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☶☴(山風蠱)  作者: 筬群万旗
決闘
15/16

真意

 その頃プリア・クック寺院では、仲間が捕まったという報せを受け、皆が浮き足立っていた。

 勿論全ての者が事情を知っているわけではない。

 説明を求める弟子たちを遠ざけ、門主は閉め切った私室を音を立てて歩き回った。

「老師、お忙しいところ誠に申し訳ありません」

 遠慮がちな弟子の声に、門主は激しく噛み付いた。

「分かっておるなら、煩わせるでない!」

 ただ護符が見つかっただけではない。ヘム達は大帆行の名前を借りて札を運んでいたのである。せめて、素直に捕まれば誤魔化しようもあったものを、ヘム達は兵士たちと乱闘騒ぎを起こしたというではないか。

 これではもはや、誰も寺院の肩を持つまい。

「その、リシュンと申す占い師が、お目通りを願いたいと……」

 その一言に、門主の足はぴたりと止まった。また何か、得難い報せがあるかもしれない。

「通せ!……いや、儂が出よう」

 墓場につながる裏門に、件の女が待っていた。

「大師にあられましては、ご機嫌麗しゅう」

 リシュンは恭しく跪き、水の滴る門主に訊ねた。

「ことの成否が気になり、馳せ参じました。大師、真の咎人は見つかりましたか?」

 見つかるどころか、奏国軍の屯所に捕まっている。門主はたぎる腹わたを、しおらしさで覆い隠した。

「それが、間に合いませんでな。奏国の兵達が、今こちらに向かっておるようなのです」

 リシュンは目を伏せ、大げさに嘆いてみせた。

「やはり左様にございましたか……港が軍に閉め切られていたのは、そのためだったのですね」

 そこまでされては、門徒の船で逃れることもかなわない。門主は裏門の真新しい柱に寄りかかった。

「もはやこれまでか……」

 門主の目は、暗い眼窩に落ち込んでいる。リシュンはしぼんだ老人の手を取り、真顔で訴えた。

「諦めてはなりません。ここで仏法の灯火を途絶えさせては、世は再び暗きに沈んでしまいます」

 門主はリシュンを見上げ、かすれた声で呟いた。

「しかし……」

 リシュンは周りを窺い、それから門主に囁きかけた。

「夜半に小舟を出して、沖の船に拾ってもらうのです。向かいの港は抑えられているでしょうが……この島の近くに実はもう一つ港があるのです」

 小さな声で話すリシュンに、門主もつられて小声で返した。

「なんと、初耳ですな」

 リシュンは島の西を見やった。暗い雨の向こうには、尖った平たい島がある。

「ナルガの西に、岩山からなる細長い島があるでしょう? ……あの島の裏側には、鳥関水軍のアジトがあるのです。彼らに頼めば……シャンビーヤに逃れることができるかもしれません」

 思い切ったリシュンの案に、門主は顔を曇らせた。

「信用できるのですか? 相手は海賊ですぞ」

 リシュンは門主に向き直り、力強く頷いた。

「心配には及びません。密航は彼らの商売の一つですから……ただし、それなりの金子を要求されるでしょう。小舟が奏国軍に見つからぬよう、お供も二人か一人に絞らなくてはなりません」

 門主は目頭をおさえて唸り、それから恐る恐る口を開いた。

「十両あれば足りますかな?」

 リシュンは少し考え、暗い顔で頷いた。

「大師お一人なら、恐らくは」

 門主が金子を取りに戻ると、石の廊下を裸足が走る、冷たい音が近づいてきた。

「老師! 表に奏国の兵隊が! ここは私たちが引き止めます故、老師だけでもどうかお逃げください!」

 懐に金子を隠し、門主はクーの肩を叩いた。

「クーよ、我が身を惜しまぬそなたの帰依は、来世において必ずや実を結ぶであろう」

 クーは跪き、押し殺した声で答えた。

「クーめは果報者にございます」

 どうかお達者で。僧服の裾を翻し、クーが跡にした廊下は、風が吹き込んだわけでもあるまいに、点々と雨に濡れている。門主は大振りな外套を着込み、リシュンの下へと急いだ。廊下を抜け、枯山水を渡り、墓場へつながる裏門へ。砂利を蹴り上げ、息せき切って駆けてきた門主を見て、リシュンは目を丸くした。

「そんなに慌てて、如何なさいましたか?」

 門主のハゲ頭は、大粒の汗でびっしり覆われている。

「兵士たちが、ついにやって来たとのこと。儂はひとまず身を隠します」

 早速いさかいが始まったのか、僧堂のむこうが何やら騒がしい。

「それならば、よい所がございます。ご案内いたしましょう」

 リシュンは門主を助けながら、草の生い茂る墓場を横切り、廃屋の立ち並ぶ裏路地に駆け込んだ。

「ところで、大師」

 曲がり角の先を覗きながら、リシュンが訪ねた。狭い階段の上に、人影は見当たらない。

「何ですかな?」

 フードの下から、門主が声を覗かせた。

「先日、さる禅師様が失踪されたという噂を伺ったのですが……」

 リシュンの問いを、門主は用心深く噛み締めた。

「シャビィのことでしょう。最初にお会いした時に、儂が連れていた」

 リシュンは角を曲がり、門主を手招きした。人気のない路地裏は、雨音に沈んでいる。

「ええ。無事、見つけられましたか?」

 壁に手を付きながら、門主は急な階段を一段ずつ下りていった。目の前に開けた海には、確かに船が見当たらない。

「いえ。ほぼ総がかりで探しましたが、見つかりませなんだ」

 門主の声は、心なしかざらついている。リシュンは階段の半ばで立ち止まり、振り返った。

「しかし、信じがたいことですね。あんなに真面目そうな人が、寺院から逃げ出すとは」

 リシュンは顎に手を当てて、考え込むふりをした。

「全く、わしも未だに信じられませぬ。一体どうやって――」

 言いかけて、門主は口をつぐんだ。焦りに負けて、口が緩んでいるようだ。

「となると、やはり奏国の兵士が絡んでいるのでしょうか」

 リシュンは気づかぬふりをして、廃屋の床下に潜り込んだ。

「え、ええ。そうでしょう。そう考えるのが筋ですな」

 門主は後ろを振り返ってから、リシュンに続いた。光の届かぬ床下は眩しさに塗り込められ、前をゆくリシュンの姿もよく見えない。

「口封じか、責め問いか。いずれにせよ……こちらです」

 リシュンは突き当りを右に曲がった。行き止まりに見えたが、家同士の間に小さな隙間があったらしい。

「よい禅師様でしたのに……寺院にとっても、惜しい人を亡くされましたね」

 隙間の先には、よく見えないが、小さな扉があるようだ。リシュンは肩を落とした門主を支えながら、扉を押し開いた。

「ええ。ですが、それだけではのうて……あれは、預かりものだったのです」

 門主は秘密の部屋を見渡し、ゆっくりと語りだした。


 ぼんやり輝く夜の海を、柔らかい波に揺られながら、一艘の小舟が渡ってゆく。陸風に流される雲の影を避け、小舟はナルガから北へと進み、やがて海の只中で止まった。ジャンク船だ。陰に染まった黒い船体が、紺色の空を大きく切り取っている。小舟はジャンク船を縁取る影の帯にゆっくりと近づき、甲板から縄梯子が下りてきた。

「リシュン殿、本当に助かりました。あなたのつないだ仏法の灯火、かの地に根付かせてみせますぞ」

 門主はリシュンに向かって皺だらけの手を合わせた。この老人にここまでさせるのだから、リシュンも偉くなったものである。

「身に余るお言葉、痛み入ります」

 笑顔で頭を下げるリシュンを、パロームは苦笑しながら見つめた。

「どうか、ご無事で」

 リシュンが別れを告げると、門主は静かに立ち上がり、縄梯子に手をかけた。

「リシュン殿も、あまり無理をなさらぬよう。達者でいてくだされ」

 なるほど、鍛え方が違うらしい。門主は揺れる縄梯子を、年寄りとは思えない速さで昇ってゆく。

 縄梯子を昇りきると、門主は小舟に向かってもう一度手を合わせ、出迎えに来た男に向き直った。

「ジェンドラ大師ですね。お待ちしておりました」

 手を組んで頭を下げた虎紳に、門主は自ら歩み寄った。

「危ないところに、よう来てくださった」

 甲板の上に伸びたいくつもの白い影が、門主の周りに集まってきた。門主は足音に振り返ったが時既に遅く、鋭く光る槍の影が、大きな車輪を咲かせている。

「それでは早速縛について頂こう。寺院から胡椒が見つかり、お前が手下に運ばせた護符も、誰かに罪を擦り付けるためのものだと噂が街に広まりつつある。後はお前だけだ。ジャーナ宗、第十一代門主、ジェンドラ」

 門主は拳を固く握り、ありったけの声で叫んだ。

「おのれ! 謀ったな、……リシュン!」

 いきり立ってはいるものの、門主に動き出す気配はない。八方から槍を突きつけられては、さしもの達人もお手上げだ。

「何をおっしゃいますか。裏で汚い商売に手を染めていながら、(ひじり)の顔をして人々を欺いてきたお方が。……それに、大師、嘘は占い師の職業病でしてね。初めてお会いした時にも、私は嘘を申し上げたのですよ」

 目には見えないリシュンの影を、門主は目を細めて探った。軽い足音だけが、真っ暗な甲板を歩いている。

「じゃが、あの時は奏国が儂らに目をつけていたことを……」

 ええ。リシュンの足音が立ち止まった。

「あのとき私は、山風蠱という卦を、朝廷の権力闘争になぞらえ、薫氏が寺院を狙っていると申し上げました……ですが、あのときに出た卦、山風蠱が示していたのは、それとは全く別のことだったのです」

 門主の目の前で、夜が語っている。後ずさった門主の背中に、冷たい穂先が軽く触れた。

「山風蠱は、先にお話したとおり、山と風という二つの卦からできています。そのうち山は、人を止める門の、また、山上に門を構える寺院の意味を持ちます。そして風は、人々のせわしない行き来の、さらには、人々の行き交う市場の意味を持ちます」

 リシュンの影は、夜の中で小さく笑った。

「……もうお分かりでしょう。あのとき既に、山風蠱という卦は教えてくれていたのです。あなた達が戒律を破り、密かに商いを行っていることを、ね」

 槍よりも鋭いリシュンの眼差しに貫かれ、門主はその場に崩れ落ちた。気づいた時には、後ろ手に縄が回っている。

 おぼつかない足取りで引き立てられる門主を見送り、虎紳は呟いた。

「げに恐ろしきは占い師か……本当に見つけてしまうとは」

 リシュンは虎紳に歩み寄り、こともなげに応えてみせた。

「それはもう、見えざるを見抜くのが仕事ですから」

 これでもう、寺院に先はない。二人が笑っていると、槍を片手に煬威が戻ってきた。

「よ、お疲れさん。あんたのお陰で、文句なしの大勝だ。ありがとよ、先生」

 虎紳も頷き、リシュンに向き直った。

「俺からも礼を言わせてくれ。いずれ隊が正式な謝礼を出すだろうが……寺院から押収した胡椒をいくらか融通できるだろう。それを山分けというのはどうだ?」

 虎紳の提案を、リシュンは両手で退けた。

「いえいえ、何もそこまでして頂かなくとも良いのですよ。ご友人を紹介して下さるなら」

 ナルガの景気は冷え込んでいる。奏に戻るのは、決して悪い考えではない。ないのだが、リシュンが目配せしたために、煬威はこれを冗談と受け取ったようだ。

「ああ、よく言って聞かせるよ。占い師だけにはくれぐれも注意するように、ってな」

 煬威の高笑いは、波を越え、夜の海をまっすぐに突き進む。リシュンは船から身を乗り出し、ナルガと、その先にある遥かな奏国を見やった。

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