表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/36

31:背後の気配

 翌朝、ギデオンとリネアは、メルローズ家の常備兵二人と共に境界の村へ向かっていた。


 よく訓練された常備兵たちが背筋を伸ばして馬を進め、その少し後ろ、三頭目の馬にはギデオンとリネアが二人乗りしている。前に座っているのは当然ギデオンであり、後ろから手綱を握り、ついでに彼の腰までしっかり支えているのはリネアだ。

 ギデオンは、馬の歩みに合わせて僅かに揺れる身体を、無意識に固くしていた。昨日より幾分か慣れたとはいえ、馬上で優雅に微笑む境地には、まだ遠い。バランスを崩しかけるたび、背中に感じるリネアの手が、腰を押さえてくる。


 常備兵たちは、前方で黙って道を開き、振り向きもしない。余計なことを言わないあたり、優秀と言えば優秀だが、こうまで徹底して見て見ぬふりをされると、かえって落ち着かない。


(……いっそ一言くらい、突っ込んでもらったほうが気が楽かもしれないな)


 「奥様に支えられて、ご安心ですね」だの「頼もしい奥様ですね」だの、何かしら言われたほうが、まだ自分で皮肉を返す余地がある。沈黙のほうがよほど残酷だ。黙っているということは、つまり「見なかったことにする」という判断が下されているわけで、それはそれで評価としてなかなか厳しい。


「そんなに肩に力を入れなくても、大丈夫よ」

「君に支えられて馬に乗るなんて、僕の美学からすると完全に想定外なんだよ」

「知っているわ。でも今日は、体裁を取り繕っている場合じゃないでしょう?」


 柔らかな声色のまま、ぴしゃりと本質だけを突いてくる。ギデオンが言葉を探しているうちに、リネアの片手が、ふと腰から離れた。何事かと瞬きをすると、その手が前へと伸び、ギデオンの頭に触れた。


「……っ、ちょ、やめ」


 くしゃり、と。

 丁寧に整えてきた髪に、指が遠慮なく差し込まれた。きちんと撫でるというより、若干乱すほうに傾いた動きである。せっかく鏡の前で時間をかけて作った完璧な前髪が、あっという間にその役目を終えた。


「髪を乱すな。やめろよっ」

「少しくらい乱れていた方がいいわ。むしろ、きちんと整えすぎているときより、このほうが頼もしく見える」

「慰めになっていない」


 即座に反論したつもりだったが、喉の奥に、変な温かさが張りついた。抗議しているのに、なぜか肩のあたりだけが、ほんの少し軽くなる。

 王子は自分ではなくて彼女の方ではないかと、そんな考えが頭をよぎり、慌てて振り払う。認めたら最後、もう二度と立場が戻ってこない気がした。






 やがて道の先に境界を成す、なだらかな丘が見え始めた。 

 斜面には細長い畑が段々に切り開かれ、その合間を縫うように低い石垣と用水路が走っている。所々に立つ小さな石の柱は、どれも境界標だった。

 村はずれの丘の中腹まで来ると、常備兵が馬を止めた。遠目にも、目的の石碑が本来あるべき位置からずれているのが分かる。元々は緩やかな傾斜の真ん中に直立しているはずのそれが、今は斜面の下方へと傾き、土の上には引きずられた跡が生々しく残っていた。

 ギデオンは眉をひそめた。石碑の影が伸びている先、その向こう一帯が、隣領ルーソン家の支配する土地である。


 リネアに手を取られて馬を降りたギデオンは、足元の地面を一度踏みしめた。常備兵二人も馬から降り、石碑の周囲を一周して確かめると、無言で顔を見合わせた。


「……まあ、やることは一つだろうね」

 ギデオンは、ため息まじりに言った。

 境界線が動かされたのなら、元に戻す。それ以外に、当座の対処はない。


「よし、戻そう。ほら、君たちやってくれ」

 使用人に指示を出すのと同じ調子で常備兵に言う。するとリネアにひょいっと襟首を掴まれた。


「ギデオンもやるの」

 襟首を軽く引かれ、ギデオンは半歩ほど後ろに引き戻された。まるで逃げようとした子供を捕まえられたような格好だ。


「……いや、僕は指示を出す側だから」

「領主が自分の領地の境界を動かされたのよ。あなたが手を添えないでどうするの」


 正論だった。

 ギデオンは空を仰ぎ、それから観念して石碑のほうに向き直った。近くで見ると、想像していた以上に大きく、そして重そうだ。これを押し戻す作業に、自分の腕力がどれほど役に立つのか、正直かなり心もとなかった。

 常備兵たちは無言で反対側に回り込み、腰を落として構える。リネアも同じように、石の脇に手を添えた。華奢な指先だが、その姿勢には迷いがなく、妙な頼もしさがあった。


 掛け声と共に石碑がぐらりと揺れ、土の上を引きずられる。靴の裏が地面を滑りそうになり、思わず歯を食いしばる。肩が軋み、背筋が悲鳴を上げた。

 それでも何度か体勢を立て直しながら押し続けるうち、石碑は、元の基礎の上に戻った。足元の土が落ち着き、石の重みがどっしりと収まり、ギデオンは大きく息を吐いた。


「……やっと、終わった。これで、とりあえずの仕事は完了だ。さあ、早く帰ろう」


 ギデオンは早々に馬へ視線を向けた。日が高いうちに屋敷へ戻り、風呂に入り、お茶でもしようかと逡巡していると、隣で石碑を見上げていたリネアが、ふと背後に視線を向けた。その目が、すっと細くなる。ギデオンも遅れて振り返った。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ