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☶☴(山風蠱)  作者: 筬群万旗
隠れ家
7/16

推理

 勧められるままにテーブルについてから、シャビィはそわそわしながらかまどの火を見つめていた。

 リシュンも付き合ってかまどを眺め、時々声をかけてみるものの、シャビィが曖昧な相槌を返すばかりで、少しも話が始まらない。

 リシュンが諦めてテーブルをたち、茶杯を用意しようとしたとき、やっとシャビィは口を開いた。

「リシュンさん、その、結局今まで聞けずじまいだったのですが――」


 テーブルに手をついたまま、リシュンは聞き返した。

「何でしょう?」

 シャビィはためらいがちに、小さな声で続けた。

「教えてください。リシュンさんが、プリア・クックに、それも、蔵を破りに来た訳を」

 かまどの中で薪がひきつる音がした。燈台の火がシャビィの半身に彫り込んだ陰影は、目が痛くなるほどに鮮明で、深い。


「……寺院の、正確には、門主様の不正には、あのとき既に確信を持っていました。私は真相を知るための手がかりを探していたのです」

 リシュンの答えに、シャビィは引き締まった顔でゆっくりと相槌を打った。

「分かりました……では、僕に出会ったときには、もう大体の事情をご存じだったんですね」

「ええ」

 リシュンは澄ました顔でそっけなく答えると、いきなりかまどを振り返った。小手鍋から、薄暗い湯気がたち昇っている。


「少しの間失礼して、茶杯を準備してきますね」

 リシュンは立ち上がると戸棚から盆と茶杯を取り出し、茶杯に茶葉を入れて湯を注いだ。釜の方はまだ火の勢いが足りないようだ。リシュンは薪を足して強く扇いでから、茶杯を盆に乗せてテーブルに戻った。


「丸幡屋を見張っていたのも、豊泉絹布で皆さんを待ち構えていたのも、確認と……」

 リシュンは茶杯をテーブルに置き、シャビィの手元に差し出した。

「恐れ入ります。」

 会釈をしたシャビィの眉が少し浮いたが、リシュンは話を進めることにした。

「仕掛けのためです」

 燈台の陰りを受け、リシュンの姿は明るい部屋から浮き上がっている。仏像にひけをとらない穏やかな表情の下に、シャビィは複雑に入り組んだ深みを見た。


「そんなに早いうちから……やはり、それも占いで?」

 リシュンは小さく首を横に振った。

「あの立派な御堂を見れば誰でも疑問に思いますよ。以前ならともかく、今のナルガにそんな羽ぶりのよい大店はありません。薫氏の息がかかった店を除いては」

 昨夜の会話が本当なら、寺院に薫氏が出資する筈はない。シャビィは小さく唸ってから、相槌を打った。

「それで、何かよくない商売が行われていると思ったんですね」

 リシュンが茶杯の蓋を取って香りを確かめてみると、軽くてしなやかな湯気がたち昇り、ほっそりとした顔を優しく包み込んだ。


「少なくとも、何か見えていないところで資金が動いていました。そもそも、シャビィさん、僧侶は金銭をもらうことすら禁じられているはずです――

 もう出ていますね」

 シャビィは茶杯の蓋を外して中を覗き込んだ。寺院で飲んでいる茶とは違い、若々しい緑色をしている。茶杯の中で広がった鮮やかな萌黄色の葉が口に入らないよう、シャビィは慎重に茶をすすった。さわやかな香りだが、茶葉だけはどうにも邪魔だ。


「原則として、直接必要のあるものだけですね。もらっていいのは、食べ物とか、服とか――勿論、商売はご法度です」

 リシュンが茶杯を置く音がした。見てみると、蓋をしたまま片手で押えて呑んでいるらしい。シャビィはたどたどしい手つきで茶杯の蓋を戻し、話を続けた。

「ですから、寺院から金銭が出てくることは、普通はありません。それはリシュンさんの言う通りです。門徒に熱心な方がいらしたときだけ、新しい寺が建つんです」


 リシュンは暫く目を閉じて余韻を楽しんでいたが、シャビィが話し終えるとゆっくりと目を開いた。

「そして今回は、誰が寄進しているかわからないまま寺が建ったというわけです。結論から述べると、結局自腹だったようですね。少し調べただけですぐに分かってしまいましたよ」

 これを聞いて、シャビィは眉を寄せた。

「しかし――」

 言い返そうとしたシャビィを、リシュンの強い声が遮った。

「着工に携わった工匠の一人が教えてくださいました――賃金は、胡椒で支払われたとのことです」

 そうか、胡椒だ。シャビィが声をあげた。

「見たんです。殴られる前に。床一面に黒い粒が広がって――」

 口の中で弾ける鋭い香り、冷たい床を胡椒が転がる乾いた音。蘇った情景に対して大きく開かれた目を見て、リシュンは咄嗟に分厚い肩を叩いた。

「シャビィさん、ゆっくり、少しずつ、少しずつ整理しながら、思い出してください。

 それはとても大切なことです。さあ、そのとき、他に何が見えましたか?」


 リシュンが途中で切り上げて戻ってきたのは、十分な手がかりをつかめたからだ。シャビィは絶対に何かを見ている。門主たちにとって命取りになるような何かを。そうでなければ、わざわざ閉じ込める道理がない。シャビィが眉間を押さえて記憶を手繰り寄せるのを、リシュンは手に汗握って見守った。


「確か椎茸を取りに行って……階段の、そう、地階の一番奥に、小さな部屋があったんです。そこに、クー先輩がいました。胡椒の、凄く強い香りがして……

 クー先輩は、向こうを向いて、机の上で何かをしていました」

 シャビィは熱い息を吐きだすと、少し冷めてきた茶を一口飲んでから、じっとテーブルを見つめた。

「クー先輩が驚いて、振り向いたんです。そうしたら、音がして胡椒が散らばって――ク―先輩は、蝋燭の火をもみ消そうとしました」

 虫だろうか。壁の上を、白い影が滑った。

「他に何か覚えていることはありますか? 先輩が何をしていたか、机の上に何が置いてあったか、部屋の中で見たもの、聞いた音、何でもかまいません」


 リシュンはいくつかきっかけを与えてみたが、シャビィは眉間にしわを寄せて唸るばかりで、なかなか核心を思い出せない。

「椎茸が……椎茸が……」

 見当はずれなうわ言と、薪のはぜる乾いた音だけが、あてどなく部屋の中をさまよっている。リシュンは仕方なくちびちびと緑茶を舐めながら待っていたが、しばらくすると、しじまをかきむしるか細い羽音が聞こえてきた。


 リシュンの部屋は半地下にあって夏も比較的涼しいが、毎年雨季と共にどこからともなくやってくる蚊にだけは苦戦させられる。虫に効く薬草はもちろん、ナルガでは雑草さえも手に入れるのが難しく、少なからぬ家庭で煮炊きの煙を部屋にまく方法が用いられたが、戸口の隣に窓が一つあるきりのこの部屋では頻繁にできることではない。

 リシュンはさっと部屋の中に目を走らせ、小さな異物が漂っているのを見つけると、素早く両手で叩き潰した。ひしゃげた羽虫が掌に張りついているのを確かめ、小さく溜息をついて顔を上げたリシュンを、何か思い出したのか、シャビィは何か言いたげな顔で見つめている。

 リシュンは目を輝かせてシャビィを見つめ返したが、シャビィは力なく嘆いただけだった。

「……何と惨いことを」



 リシュンはうなだれたシャビィを宥めすかし、なんとか事件のことを思い出させようとしたが、結局シャビィはそれ以上細かいことを思い出せなかった。それどころか、しきりに蚊のことを気の毒がって面倒なことこの上ない。リシュンは諦めてシャビィの腹を膨らませてしまうことにした。

「何、その、蚊には申し訳ないことをしてしまいましたが、ほら、そろそろお粥が炊ける頃でしょう」


 振り返ると、好い塩梅に釜が湯気を吹いている。リシュンはこれ幸いとばかりに盆を持ってテーブルから逃げ出した。少しとろみは足りないが、食べられないこともなさそうだ。いくらか塩をふってから手早く粥をよそい、リシュンは完璧な笑顔でテーブルに戻った。

「お待たせしました。お口に合うとよいのですが」


 仄かな椰子の香りは、いくらかシャビィの表情を和らげた。

「いただきます……ああ、いい香りですね。これは一体?」

 リシュンは胸をなでおろし、シャビィにそっと匙を手渡した。

「椰子の実です。このあたりでは特に珍しいものでもありませんが――そちらでは、採れるものが大分違うのですか?」


 シャビィは食い入るように椀を覗き込んでいる。

「山の上と下では、大分違いますね。登るにしたがって、少しずつ生えている草木が入れ替わってゆくんです」

 それは、それは。適当に相槌を打ち、リシュンは息を吹きかけ、匙で掬った粥を冷ました。今なら話を戻せる。

「これまでに思い出したことをまとめてみましょうか」


 匙を口に運んでから、リシュンはシャビィが何やら祈りを捧げていたことに気付いた。禅僧の習慣が分からないせいかもしれないが、シャビィと一緒にいると調子が狂ってしまう。

「は、はい……」

 シャビィは目を白黒させ、リシュンに合わせてためらいがちに粥を口にした。


「シャビィさんは、庫裡の地下にある貯蔵庫に入った」

 リシュンは親指を折り曲げた。

「ええ」

 シャビィは頷いた。

「そして、先輩を見た。彼は、何か作業をしていた」

 リシュンは、人差し指を折り曲げた。

「おそらく」

「部屋は胡椒の香りで満たされていた。

 ということは、部屋には胡椒が沢山あった筈です。違いますか?」


 リシュンは中指を折り曲げ、シャビィをじっと見つめた。

 シャビィははっとして、何度も頷いた。

「そうだ。棚に麻袋が並んでいました。あれが全部胡椒だったんだ」

 リシュンはこっそりと溜息をついてから、続けた。

「よいでしょう、では、これは確認済みです。それから、先輩が胡椒をひっくり返した。おそらく、作業には胡椒が関係していたのでしょう」


 シャビィは縮こまって、後頭部をさすりながらリシュンを見上げた。

「すみません、もっとしっかり見ていれば……」

 仕方のないことです。リシュンは薬指を折り曲げ、それからはっきりとした声で告げた。

「そして、最も重要なことは、彼らがあなたを監禁したことです。彼らはその部屋で、間違いなく後ろ暗いことをしています」


 分厚い唇をきっと結んで足を組み直し、シャビィはゆっくりと鼻から息を吐き出した。

「一体どうすれば老師たちは考え直してくれるのでしょうか。私は……私には、うまく説得する自信がありません」

 溜息混じりに嘆くシャビィに、リシュンは粥をすすめた。

「シャビィさんは何も悪くありませんよ。そうして気持ちが塞ぐのは、お腹が空いているからです。さあさ、召し上がってください。お腹が膨らめば、何かよい知恵が得られるかもしれません。」


 気力を失っても、腹は空くものである。始めは鈍かった匙の動きが次第に勢いをつけてゆくのを確かめながら、リシュンもせわしなく手を動かした。

 人間は、年をとればとるほどに頑固になる。シャビィは説得と言ったが、あの老人に改心を求めるのがそもそも無理な話だ。シャビィの気に障らぬよう、リシュンは慎重に言葉を選んだ。

「……ただ、寺院の周りでは既に少なからぬ財が動いています。この不正は、もうジェンドラ大師のご一存では止められないところまで来ているのかもしれません」

 シャビィは顔を上げ、音を立てて粥を呑みこんだ。広い額に、大粒の汗が群がっている。首を横に振りながら横目でシャビィの顔色を確かめ、リシュンは話を切り出した。

「かくなる上は、多少強引な手を使っても、不正を続けられないように仕向ける必要があります。そのために――」

 リシュンの重たい眼差しは、シャビィから正しい記憶を引き出した。

「そのために、老師たちの不正を暴かなくてはならないんですね」

 寺院の権勢の源は信心である。化けの皮をはがすことができれば、二人でも太刀打ちできないことはない。

「ただ、私たちが騒いだところでどうにかなる相手ではありません。不正が行われている証拠を白日のもとに晒さない限り、信じる者はいないでしょう」

 こともなげに言い放つと、リシュンはまた粥を掬った。細い眉は安らかに伸びきっている。

「あの地下室を皆に見てもらうことができれば、分かってもらえると思いますが……何とかして、友人に協力してもらいましょう」

 寺院の裏側は、外に対して固く閉ざされている。開くなら、内側からだ。幸いにして、寺院の中にはシャビィの友人がいる。


 シャビィの声には勢いがあったが、リシュンは首を横に振った。

「それも難しいでしょう。誰が不正にかかわっているか分からない以上、内側の人間を迂闊に信用することはできません。勿論、良識のある禅師様が沢山いらっしゃるというのは分かりますが……シャビィさん、ジェンドラ大師があなたの悪い噂を流していないと考えられますか?」


 リシュンは小さく肩をすくめ、シャビィはぐったりとうなだれた。この期に及んで門主が律義に正語だけ守っていると考えるのは難しい。

「八方ふさがりか……」

 リシュンは粥を平らげると、力なくテーブルの上に身体を投げ出したシャビィを匙で小突いた。

「そこで、ジェンドラ大師には自ら尻尾を出して頂くことにします。」

 シャビィは、目を丸くした。いつの間にかかまどの火が消え、リシュンの背後に薄明かりが染みだしている。

「実は、さっきの話にはまだ続きがありましてね……」

 真黒なリシュンの影が、ふたたび静かに語り出した。


「二週間近く前になりますか。寺院の資金源を怪しんだ私は、早速寺院の周りに探りを入れました。占い師にとって、ネタは資本ですからね。」

 霊感に頼っているかのように見える占い師だが、正しく卦を読むには知識や情報を際限なく要求される。大抵の占い師が事情通である所以だ。

「余計な詮索や告げ口をされぬよう、寺院と繋がりが弱そうな職人たちから順にあたりましたが、口止めされていたのでしょうね。報酬の話になると、皆途端に口をつぐんでしまいました。……そこで、街で一番自惚れの強い石工に訊ねたのです。あなたほどの達人の技には、商人たちもさぞ高い値をつけるのでしょう、と」

 残った粥をこそぎながら、シャビィはリシュンの話に耳を傾けた。壁にくっきりと焼き付いた影は、澱みなく語り続ける。

「石工は、親切にも自慢話を始めてくれましたよ。そして、私が寺院の話を持ち出すと、亀の石像を手掛けたことを教えてくれました。 やはり、報酬は弾んだそうですが、問題は支払の方法です」

 シャビィは椀から手を放し、うっすらと笑みを浮かべたリシュンを見つめ返した。


「そこで胡椒が出てくるのですね。」

 ええ、それも――リシュンは粥の入っていた椀を軽く叩いた。

「このお椀に入りきらないくらいの。金貨なら、20は下らないでしょうね。私がそれだけ稼ぐには、どう頑張っても2年はかかります」

 軽い上に単価の高い胡椒は、ナルガでしばしば貨幣の代わりに利用される。堂々と貨幣を使えない寺院にとっては、都合のよい抜け道というわけだ。

「後でお得意様の米問屋に聞いた話ですが、大店のお布施は大体が胡椒だそうですね。 食料なら問題ないという理屈でしょう」

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