっついているだけの段階であるのに、余程嫌なのだろう。
「麻耶が俺に嫁いで来い!おまえなら今更女だとは思えないし、子どもなんてどうとでもなる!結婚するなら女と思えないおまえが一番マシだ!」
その言葉を聞いた瞬間、何とか宥めようと丁寧に言い聞かせていたのに、私の中で何かがぷっつりと切れてしまった事が分かった。この人は昔からそうだったな、と思い出す。
我儘で、甘えたで、傲慢で、デリカシーがない。
「誠一郎様」
私は自分に出来る限り、精一杯優しく微笑んで、殊更柔らかく彼の名前を呼んだ。誠一郎様の身体がびくりと跳ねる。八歳からなので、もう十二年の付き合いになる。その私の声が、抑えようのない怒気を孕んだものであると理解したのだろう。
怯える彼を無視して、ゆっくりと一歩ずつ距離を詰める。目の前で膝を折り、床に座り込む彼と視線を合わせた。その頬に手を伸ばし、包み込んで。
「!?」
そのまま、誠一郎様へ口付けた。恋人でも無い人物に対する一方的な口付けはある種の暴力となるのだろうか、と考えたがどうでも良い。昔は女であれば誰彼構わず近付いていたような男だ。こんなもの挨拶代りだろう。彼の貞操観念の希薄さはよく理解している。
硬直した誠一郎様に口付けたまま、きっちり三秒を数え、唇を離す。
「申し遅れました。私は誠一郎様をお慕い申し上げております」
気付けば、いつしか告げる機会を失ってしまった感情だった。年頃になる頃には、彼は女遊びに興じ、それが終われば例の少女に夢中だった。その後は立派な女性恐怖症となり、私もまた、気持ちを伝えたいと考えるような青い感情を失ってしまっていた。
期待なんてしようのない恋だった。もうやめようと足掻いた事もあった。けれど、どうしても消えてくれない恋だった。
「貴方が私の事を女性として見ていらっしゃらない事は分かっています。今更恋を叶えたいとも、貴方に愛されたいとも思っておりません」
手当たり次第女性に手を出していたあの頃でさえ、私にだけは興味を示す事もなかった。それが全ての答えと言えるだろう。だから、今更夢なんて見ない。
「けれど、貴方をお慕いしているからこそ、仮面夫婦など堪えられません。代わりに、貴方が心を許せるような、そんな素敵な女性を見付けてみせましょう」
呆然とした誠一郎様に、決然と告げる。
「ご覚悟なさいませ」
こうして、私は振られる前に失恋した。
読んで頂きありがとうございます。
性懲りもなくこんな話を始めてしまいました。あはは…
短めに纏められるように頑張ります。
イメージとしては、逆ハーレムを築ける系の少女漫画や乙女ゲームを下地にしていますが、特に誰か転生者が出てくるとかそういうパターンではありません。