王国の“闇”の部分懐柔
王都裏区画。腐食した水路の上にかかる鉄板の足場。
本拠地、元の無灯の廓をマサヒトに特定され居を変えた直後だ。
ロストの幹部会議は、灯りも魔術灯も使わない。
音を殺すためだ。
沈黙を破ったのは、落ち着いた声の男『灰縫』だった。
応答会に差し向けた構成員からの報告を受ける。
隅で『黒刃』は忌々しげに沈黙を貫いている。
「……で、どうするんだよ。王が“未熟を認めた”って宣言したんだ。あれで『語り部』の物語は相殺された訳だ」
別の声『灼滅』が苛立ちを隠さず噛みつく。
「だから何だ。所詮は綺麗事だろ。信じるだけ無駄だ。王の言葉で民が全員改心するなら、俺たちは最初からここにいねぇ」
三人目の影『残光』が言う。
「……だが王は“失敗するまで完全公開”の姿勢だ。官僚も貴族も、もう逃げ場がない。
実際に最近取引が減っている。官吏買収の単価も上がっている。
あれが数ヶ月も続けば、我々が利用してきた“闇”の入口が減る」
沈黙。
そこに、柔らかく入り込む声。
マサヒトだ。
「減るというより、変質するだろうね。
穴自体は消えていない。ただ、別の形になって開くだけだ」
全員がわずかに姿勢を変える。
拠点を変えた。だが…無意味だった。
ロストの判断基準でマサヒト自身が脚光を浴びることはない。
だが、“最も危険な王の盾”と認識されている。
マサヒトはこの場に免れざる客だと知りながら、飄々と来訪し、壁にもたれかかり明かりのない空間を指で描くように言った。
「王の方針は強い。あれは“正面突破の統治”だ。ただし、強い統治は必ず副作用を生む。監視強化、情報の透明化、責任の明確化…。
こういうものは、王が考えているよりずっと早く組織を疲弊させる」
幹部の一人『灰縫』が眉をひそめる。
「……それは、つまり我々に有利に働くってことか?」
「半分はそう。半分は違う」
マサヒトの声は静かだが、逃げ場がない。
「このまま王が本気で持続すれば、ロストの旧式のやり方は十年も保たない。いや早ければ数年…。だから方針は見直すべきだ。
“王への敵対”ではなく、“王の政策の穴を専門に扱う影組織”へ。」
空気がざらつく。
それは裏切りの匂いではない。
“何かが変わる予兆”のざらつきだ。
頭領の『朧月』が低く笑う。
「我らに…王の犬になれと?」
「違うよ。飼い犬じゃない。犬は吠えることが仕事だ。君らは吠えない。ロストは“野生の嗅覚で獲物を選ぶ獣”だろ。自分の餌場は自分で決める。噛む場所は自分で決める…。それは野生の牙、違うか?」
手で噛みつく真似事をしながら、マサヒトは淡く笑った。
「要は、役割の再定義。王が“光を整える”なら、俺様と近しいアンタらも“影の形を整えろ”。って事だ。
これは対立じゃない。棲み分けだよ」
側近の幹部『外縁』が呟く。
「…なるほど、反感情派共への対抗にもなる。奴らは、あの手この手で影を真っ黒に塗りつぶしに来ている。『語り部』
の牙同様、ロストの影が“組織としての公益役”を担えば、奴らの物語が噛み合わなくなるか…。」
「ご明察…。」
マサヒトは肩をすくめる。
「反感情派は“信頼か疑念の二元論二色刷り”をやりたがってる。
そこに第三色目を混ぜれば、やつらの理想の対立構造は自壊する」
少しの沈黙。
最初に反発していた『灼滅』が舌打ちした。
「ああもう……わかったよ。ファウストがどこまでやるか、見てやる。
その上で、“影の役割”を引き継ぐか決める」
その時、マサヒトは珍しく笑った。
反抗ではなく“再定義”を即座に理解できる者は、どんな時代でも生き残る。
「判断が早い。そういう人は残るよ。」
ロストが死ぬか進化するか、分岐は近い。




