第六話 吸血少女の奇妙な一日
いつものように日が暮れてから、リヴィアは目を覚ました。机の上に置いてある、銀貨や銅貨が詰まった小瓶をカチャカチャとゆすっては、それはそれは幸せそうに、にこにこと笑う。
「あしたはお父様のたんじょうび…なにあげようかな。」
そして、小瓶から小さな袋に中身をすべて移そうとして、手がピタリと止まる。
「はいらない…。」
仕方なく、机の上にすべてを出し、その中からできるだけ多めの銀貨をより分けて袋に詰めた。
「よーし」
ずっしりと膨らんだ袋を鞄に入れ、外に出ようとして、リヴィアはまだパジャマを着ていることに気付いた。
リヴィアが向かったのは図書館。ドアを開けると、ニーズホッグが近寄ってきた。
「おや、珍しいねぇ。どうしたんだい姫ちゃん?」
「……。」
リヴィアはニーズホッグが少し苦手なのか、ジリジリと後ずさる。
「レミちゃんなら食堂じゃないのかな?」
「ニーズホッグ、姫君が怯えておるぞ。」
ニーズホッグの頭の上から顔を出すリヴァイアサンを見て、リヴィアの緊張は少しほぐれたようだ。
「で、わざわざこんなところに来るとは、何かあったのか?」
「あ、あの、あしたって、まお…お父様のたんじょうびですよね。えっと、そのー…。」
「ああ、プレゼントを買いに行きたいのか!」
ニーズホッグがポンと手を打つと、リヴィアはこくこくと頷いた。
「あの、お父様と、なかよしですよね?」
「まあ…うん、仲いいけど…。」
「なにかほしがってそうなものないですか?」
「何でもいいと思うぞ、心がこもっていれば魔王は喜ぶだろう。あと…ニーズホッグに頼っても何も出んぞ。」
「そんなに褒めないでよリヴァイアサン。」
心のこもったもの、と聞いて、リヴィアはうーんと唸る。
「そんなに考え込まなくても、魔王ならそのへんの石ころでも喜んで持ち歩くと思うよ~。」
「そういうところが頼りにならないと言うのだ。」
ひとしきり悩んだ後、リヴィアはニーズホッグの背後に回り、リヴァイアサンの尻尾を掴む。
「やっぱりわたしがさがしに行かないと!」
「何故我を連れて行こうとするのだ!」
「ひとりじゃおこられるから!」
「だからって引っぱるんじゃない!そしてハンカチを振るなニーズホッグ!」
そして、(恐らくあまり役に立たないであろう)お伴を連れて、リヴィアは城を後にするのだった。
にぎやかな城下町を、リヴィアは何を探すでもなくうろうろしている。
「どうしようかな…」
「姫…いや、ううむ…。」
鞄からひょっこりと顔を出したリヴァイアサンが何か言いたげにリヴィアを見つめる。
「あ、よびすてでいいんですよ?」
「そうさせて貰う…で、リヴィア、何をしにきたのかは覚えているな?」
「お父様のプレゼントかいにきたんだから…もっといろんなお店があるところに行ったほうがいいんですかね?」
そう言って、リヴィアは大通りの方に向かって歩き始める。
「うむ。……あまり人気のない通りには行かないようにするのだぞ?」
「はーい。」
小さな雑貨店のドアを開けると、女の子向けのお店だったようで、リヴィアは目を輝かせたが、リヴァイアサンが引きとめたのでそっとドアを閉めることになった。
いくつか店を回ったが、めぼしいものはそう簡単に見つからないようで、項垂れながら歩く。
「うーん……。」
「なかなか良いものは無いな…。」
溜息をつきながらもふらふらと歩いていると、見知らぬ男がリヴィアに声をかける。
「こんなところで何をしてるんだい、お嬢ちゃん?」
少し怪しい雰囲気だ。
(リヴィア、少し距離を置いた方が良い。)
(は、はい。)
後ずさりしながら、相手の出方を窺う。
「親御さんが心配してるよ?」
「え、えっと…あの、どちら様ですか?」
「君のお父さんの友人だよ。ほら、こっちにおいで?お父さんがさがしていたよ?」
男の手がリヴィアに伸びる。寸前で鞄の中からリヴァイアサンが飛びつき、男の手に噛みつく。
「痛っ…!何しやがる!」
男が手を払うとリヴァイアサンは地面に叩きつけられる。と、同時に、男が隠し持っていたナイフが地面に落ちる。
「リヴァイアさん!」
「馬鹿め…仕込みナイフを落とすなんて初歩中の初歩だな…。人攫いならもっと、上手くやるんだな…。見たところ、悪魔の中でも、最下級の木端か。」
「っ…の、畜生がぁ!」
男がリヴァイアサンを踏みつけようとすると、足元の地面に片足を引きずり込まれる。《硬度弱化》の魔法だ。
「だいじょうぶですか?」
「心配ない、少し、打っただけだ。」
リヴァイアサンを気遣ってか、鞄の中に入れず、素早く抱えあげて男がもがいているうちに人ごみの中に逃げ込む。
その頃、魔王はリヴィアが居ないことに気付き、城中を探し回り、探させ回っていた。
「あー騒がしい…何やってんの?」
「ニーズホッグ!良い所に!リヴィアを見ませんでしたか?」
「見たけど…(これ正直に言ったら姫ちゃんに怒られるよね)夕方に図書館で本読んで帰って行ったよ?僕が知ってるのはそこまで。」
大慌ての友人を見ながら、少しクスクスと笑いながら受け答えるニーズホッグ。
「リヴァイアサンを見ませんでしたか?もしかしたらリヴィアを見ているかも…。ああ!こんなに風の強い日にまさか外出なんて…!」
「…さぁ?」
ありがとうございます、と言い残してものすごい速さで走り去る魔王。
「ものすごく知ってるけどね…。」
その背を見送って、ぽつりとつぶやくのだった。
しばらく歩いたのち、ふと顔を上げると、どこなのか全くわからない場所に居た。どうやら人ごみに流されるうちに大通りからは外れてしまったようだ。
「あー、えーっと、どこ、だろう…ここ……。」
「まさか、道に迷ったのか?」
「そうみたいです…」
途方に暮れてあたりを見回すと、一軒の店が目に入る。
「…あれ、なんだろう。」
何となく興味を引かれて入ってみると、不思議な空間だった。何の変哲もない雑貨屋のように見えるが、何となく違う気がする。
「贈り物ですか?」
「うひゃぁ!」
急に声をかけられたため、驚いて声をあげてしまう。
「失礼いたしました。何かありましたらお気軽にご相談くださいね。」
「は、はい…」
そして、棚に置いてある商品に目を戻す。
(怪しくないか、この店…)
(でもおいてあるものはすっごく普通ですよ。)
(だからこそ何か引っかかるのだ…杞憂であればいいが。)
棚に並べてあるのは置時計だろう。小さな猫の置物に埋め込まれた時計は、規則正しく時を刻んでいる。
「うーん…とけいはへやにあるし…。」
すぐ隣の棚に目をやると、鏡や、小物入れが並べてある。どれも可愛らしい装飾が施されている。
「明らかに男性用では無いな…リヴィア?今日の目的は何だった?」
「お、おぼえてますよ!」
店内をぐるっと見て回ると、一つだけ、目に留まる物があった。
「きれい…」
硝子でできていて、細かい装飾の施された、傍から見ても高価そうな砂時計だ。
「これは…なかなかのものだな。」
「お客様、それはマジックアイテムでございます。」
「マジックアイテム?」
店員はこくりと頷き、商品の説明を始める。
「この砂時計を一度ひっくり返すと、砂が流れきるまで時間を止めることができます。」
「じかんを止める?」
「はい。一度砂が流れきるとただの砂時計になってしまいますが…。」
リヴィアは砂時計に目を戻して、目を瞬かせる。
「このすなどけいってそんなにすごいんですか?」
「ええ。ですが、多少お値段は張りますよ。」
リヴィアは財布代わりの袋をじっとみつめて、うーんと唸る。
(リヴィア、そんな物を買うのか…?どう考えても怪しいだろう…。)
(でも気になるし、綺麗だし…)
(時間を止められるだなんて、どう考えても騙されてるとしか思えないぞ。)
「どうかなさいましたか?」
「あ、いえ」
リヴァイアサンとこそこそ喋っているのは流石に怪しかったか。
「えーと、あの、か、買いたい、です。」
「ありがとうございます。お値段は…そうですね、銀貨七枚で良いですよ。それならいいでしょう?可愛らしいお付きさん。」
「!気づいておったか…」
思いのほか安い金額を提示されて、リヴィアもリヴァイアサンも目を丸くしている。
「おい、そんな値段で本当に良いのか?」
「ええ。」
「ほんとうに、いいんですか?」
「当店は、正しく使っていただけそうなお客様にはお安く提供するのですよ。」
それでも安すぎやしないか、というリヴァイアサンの発言はスルーし、店員は砂時計を箱に詰める。
「またどうぞ。」
「あ、ありがとうございます…。」
店を出ると、風がだいぶ強い。
「早くかえらないと!」
「本当にあの砂時計を魔王に渡すのか?」
「そのまま渡すわけないですよ!とりあえずつかいきらないと…。でもじかんを止めるなんてとっぴょうしもなくて何をすればいいのやらわからないです。」
「何故買ったと言うのは言わない方が良いのだろうな…。はぁ…。」
それから、人に道を尋ねながら、大通りを目指して歩いて行く。
「こっちかな…あれ?」
少し広くなった通りの片隅に、人だかりができているのが見える。
「何だろう?」
「リヴィア、あまりかかわらない方が良いと思うのだが…。まあ言っても無駄なのだろうな。」
人だかりをかき分けてみると、リヴィアと同じ年頃の少女が、三人の男に囲まれて何やら暴力を受けているように見えた。恐らく貴族とその取り巻きだろう。
「ごめんなさい、ごめんなさい…!」
「早く土下座しろ!お前なんて家畜、いや、それ以下の存在なんだ、生かしてもらってるだけありがたいと思うんだな!」
少女の体にはあざや擦り傷がいたるところについていて、見ているだけで痛々しい。
(あんなのひどい…!たすけてあげないと!)
(どうするつもりだ?まさか自分の身分を明かすつもりではあるまい?)
(えっと…)
(ただでさえ人攫いに会うのだぞ、これ以上不安要素を増やしてくれるな。)
そんな内緒話をしているあいだにも、少女への暴行はエスカレートしていく。
「汚らしい下衆が、私を誰だと思っている!」
「申し訳…ありません…。」
少女に汚らしい言葉を吐きかけながら、男は自分の身分がどうだ、少女とぶつかったときに汚れた服がどれだけ上等なものなのかをべらべらと喋っていたが、リヴィアにとっては男の身分も、男の服の質も、大して素晴らしいとは思えなかった。それもそのはず。成金貴族と魔王の娘では、天と地ほどの差があった。しかし、仮に自分が魔王の娘だと主張しても、聞き入れる者はそうそう居ないだろうということも分かっていた。
(やっぱりたすけに行きます!あのままじゃあ、あの子がしんじゃうかもしれない!)
(相手が貴族では、取り押さえることもできぬか…助けたいのはわかるが、仮に怪我でもしたら、魔王はどう思うだろうな?)
(でも…!たすけてあげたいんです!)
(そんなときの為の、これではないのか?)
リヴァイアサンが鞄の中にもぐりこみ、砂時計の入った箱をくわえてリヴィアに手渡すと、リヴィアは手をポンと叩いた。
「よーし。」
砂時計を箱から出すと、ちょうど貴族の男が少女を蹴ろうとしていたところだったため、リヴィアは慌てて砂時計を逆さまにした。
静寂。自分以外のすべての時が止まる。少女も、男達も、群衆も。
「これで、いいのかな?」
リヴィアは少女を抱きかかえて人だかりの外に運び出す、やせ細った少女の体は、驚くほど軽かった。
「あとは…」
砂は残り半分。リヴィアは近くにあった看板を、少女のいた場所まで運ぶ。運び終わり、元の位置に戻って手の砂をパンパンと払い落とし、砂時計を拾い上げだところで、砂が落ち切った。
時が動き出す。
男が勢いよく看板を蹴りつける。大きな鈍い音に、少女はびくりと身を震わせる。
「ぐあああああっ!な、何だ、これっ!」
「残念でした!貴方が今やってたことは全部あますことなく魔王様に言っちゃうから!」
リヴィアは男に舌を出して、少女の手を取って走り去る。もちろん、王家の紋章の入ったブローチを見せつけるのも忘れなかった。
「あ、あの…貴女は?」
「わたし?とおりすがりの…えーっと、魔王様のぶかだよ!」
少女おどおどとリヴィアの顔色を窺っていたが、やがて大丈夫だと判断すると、ぽろぽろと涙を流し始めた。
「だいじょうぶ?これ、つかってよ。」
少女の顔をハンカチで拭おうとすると、少女は慌てて断る。
「い、いえっ!ハンカチが汚れてしまいます!」
「いいのいいの!」
少女の顔の土や涙をやさしく拭ってから、近くにあった井戸の水にハンカチを浸し、傷を綺麗に洗い流した。
「どうして、ここまでしてくれるんですか?」
「だってあんなお金もってるだけでふんぞり返ってるやつらなんかきらいだもん。あんならんぼうものに仕えられてる魔王様がかわいそうだよ!」
そして、リヴィアは少女の頭を撫で、小さな紙に何かをサラサラと書き、手渡した。
「これ、しょうかいじょう!わたしがかいたってしょめいもちゃんと入れてあるから、気が向いたらお城に来てみて。もんばんさんに渡したら入れるから。」
「良いんですか?」
「うん!もちろん!だからさ、いつかあそびにきて?」
「…はい!」
リヴィアが城に戻ると、魔王が仁王立ちでニコニコしていた。
「さて、なぜ私が怒っているのかわかりますね?」
「魔王、これには訳があってだな?」
「シャラーーーーーーーーーーーーップ!リヴィアの肩に乗るなど言語道断!降りなさい!」
結構無茶苦茶なことを言い、リヴァイアサンを引きはがす。
「あ、あの、お父様…えっと…ごめんなさい…」
「全く…心配したんですよ、私もレミさんも。」
そう言ってリヴィアの頭を撫でる魔王。
「これ、お父様に…。」
小さな砂時計を魔王に渡す。
「え?私に、ですか?」
「お父様のおたんじょうび、きょうでしょ?」
時計の針は確かに、深夜十二時十分を指している。
「…ふぅ、こんなことされちゃあ怒れませんよね。おいで、リヴィア。」
「おとーさまぁ…」
魔王はリヴィアを抱き上げ、涙目のリヴィアをあやす。
「リヴィア、怪我はありませんでしたか?…え?人攫い?人助け?そうですか。無事でよかった。」
「魔王が知らないうちに姫ちゃんはどんどんたくましくなるねぇ。」
魔王は、ニーズホッグの言葉を聞いて大げさにため息をついた。
「おしとやかに育てたつもりなんですがねぇ……。」
後日、成金貴族と人攫いが国外追放されたことを、リヴィアは知らない。