ネズミの餌
初めまして。
更新は不定期ですが、次作は五月二十八日までにあげたいと、思っています。
感想、ご意見、ございましたらお待ちしております。
もしあなたが、ペアの恋愛映画のチケットを手に入れたらどうしますか?
恋人と見に行くのもいいでしょう。
もしくは、意中の相手を落とす有用的手段として、用いるのもいいでしょう。
しかし、もっといい使い方があるのを御存じだろうか。
それは、ネズミの餌にしてしまうのです。
僕なら絶対にそうする。
というか、もうすでに僕はそうしている。
僕のこの薄汚いボロアパート先に、その餌が届いたのは今朝のことだった。
郵便受けの中に、誰が食べたのか分からない塩味のカップラーメンと共に、入っていたそれは、何故か香ばしいチーズの香りがしていた。
「誰だ! こんな所にネズミの餌を入れたやつは!」
そして正に今、その餌の香りにつられて、一匹のネズミが姿を現した。
僕はまさかの事態に驚いた。
「確かに餌とは言ったが、まさかネズミが本当に食すとは思わなんだ」
僕は世にも珍しい、ネズミが恋愛映画のチケット食すというその光景を、つぶさに観察しようと思った矢先、ネズミがこちらに向けて走り寄って来た。
「あなたアホですか? ネズミが恋愛映画のチケットを食すなんて、あるはずないでしょう」
僕はまさかの事態に驚いた。
確かにアホなことは言ったが、まさかネズミが本当にしゃべるとは思わなんだ。
「これは世紀の大発見だ。早速捕まえねば」
僕は手ずからネズミを捕まえるため、天地魔闘の構えをとった。
「まぁまぁ、とりあえず落ち着いてください。」
「これが落ち着いていられるか。世界のどこにしゃべるネズミがいるんだよ。捕まえて大金持ちになってやる」
「では、私がそのお金持ちになる方法を教えてさしあげましょう」
「そんな教えてもらわんでも、もう目の前にその好機が転がっているじゃないか」
「いや、あなたにその好機を捕まえることは無理です。あなたどう見ても、どんくさそうにしかみえませんよ」
このネズミ、ムカつくがなかなか鋭いな。
僕の虫も一匹も殺せぬ戦闘力を、一瞬にして見抜くその慧眼、侮れない。
実のところ、虫を一匹も殺せないので、蚊に刺されまくって毎晩喘いで眠れないほどだ。
馬鹿にされて怒ろうにも、そう毅然と揚言を言ってのけられては、怒る気も失せる。
一応話だけは、聞いてみるだけでもいいだろう。
「まぁ言われてみれば、その通りだ。僕に君を捕まえる自信はない。それでネズミ君。君の言う、お金持ちになる方法とは一体どんなものなんだい?」
僕がそう言うと、そのしゃべるネズミは二本足でグッと立ち上がり、前足、いやもとい両腕を、腰に当ててふんぞり返った。
「ネズミ君ではありません。ジェントル=マウスです」
「ジェントルマウス? なんじゃそりゃ」
「あらゆる場所で、あらゆる書物を読み漁った結果、私自ら命名しました。紳士的なネズミという意味があるみたいです」
「自ら紳士的とのたまうとは、自惚れたやつだなぁ。しかもバタ臭いときた」
「バターの臭いのするものは、私の大好物です。しかし、何も西洋的書物ばかり読み漁っているわけではありません。この私が知っているお金持ちになる方法は、ある日本的書物から得たのです」
「して、その方法とは?」
「それはズバリ、物々交換です」
ネズミ君、もといジェントルマウスは自信満々に言った。
「――話にならないね。君には人間社会がどれだけ厳しいかという事実を、その身をもって教えてあげなければならないようだ」
僕は再び天地魔闘の構えをとった。
「あなた、わらしべ長者という話を御存じですか」
ジェントルマウスは、僕の天地魔闘の構えに臆することなく言った。
「有名な話だ。この僕が知らないわけがない」
「話が早くていい。正にそれです。いかにも運の悪そうな顔をしたあなたが、好機を掴める唯一の方法です。現にあなた今まで良い事なんて起こった事ないんじゃないですか? 例えば最近、犬の糞を踏んづけてしまったとか」
このネズミの慧眼は、そんなことまで見抜いてしまうのか!
場末の占い師も、ネズミなんかに顔負けしたショックで、店を畳んでしまうに違いない。
僕は生れてこのかた大学三回生までの二十一年間、何一つ良い事など起こった事など無い。
このネズミが言う通り、つい先日桜の散った並木道で気晴らしに散歩している際に、不幸の極地である、犬の糞を踏んづけてしまう愚行を犯してしまっているほどだ。
この世にも不思議な人間の言葉をしゃべるネズミに、僕は何かを感じた。
このネズミの言う通りにすれば、こんな不幸体質である僕も、お金持ちになる好機を容易く掴めることができるのではないか、と思った。
「なるほど。この僕の不幸体質をまるっとはっきり言い当ててしまうとは、君、ただ者ではないな。いいだろう。君の言う、わらしべ長者方法論、信じてみよう」
「なかなか聞きわけのあるお方で、嬉しい限りです。では早速、わらしべ長者への第一歩として、私から一つアドバイスを授けましょう。」
僕は息を飲んだ。
一体どんなアドバイスをこのネズミは、不幸の頂を登りに登りつめた僕に授けていただけるのであろうか。
胸が高鳴った。
「とても簡単なことです。あなたは、この薄汚いボロアパートを出る時、転がって何かを掴みます。それを持って西に行きなさい。――以上です」
僕は絶句した。
よもやこんな与太話の為に、ただでさえ貴重な僕の純情な胸の高鳴りを浪費してしまったのか。
僕の純情な高鳴りを返せ。
「ね? グットでしょ?」
「何がグットでしょだ! わらしべ長者の物語そのまんまじゃないか!」
「えぇ、そうですよ。だからそれこそ、わらしべ長者への最良の方法なのですよ。先人をみならい、先人と同じように成功するのです。」
「いやなこった。そんな与太話に付き合ってられるか」
「あなたにそんな断る選択肢があるのですか? 何もしなければ、何も変わらないのですよ。あなたはあのわらしべ長者物語のように、藁でも何でもいいから転がってでも、何かを変えるために掴まなければならないのです。あのアポロ十一号の宇宙飛行士が踏み出したように、勇気を持って、今こそ未知なる黄金色の月へと踏み出す時なのです」
僕はたじろいだ。
このネズミが言う通り、僕は今まで光り輝く栄光に満ちた世界へと、踏み出そうとはしてこなかった。
いや、踏み出すことができなかったのである。
その燦然と輝く目映い光は、暗黒の洞窟をこよなく愛する僕にとって、失明しそうなほど眩しい希望の光であり、暗黒洞窟に好んで住みつく、ちんけなカス虫共を貪り喰うことで満足し、そして偸安し、ますます外の青雲煌めく世界からは遠ざかっていた。
しかし、そんなことで良いのだろうか。
これが僕が暗黒洞窟から抜け出せる唯一の好機ではないだろうか。
僕はこの奇妙な雰囲気に身を任せることにした。
もうどうにでもなれ。
どうにもならなかったらならなかったで、全部このネズミのせいにしてしまえばいい。
そしてカス虫もろとも喰ってしまえ。
僕は意を決した。
「いいだろう。そこまでいうなら、乗りかかった船だ。泥船のつもりで乗っかってやろう。しかし、ダメだったらお前を捕まえて大金持ちになってやる」
「せっかく私が用意した宝船を泥船だなんてあなた、ヒドイですねぇ。まぁいいでしょう。こうしてアドバイスを授けた代わりといってはなんですが、そこにあるペアの恋愛映画のチケット、私に頂けないでしょうか?」
僕は耳を疑った。
人間が映画のチケットを欲するのはわかる。
しかし、ネズミが欲するとは、これ如何に。
しかも恋愛映画ときたもんだ。
内容も、タイトルを口にしただけで赤面恥ずかしの、超恋愛映画だ。
恥ずかしくて赤面してしまうので、僕の口からはタイトルは言うまい。
「そんなもん、ネズミの君は何に使うんだ」
「そんなこと決まっているでしょう。映画を見に行くんです。しかも意中の娘と一緒に見にいくんです。羨ましいでしょう」
「ちっとも羨ましくない! ネズミに嫉妬してどうする。そんなことより、そんなわざわざチケットを手に入れんでも、ネズミの君たちならいくらでも忍び込んで、タダ見することなんて簡単なことだろう?」
僕がそう言うと、ネズミはあきれたように溜息をついた。
「あなたわかってませんね。良き芸術を観賞するにあたり、対価を支払うのは礼儀ですよ。ジェントルマウスとして、礼節はわきまえているつもりです」
「君のポリシーには興味が無い。どうせネズミの餌にするつもりだったんだ。持ってけ。」
「ありがとうございます」
ネズミはお礼を言うと、二本足で器用にチケットへと歩み寄り、その小さな体にはあまりにも身に余る大きなチケットを脇に抱え、ニコリと笑った。
ような気がした。
「では早速今夜見に行くとしましょう。善は急げとも言いますしね。あなたもぼさっとしてないで、さっさと行動に移したらどうですか?」
「うるさい。言われんでも分かっている。兎にも角にも見事に幸福の藁を掴んでご覧にいれてみせよう」
「さようですか。では、御健闘をお祈りします」
そう言うと、ネズミは本棚の後ろに隠れていた小さい穴からそそくさと、姿を消していった。
「全く、何なんだこの状況は」
僕はネズミがいなくなったことで、少し我に帰っていくのを感じた。
この正に滑稽とも言える状況に、僕は何とも言えないもどかしさを感じ得ずにいたが、一度決めた事に反旗を翻すことにも何とも言えないもどかしさを感じ、仕方なしにとりあえず行動に移すことにした。
僕は先程のネズミの言葉を思い出しながら、ベニヤ板ほどの薄いペラペラの玄関ドアを開き、ギシギシと悲鳴を上げる古い木製階段を降りていった
『あなたは、この薄汚いボロアパートを出る時、転がって何かを掴みます。それを持って西に行きなさい』
転がって何かを掴む?
そんな簡単に転がっては僕のプライドが傷ついていたたまれないが、確か西と言えば、久しく通っていない我が大学があったような気がする――
そんなことを考えてると、突然足元の階段の古い木板が、バキっと折れる音を聞いた。
「おわっ!!」
僕は体勢をことごとく崩し、あられもない姿で転げ落ち、階段下にあった手入れのされていない植木へと、無様な格好で突っ込んでいた。
「ぶほわっ! 古いにもほどがあるだろ、この腐れアパート!」
一生懸命悪態はついてみたが、虚しさと共に、体は傷ついていないが、プライドが傷ついたことに、いたたまれなくなった。
と、その時、右手に何かを掴んでいることに気がついた。
それは紐のようでもあり、紐と言うのでは片づけられない神聖な重みがあった。
桃色のブラジャーであった。