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04:復讐するは我にあり

「控えめ」

 控えめ。

 控えめッ……!?

 

 一日たった今も、リネアが口にしたあの一言が、頭の中を執拗に回り続けていた。

 これまでギデオンの人生でそんな単語が、彼の肉体に向けられたことなど一度としてなかった。

 もっとも、他人のそれと見比べた経験があるわけではない。

 だがギデオンは、自分は標準以上であると、鏡に映る美貌と同じくらい疑いもせず信じきって生きてきた。根拠はないが、彼の自信というものは大体そういうものだった。


 だからこそ、今、心に渦巻く感情はただ一つ。


(絶対に許せない。あの女に、何かしらの報いを与えてやらないと……!)


 そう考え始めたところで、悪知恵がむくむくと湧いてきた。


 長く囲っていた恋人…リネアと結婚した今では、愛人となったベル。

 彼女を使えば良いと、ギデオンの脳裏に、ひどく意地の悪い考えが浮かんだのだ。


 ベルとベッドでいちゃついている所を、リネアに目撃させるのだ。


 新婚の初夜を迎える前に、自分の夫が愛人と絡み合っていれば、流石の彼女でも動揺するだろう。

 その瞬間を思い描くだけで、胸の奥にくぐもった快感が広がっていく。

 控えめ呼ばわりの仕返しとしては十分。いや、余りある。


 彼がこんなにも真剣になるのは、せいぜい、自分の色気の見せ方を練習する時と、腹いせを企むときだけだ。それがギデオンという男の、恐ろしく情けない本質だった。






 その恐ろしく情けない本質は、翌朝の寝室で絶賛発揮されていた。


 深紅のカーテンの隙間から差し込む光が、乱れたシーツと、絡み合う二人の身体を縁取っている。

 ギデオンは普段より少しだけ乱れた髪を、わざと整えないまま、ベルの腰を掴んでいた。

 鏡の前なら、今の自分を角度違いで三方向から眺めていただろうが、生憎ここにある鏡は、ベッドの向かいにある一枚だけだ。


(ああ、惜しい。もう一枚、天井にも付けておくべきだったな)


 そんな内装工事の予定まで頭をよぎるあたり、彼の集中力は器用に分散している。


「んっ……ギデオン様……っ」


 ベルが甘い声を漏らし、背中を反らせる。

 薄い寝着はとうに腰までずり上がり、白い脚がシーツを蹴って震えた。汗ばんだ肌が絡み合う感触に、ギデオンの喉が、得意げに鳴る。

 ベルの髪を指に絡め、顔を近づけた。唇が触れる寸前、わざと少し距離をとって囁く。


「どう? ベル。僕は控えめだと思うか?」


 問いかけに、ベルは潤んだ目で、首を左右に振った。


「……そんなこと、ない……っ。ギデオン様は……全然、控えめじゃ……」

「だろう? だよねぇ?」


 その言葉に、ギデオンは満足げに頷いた。

 そう、これが正しい反応だ。

 世界はこのように出来ているべきで、ぽっと現れた妻のほうが、見る目なしのアホを晒しただけだ。いや正確に言えばアホを晒したのは「目」ではなく、握った「手」のほうなのだが。


 ベルが乱れれば乱れるほど、ギデオンは調子に乗る。

 腰の動きはますます熱を帯び、彼女の吐息とベッドの軋みが、部屋の空気を淡く震わせた。


「ギデ、オンさま……っ、そんなにしたら……ベル…もう……っ」

「ああ、いいよ。好きに乱れなよ。どうせ誰かが見てるわけでも……」


 そこでギデオンは言葉を途切る。


(いや、見せるんだったな)


 今日の一番の見物人は、まだ来ていない。彼は、その登場を待ち構えていた。

 クライマックスまでに幕が上がらなければ、仕掛けた意味がない。

 リネアをここへ誘導する段取りは、すでに整えてある。昨夜、「朝食ができたら、リネアに僕の寝室へ出向くように言って」と、使用人へしっかりと命じておいたのだ。


(あとはタイミングだ)


 ギデオンはベルの身体を抱き込みながら、耳を澄ませた。

 とは言っても、ベルの喘ぎ声で、廊下の気配などほとんど聞こえない。

 それでも彼は、いつでも振り返れるように上半身の向きを少しだけ扉側に寄せ、見栄えの良い角度が保てるように念を入れていた。


「ギデオン様……っ、ねぇ、ちゃんと、ベルだけを見て……?」

「ちゃんと見てる。ベルは綺麗だ。……僕と一緒にいると、君の美しさは倍に見えるよ」


 柔らかな舌が絡み合い、ベルの指が、彼の背中を掻くように滑る。

 その爪の感触に、ギデオンの腰の動きが、無意識に深くなる。ベルの乱れた息は、もう半分泣き声に変わっていた。


「……っ、もう、だめ……っ」

「……まだ。……もう少しだけ、我慢」


 自分の方こそ、そろそろ危ういという自覚はある。けれど、ここで終わらせてしまっては、見世物にならない。怒りと意地と見栄が、彼の理性を奇妙な方向に強くしていた。


(さあ、今だぞ、リネア。来い)


 彼は胸の裡で、リネアを呼んだ。

 妻の名を呼びながら、腕の中で喘いでいるのは愛人だという事実に、ちょっとした背徳のスパイスを感じながら。


 その時だった。

 コン、コンと乾いたノックの音が、部屋に響いた。


(きた!)


 ギデオンの心臓が跳ね上がる。

 ベルの声は、ちょうど高くなりかけているところだ。

 ベッドは軋み、シーツは無残に捻れている。自分の呼吸も、かなり荒い。完璧だ。舞台として、これ以上ないくらい整っている。


「失礼」


 リネアの声がして、扉のノブが回った。


「……っ!」


 ベルの身体が、びくりと震える。ギデオンは尚も彼女を組み伏せたまま、顔だけ振り返った。

 そこにいたのは、淡い色のドレスをきちんと着こなした、端正な新妻だった。

 長い睫毛の下で、瞳がこちらをとらえている。

 デオンは内心で、「よしっ!」と叫び、ぐっと拳を握った。

 ベルは真っ赤になり、声を殺して震えている。絶妙なタイミングで、彼女の喉の奥からかすれた喘ぎが漏れた。


「っ……あ、あの……」


 ベルの声は情事の続きのようにしか聞こえない。ギデオンは、心の中で拍手を送りたくなった。


 ところが。


「朝食の用意ができたって」


 リネアは淡々と言った。表情一つ変わらず、その眼差しも、声の調子も、いつものままだ。


「……え?」


 思わず、間の抜けた声がギデオンの口からもれた。


(……え? もっと、こう……。取り乱すとか、泣き出すとか、あるだろう?)


 たとえば「ひどい!」と叫んで飛び出していくとか。あるいはベルに冷水のような視線を向けるとか。

 最悪、彼の頬を平手で叩いてくれても良かった。痛みは不快だが、ドラマ的には許容範囲だ。

 しかし、リネアはどれも選ばなかった。


「終わったら来てね。朝食は冷めないうちがいいと思うわ」

「……あ、ああ?」


 ギデオンはベルを押さえつけた体勢のまま、呆けた返事をした。

 

「それじゃあね」


 リネアはあっさりとそう言って、くるりと背を向けた。

 そのまま出て行くのかと思ったところ、扉の前で、ふと足を止める。


「あなた……」


 静かな声で呼びかけられ、ベルの肩がぎゅっと縮こまる。


「……は、はい……」

「後でサロンに来て。少し、お話ししたい事があるから」


 リネアの言葉に寝室の空気が、すっと冷えたような気がした。ベルの顔から血の気が引き、瞳が大きく開かれる。その様子を、ギデオンは面白がりながら眺めていた。


(ああ……。これはこれで、悪くないかもしれない)


 少なくとも、リネアの胸の内は、まったく穏やかという訳ではないだろう。

 あの落ち着きぶりは、むしろ怒りの裏返しかもしれない。本当に平気なら、サロンに呼び出したりしないはずだ。


(僕の仕返しは、ちゃんと効いている。……はずだ)


 自分で自分に言い聞かせるように結論づけて、ギデオンは小さく息を吐く。

 リネアはそのまま、音も立てずに扉を閉めて出て行った。

 残されたのは、汗と吐息と、妙な静けさだけだった。


「……ギデオン、様……」


 ベルは不安そうに、ギデオンの肩を掴む。


「奥様……怒っていたよね……?」

「さあね。そんな事より、ほら、ベル。さっきの続き、途中だっただろう?」

「……で、でも……」

「後で話をするのは君だろう。僕は、朝食の前にちゃんと腹ごなしを済ませておきたいんだ」


 そう言って笑う顔は、腹いせと虚勢と、興奮で、いつもよりずっと悪どく見えた。

 ベルは唇を引き結び、やがて諦めたように目を閉じる。

 さっきまで冷えかけていた空気が、またじわじわと熱を取り戻す。

 ギデオンの指先は、迷いなくベルの身体をなぞり、甘さと意地の混ざった動きで彼女を追い詰めていった。


(とりあえず、計画は実行した。そしてリネアは怒ってる。……うん、十分だろう)


 最初に思い描いていた「涙と修羅場」は少し違う形になったが、結果としてリネアの心は乱れた……と思う。そこまでくれば、細部はどうでもいい。

 胸の奥に、奇妙な満足感が広がっていく。

 怒りと安堵と、安っぽい勝利感が入り混じった、それはそれはギデオンらしい感情だった。

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