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放課後の図書室。一番奥の、背の高い本棚に囲まれた死角で、僕たちは校則違反の真っ最中だった。
隣に座る彼女が、さきほど手渡したメロンパンを慎重に口へ運ぶ。
「ん、おいひい」
図書室はもちろん飲食厳禁だ。第一であろうと第二だからだろうと関係ない。先生に見つかれば即説教コースだろう。説教なんてゴメンなので、誰も入って来ないか図書室の入り口を警戒する。
カサリと袋の音が鳴るたびに心臓が跳ね上がる。普段なら気にとめることのない心臓の音がやけに大きくて口の中がやけに渇いた。
「……っ、ふふ……っ!」
隣から、堪えきれないといった風な笑いが聞こえた。彼女が口元を押さえ、肩をヒクヒクさせている。
「え、なに?」
「……だって、ふふっ」
彼女は腕や膝で顔を隠し、笑いを堪えようとしている。
「すごい顔が強張ってるんだもん」
一度ツボに入った彼女は止まらない。
「ふふふ」と、声を殺しながらも全身で笑っている。
その姿があまりにも無防備で、楽しそうで。
か、かわいい……。あんまり見ないようにしなくちゃ。
「笑いすぎ。……ほら、早く食べて食べて」
自分の気持ちがバレてしまわないようにそう言うと、彼女は「そうだね」と頬張った。
僕たちしかいない図書室に、彼女の柔らかな笑い声が微かに響く。
その瞬間、僕の頭の中から「誰かに見つかる」なんて恐怖はどこかに消し飛んでいた。
今、一番恐れているのは、この静かな空間で自分の心臓の音が彼女に聞こえてしまうこと。
「……そんなに笑うなら、お昼忘れてももうパンをあげないよ」
彼女はパンを少しちぎると、僕の口に放り込んだ。
「美味しい?」
「う、うん」
正直、パンの味なんて二の次だ。いつもは向かい合って座っているのに、隣同士でこんなに近い距離で。ちぎってくれたパンは食べかけのところじゃなくて残念な感じだけど、『あーん』してもらったことには違いない。
「……明日も、何か食べる?」
現金なもので、パンを飲み込んだ僕は本棚の方を向いたまま呟いた。
「いつもお昼を忘れてくるだなんて、私、そんなにドジじゃないよ?」
そうだろうか。聞こえないふりをずっとしてきたけど、昨日も一昨日も鳴っている。
「そう、だね」
「ふふふ、楽しいわ。いつもと違う感じのドキドキがなんか心地良いの。悪いことしてるのにね?」
小首を傾げた彼女に僕の心は翻弄される。
ふたりだけの秘密。彼女が楽しそうに笑えば笑うほど、また笑ってくれるような出来事を提供したくなる。
あ。
まだクスクスと笑っている彼女の口角に、白い砂糖の塊がポツンと残っている。
取ってあげなくちゃ。
思わず彼女の顔に手を伸ばした。
彼女の動きが止まる。
至近距離で見つめ合う形になり、彼女の瞳に僕の顔が映っていた。指先が、彼女の柔らかい唇の端に触れようとした、その瞬間。
ガラッ!!
静かな図書室に、無慈悲なほど大きな開扉音が響き渡った。
「あれ、聖愛? どこ?」
入ってきたのは江川さんだ。
「あ……」と、江川さんの声が止まる。
本棚の隙間から、僕と目が合った。
血の気が引いていく。
「な、なにもやましいことなんて!」
慌てた様子で回り込んでくる江川さんに、僕は伸ばしたままの指先を宙に彷徨わせた。誰がどう見ても不審者だ。
「あ、いや! 違うんだ、これは」
何が違うのか自分で理解出来ていないことだけは分かる。顔がものすごく熱いし、熱すぎて頭からきっと湯気が出ている。頭の中は真っ白なのに、心臓が耳元でうるさいくらいに暴れている。
「あぁあ、見つかっちゃった。大庭くんにメロンパンを頂いたの。一緒に食べよ」
悪気もなさそうに彼女は飄々と言ってのけると、「はい、あーん」とちぎったパンを江川さんに差し出した。
嘘だろ?
焦っているのは僕だけみたいだ。
「どういうつもり!?」
江川さんが僕を睨み付ける。どういうつもりって、確かに飲食禁止な図書室だけど。
「これね、なかなか買えないパンらしいわ。もう手に入れたからには食べなくっちゃって感じじゃない?」
「聖愛!」
彼女は反省の色など一切見せることなく食べ続ける。
「おいしい。ほんと幸せ」
とろけたような表情で何度も呟く彼女に、江川さんは黙り込んでしまった。




