卜占
「お前も気づいたか」
ヘムはシャビィを肘で小突き、目配せをしながら囁いた。
「あの女、影がない――、いや、黒い影を負っているぞ」
物の怪か何かではないのか。ヘムの勘ぐりに、シャビィは何も言い返せなかった。リシュンが尋常ならざることは誰の目にも明らかだ。
「用心しろ、奴がいつ尻尾を出すか――」
門主は静かに右手を差し出し、ヘムを黙らせた。
「弟子たちが失礼を……二人とも、亭客にお会いするのは初めてなのです」
リシュンに集まっていた視線が、一転して門主に吸い寄せられた。
「多麻州に流されてから、もう5年になります。その前には、向こうで言うところの倭国に暮らしておりました――大師様は、他にも亭客ティンケーを御存じなのですか?」
寺院に納められた膨大な文献の中には、“亭客”や“亭殊州”の記述が散見される。亭殊州とはテジュス、即ち梵語の明にあたる言葉であり、同じく梵語で暗を意味するタマス、多麻州、と対置される異界の名称である。
亭殊州は文献によって冥界であるとか、物的世界に対する精神的世界であるとか、もう一つの現世であるとか、はたまた古代に滅びた帝国の名であるとか、好き勝手に解釈されていたが、知識人の間においてさえ一種の思考実験、仮定上の存在、あるいは苦行や瞑想に失敗して幻覚にあてられた修行者の妄想の類と目されていた。
「いや、本物にお会いしたのはこれが初めてですよ。先代の顕在であった頃には亭客の門徒も見えたそうですが」
苦笑した門主に、リシュンはあの涼しげな微笑みを返した。
「つかぬことを伺いました。実を申せば、私もこちらに来てから一度も亭客に会ったことはないのです」
一方で、亭客の存在は疑いようのないものである。黒い影を持つ人間はどの時代の歴史書にも必ず登場し、しばしば社会不安を引き起こした。多い時期には奏国の首府に何千人もの亭客が流れ込み、今は炭影通りと呼ばれる区域に亭客街ができたと言われている。
ただ、ナルガが開発された頃から亭客の数は減り続けているらしく、今となっては亭客という言葉自体が多麻州から消え去りつつあった。
「お恥ずかしながら、お二人の話を伺うまで“亭客”というのは作り話だと思っていました。」
湯呑をあけたシャビィがおずおず話に加わると、
「あまり謙遜なさいませぬよう。皆様が博識でいらっしゃるのでなければ、私はいつものように長々と身の上を説明する羽目になっていたでしょう。こうしてすぐに占いを始められるだけでも、十分有りがたいことなのですよ」
リシュンは鞄から漆塗りの小箱を取り出し、蓋を裏返して身の横に並べた。箱から出した竹ひごは、束ねるとニンジン程度の太さがある。
竹ひごを握ったまま目を閉じて集中を深めるリシュンを、シャビィ達の目は冷ややかに見つめた。カタリム山の修行僧は、世俗のまじないなど信じない。
「さあ、何について占いましょう。尾行者のお話しは伺いましたが、他の話題でもかまいませんよ」
そうですな。門主は髭をさすりながら宙に視線を彷徨わせたが、何も見つからなかったらしい。
「改めて考えると、却ってなかなか浮かばんものですな。やはり曲者の正体を占って頂けますか」
「承りました」
シャビィはリシュンの掴んだ竹ひごに目を向けたが、リシュンが手を動かす気配はない。
「では、一体だれが彼らを送り込んだか……心当たりとまではいかずとも、最近身の危険を感じたこと、あるいは誰かとの間に不和が生じたことはございますか?」
占いは、大抵聞くことから始まる。それは、占う対象を鮮明にするための手はずであり、占いの精度を上げるための布石でもあるが、同時に当て推量をそれらしくするための材料集めでもある。
「そうですな」
思い出すような振りをしながら、門主は横目に弟子たちを盗み見た。
「思い当たる節がないわけではありません」
太陽に雲がかかったらしい、窓から射し込む陰が俄かに弱まり、明るく浮かび上がった部屋の中で、リシュンの瞳だけが一層深い輝きを放っている。
「心当たりがございましたか。大師様、お聞かせください。御身に一体何が起こったのかを」
門主は熱のこもった溜息を洩らすと、静かに語り出した。
「……どうにも最近、院主の様子がおかしいのです」
「爾の泰筮、常有るに依る。三人の禅僧の後をつける者について、未だ知らざるを以て、疑うところを神霊に質す。吉凶得失悔吝憂虞、これ爾の神に在り。希わくば、明らかに之を告げよ」
リシュンの手の動きは、鍛え抜かれた踊り子のそれだ。束ねた竹ひごの中から迷わず一本を選び出し、静かに正面に据えたのを合図に、鮮やかな舞台の再現が始まり、無数の竹ひごはほっそりとした指に導かれ、両手の間を飛び交いながら竹林を縫う風の調べを奏でる――振付に従って淀みなく流れる手が束を分け、崩してはまとめ直す優雅な仕種に、門主どころかヘムまでもが眼を見張っている。門主は余興と断りを入れたが、実際これだけでも結構な見世物だった。
一通りの演技が終わると、リシュンは竹ひごを一つにまとめ、箸置きに似た四角い棒をテーブルに置き、再び竹ひごを繰り始めた。張りつめていた空気がほどけ、豊氏を含めた四人の口から、まばらに溜息が聞こえる一方、リシュンの手先は乱れることなく同じ動きを繰り返し、棒が6本を数えたところで竹ひごたちをそっと袖に返した。
「下を巽、外を艮にするは山風蠱。
残念ながらあまりよい卦ではありませんが、苦境や腐敗を脱するという意味があります。蠱とは屍に湧く虫であり、虫食いであり、虫の持つ毒のことです」
リシュンはテーブルの上に並べた棒を門主の目の前に押し出した。
「虫とは、院主のことですかな?」
猫なで声で尋ねる門主に対し、リシュンは毅然と首を振った。
「先ほど申し上げた巽と艮とは、風と山のこと。風は柔軟であり、山は不動です。蠱とは、上位に有るものが山のように堅固であり、下にあるものが風のように従順である様子。さらばこそ、『大いにと降りて天下治まるなり』と言われるのです。弟子が師に刃向うようなことは起こりようもありません」
唐突に論を翻したかのような物言いに、ヘムはすかさず食ってかかった。
「それでは、難局やらウジ虫やらは何処へ行ったのだ。まさか、流れ者のペテン師の事ではあるまいな」
「ですが――」
リシュンはヘムをにらみ返して負けじと声を張り上げ、テーブルの中央に並んだ棒のうち奥の三つを指し示した。下の二本は中央を赤に塗った面、残った一本は、模様のない面を上にして置かれている。
「山風蠱の山、つまりこの艮という卦には、よくおさまると言う意味以外にいくつかの意味を持っています。一つには勿論山であり、一つには末の子であり、一つには停滞であり……今このときは、最後に人の止むところ、屍を指しているのでございます」
かすかに潮の間香りをたたえた応接間にはゆっくりと、毒をはらんだリシュンの言葉がその身をくゆらせ広がった。禅僧たちは口を一文字に結んだまま、占い師をじっと伺った。
「しかして、その災いを退ける術とは?」
門主の顔からは、院主の不信を打ち明けた時よりも血の気が引いていた。
「大師様は、既にその方法をご存知です」
リシュンは一旦言葉をきって、召使いにおかわりを求めた。優雅にジャスミンの香りを楽しむリシュンの向かいでは、門主が苦しげに記憶を探っている。
「ですから、私に質したのでしょう? 曲者とやらの正体を」
髭に覆われた門主の口から、渋い呻きが零れた。この老人は説法を受けることがなくなって久しいが、それは立場ばかりでなく、豊かな知恵と巧みな話術のためでもある。背中を伝う汗を感じたとき、リシュンを伺うシャビィのまなざしは、占いの始まる前と全くの別物だった。
「申し遅れましたが、占いにおいて私どもが読むのは、卦の種類、すなわち算木の並びだけではありません」
六本の棒を囲むようにして右手で楕円を描いてから、リシュンは下から二本目の棒を指した。
「これが今回の変爻です。卦の全体が出来事を示すなら、変爻は現在の状況や私たちの置かれた立場にあたります。そして、今回敵の正体を知る上でこれは極めて重要な要素なのです」
「下から二本目には、どのような意味があるのですか? 」
ご親切なシャビィの質問に、リシュンは爻辞を引いて答えた。
「易経には、九二、すなわち陽たる第二の爻が変爻であるとき『母の蠱を幹る』」とあります。これは母を葬るという意味ですが、この場合の母とは誰か……思い出してみてください、ちょうど一年前、周辺諸国をゆるがす大きな事件があったはずです」
素っ頓狂な声を上げたのは、禅僧達ではなく、付き合いで話を聞いていた豊氏だった。
「ああ、皇太后宮がお隠れになったのはその頃でしたな。
買い付けから戻ってきた仲間から知らせを受けたときには驚きましたよ」
この皇太后とは、ナルガ周辺の小国ではなく、南の大国、奏の皇太后のことである。皇太后は息子が即位してから以前に増して強い影響力をふるっていたが、流石に寄せる年波だけは如何ともしがたく、かなり前から病の床に伏せっていたという。
「宮様の崩御を知った時には、私も残念でなりませんでした。誠に惜しい方をなくしたものです」
それがただの相槌ではないことを、沈んだ声が物語っていた。
機を見計らっていたリシュンは、すかさず流れに棹をさす。
「ええ、宮様は仏教に理解のある、実に徳の高いお方だったと伺っています」
再び弟子たちを横目に捉えてから、門主は話に乗ってきた。
「ええ、宮様には熱心に入門を奨励されたばかりでなく、奏国内の寺院にも少なからぬ土地を寄進してくださった、私共にとっても母たるお方。今日のジャーナ宗は、宮様をはじめとする洋氏の皆さまによる惜しみないお力添えの上に成り立っております。……ところが……」
門主は渋い顔で頭を振り、細く長い溜息を吐きだした。
憂いをあらわにする門主に、リシュンと豊氏も交互に頷く。
「宮様が崩御なさると同時に、洋氏は凋落の一途をたどり、奏国の政は乱れ始め、重税と貴族の放埓、私腹を肥やすための悪法の数々……」
「奏国だけの話ではありません。私達海商も執拗に痛めつけられ、中でも胡麻や胡椒を卸していた店は目も当てられない有り様ですよ」
皇太后が崩御してからの一年の間に、奏国では海上貿易を締めつける法律が矢継ぎ早に発布されていた。香辛料の専売制のみならず、関税は引き上げられ、国外に居留している華人への支援も打ち切られ、どころか、大型船など持っているだけで重税をかけられた。
「されば大師様、僭越ながら寺院のやりくりにも苦労の絶えぬことと存じます」
リシュンの辞儀に対し、
「お恥ずかしながら、洋氏御一門からのご寄付が途絶え、他の檀家の皆さまからの喜捨も冷え込んでしまっては、大きくなった教団を維持することさえままなりませぬ」
と門主は弱々しくこぼした。
これを見たヘムは門主を慰め、奏の皇室を非難した。
「老師の非ではありません。おかしいのは奏国です。奏国内では、寺院つきの荘園から免税権まで剥奪されたというではありませんか」
リシュンは小さく頷き、全員の顔を見渡した。熱気を帯びた室内に、冷たい静寂がこだまする。
「臣民のみならず、私たちの暮らしをも脅かす帝政の迷走の背後には、陛下を惑わし、操っている者がいます。そして、その者の正体は、既にこの蠱という卦の中に顕れているのです」
大仰な宣告に身構えたのは、シャビィとヘムの二人だけ、豊氏と門主は、話が進むのを平静に見送っていた。
「蠱を為す二つの卦、即ち艮と巽は、人間に当てはめるならば末子と長女にあたります。艮は母たる坤が父たる乾に三つ目の陽を求めることによって生まれた息子であり、巽は父たる乾が母たる坤に一つ目の陰を求めることによって生まれた娘だからです。このことから、蠱卦はしばしば年上の女が年下の男を弄ぶ様子にたとえられます」
陰陽思想に於いては、万物は陰と陽が混ざり合うことによって生じるとされる。坤(☷)は万物の母たる陰が三つそろった卦であり、乾(☰)とは万物の父たる陽が三つそろった卦であり、それぞれが純粋な陰と陽の象徴として扱われる。
乾坤以外の六卦の私有も同様に陰か陽かで決まるが、卦の陰陽を決めるのは陽の多寡ではなく、その偶奇である。即ち、陽を一つ持つ震(☳)、坎(☵)、艮(☶)は男児、陽を二つ持つ巽(☴)、離(☲)、兌(☱)は女児を指しているのだ。
「その年上の女というのが、帝をそそのかしているのですね」
シャビィの相槌は、占いに勢いを与えた。
「ええ、その通りです。帝をそそのかし、奏の政を乱し、ナルガの商人を苦しめ……皆さんを陥れようとしているその者は、貴妃・薫皇后とその一族に他なりません」
薫皇后の実家、即ち薫氏は洋氏と永らく争ってきた一族である。洋氏が丁度よい年ごろの女児を用意し損ねたその隙に、薫氏はいたいけな少年に四つも年上の豊満な美女をあてがった。
後になって洋氏は十にもならない子供を続けて参内させたが、この娘達が結局男児に恵まれず、洋氏と薫氏の立場は一代のうちに入れ替わってしまったのである。
「なるほど。覇道をひた走る薫氏には、無欲を説く仏教が目障りなのですな。尤も、御仏の教えは欲深いものにとってこそ救いであるべきなのですが」
大きく肩を落として相槌を待つ門主に対して、リシュンは首を横に振った。
「いえ、それだけが理由ならば、国から僧侶を締め出すだけで事足ります。薫氏が海上交易を締めつけていること、そして、かつて洋氏が交易によって財を築いたことを鑑みれば、彼らの狙いは一目瞭然です」
切れ長の目が、一瞬門主の表情の下を探った。
「薫氏は、洋氏の経済、支持基盤を潰すことで、一族の試合をより盤石なものにしようとしているのです」
洋氏の財源は、胡麻や胡椒の卸しを筆頭に、船宿や倉庫、船舶や水夫の貸出など多岐に及んでいた。国内の港はもちろん、ナルガのような港市にとって、洋氏の存在はなくてはならないものだったのだ。
「そして、その上で……周辺国の港市を手中に収めたい薫氏には、この地域で強い影響力を持つ寺院の存在が邪魔なのでしょう」
含みのある口調に眉を吊り上げたヘムを制して、門主は議論を進展させた。
「それなら確かに彼らが私たちに目を付けたのも合点がゆきますな。とすれば、どうです。彼らはこれからどう出るのか、私たちはどうすべきか」
砂を噛むヘムをよそに、門主はやけに愛想がよい。リシュンは追及を見送って微笑み返した。
「薫氏のとりうる方策は二つ――一つは、寺院を失墜させ、その影響力を奪うこと。もう一つは、皆さんを抱き込むことですが、これは――」
「無論、彼らに与するつもりはありませぬ」
門主の宣言からは、少しの迷いも感じられない。
「ならば、彼らに口実を与えぬよう、用心することが第一です。易経には『大河を渡るによろし』とありますが、今回の変爻は九二ですので、敵に隙を見せなければじきに第二爻は陰となり、山風蠱が艮為山に移るでしょう。これは二重の扉によって守られた形をもつ、安定した卦です」
神妙に答えるリシュンに、門主は軽く頷いた。
「それを聞いて安心しましたぞ。悪名高い薫氏といえども、大義がなくては寺院には手が出せますまい」
話がまとまったところに、門番をしていた召使いがやってきた。到着の遅れていた船が、先ほど港に入ったのだという。
「恐れ入りますが、皆様、込み入った話がございますので、少しばかり席を立つことをお許しください」
いそいそと部屋を抜け出した豊氏を見送ってから、リシュンは門主を戒めた。
「ですが、大師様、努々油断してはなりませんよ。大義とは如何様にも作り上げることのできるものです。例えば、建立されたばかりのプリア・クック寺院。ナルガにいつくまで久しく流れてきた身ですが、あれほどに絢爛な仏閣は見たことがありません」
「これは嬉しいことを言ってくださる」
不意に激しい風が起こり、開け放たれた雨戸が壁に打ちすえられて何度もがなった。雨戸がはためくたびに部屋全体が明滅し、シャビィは耐えかねて目を覆った。
「あれだけのものを作るには、少なからぬ費えが必要です。
先ほど、寺院の経営が傾いていると伺いましたが、それならばどこからその資金を得たのですか? さしたる確証がなくとも、お布施以外のところで現金を得ているのだと、彼らは糾弾してくるでしょう」
あらぬ疑いをかけられても、門主は少しも肩を怒らせることもなく、大きな声で笑って見せた。
「その点についてはご心配なく。私たちの決まりでは、そもそも現金を持つこともできません。プリア・クックは名士会の皆様に、その土地から院内の調度に至るまで用意して頂いたもの。誰もが苦しい中、ナルガの復興を祈って少しずつ費えや資材を持ち寄ってくださったのです」
「それはよかった。そういうことなら、薫氏も簡単には手を出せないでしょう」
風がおさまり雨戸が大人しくなると、部屋の中にはわずかな磯の香りだけが残った。リシュンも門主も精巧な微笑みを保ったまま、たがいに動く気配を見せない。シャビィとヘムも口をはさめないまま湯呑の中の蛍手を数えていたところに、豊氏とクーの話声が階段を駆け上がってきた。
「迎えが来たようですな」
戸口に目をやると、門主はテーブルに手をついてそろそろと立ち上がった。
「リシュン殿、なかなか興味深いお話しでした。
占いもなかなか侮れぬものですな。大したお礼もできませぬが、また今度プリア・クックに遊びに来てくだされ。精一杯おもてなしいたしましょう」
膝を折って深々と頭を垂れ、リシュンは控えめな謝辞を述べた。
「身に余るお言葉痛み入ります。御身の健やかならんことを」
門主が階下へ向かうと、シャビィとヘムも続いて部屋を後にした。窓から射し込む影をくぐって、リシュンは夜のナルガを眺め、それから赤黒い空に浮かんだ太陽をじっくりと見つめた。通りにかかった幌の下からわずかに聞こえるざわめきが、根城を目指してゆっくり坂を登ってゆく。禅僧たちの足音が遠ざかるのを待って、うら若い占い師は誰もいない部屋を出た。
「豊先生、本日は御依頼のほど誠にありがとうございました」
階段を下りてきたリシュンに気付くと、豊氏は懐からおもむろに包みを取り出した。品行を気にする豊氏にしては珍しい。
「いやいや、君の方こそ忙しいところよく来てくれたね。無理を言って引き止めてしまった分、謝礼には色を付けておいたよ」
奏の検問にかかって磁器を没収されたらしい、と船を気にする豊氏に謝り、リシュンは最後に一つだけ質問を試みた。
「先ほど大師様から伺ったのですが、新しい寺院の建造費を大帆行が負担したというのは本当ですか?」
「ああ、そのはずだよ。」
半ば遮るようにして豊氏は激しく頷き、一瞬目を泳がせてから、
「あそこは、昔から寺院と仲がいいからね」
と、申し訳程度に補足した。豊氏は召使いに送らせようかと訊き返したが、リシュンはこれを丁寧に断って豊泉絹布を後にした。