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信頼の王国  作者: 志々十勒
創世記─これまでとこれから─
18/24

都市が死ぬ夜─サイドストーリー

フェルシアがまだ信頼の王国ではなく、

過剰な制度が無機質な安心を約束していた前王期末期。

停滞したゼロ王の国家財政のもとで、地方都市は独自の交易政策でかろうじて呼吸していた。


ワルターはまだ二十代後半。

若き敏腕交易商にして、数字に酔う天才だった。


子供のころから自覚していた。

自分は理解速度も嗅覚も常人とかけ離れている。

心から笑った記憶など、いっそ思い出せないほどに少ない。


構造を解けば、世界の生活は数字で出来ている。

そう“知ってしまった”瞬間から、

ワルターは世界の真理を手にした気でいた。


数字こそが正しさ。

数字こそが未来を示す。


その確信が、未来の破滅の種だった。



◆地方都市レーンハーフの干上がり


ワルターは商業審議会に提案した。


「北街道の関税率を一時的に引き上げ、裕福な西方からの穀物流入を増やすべきだ」


計算は美しかった。

各都市の人口動態、消費指数、保存損耗率。

物流最適化。関税差益の活用。

王都の商人ギルドはその精密さに舌を巻いた。


数字上は、完璧だった。


──ただし“数字に載らない現実”を、彼は初めて見落とした。


レーンハーフには“冬季備蓄文化”がほぼ存在しない。

温暖な南交易に依存してきた歴史から倉庫インフラが弱く、

その年は若い夫婦層が急増し、出産率も跳ね上がっていた。


ゼロ王政権下で制度処理は滞り、

統計は二年前で止まっていた。


そして、関税引き上げが“商隊の迂回”を招いた。

合理的判断ではなく、

「いつも安全な道を通る」という人間の癖に従って。


ワルターの計算は、

“人間が合理的に動く”という前提に支えられていたのだ。



◆3日で飢餓、7日で街が壊れ始めた


冬が来た。


商隊は来ない。

倉庫に穀物はない。

南方の輸送は嵐で二週間遅延。


数字の上では「余裕は1週間」。

だが、現実の余裕は「3日」しかなかった。


四日目には、パンが消えた。

五日目には、乳母たちが互いの家を回り余り物を分け合った。

七日目には、家族が隣領へ歩いて避難し始めた。


レーンハーフは流血を免れたが、

都市は“死にかけた”。


その傷は、後の数年間、人口曲線として残り続けた。


ワルターは初めて知る。


「数字がひとつ狂えば、都市ひとつ死ぬ」



◆ワルターの“心の死”


審議会で責任を問われたとき、

若いワルターは喉まで言葉をのぼらせた。


「……数字上は、正し──」


言い切ろうとしたその瞬間、

避難民の母親が泣きながら叫んだ。


「数字は子どもを食べさせてくれません……!」


その一言で、ワルターの中で何かが折れた。


深夜、誰もいない審議会室。


計算表を握りしめたまま、彼は初めて吐いた。


その夜が、

“数字の天才”が死に、

“商人ワルター”が生まれた瞬間だった。



◆ワルターの哲学の誕生


翌春、ワルターは商業の教訓として書き残した。


「数字は道具であり、人の心は道そのものだ。

 道具に道を委ねる者に商いを語る資格はない」


のちのワルター商会第一条となる金言である。



◆現在──王宮執務室


王宮で、当時のレーンハーフ報告書を読み返す。

静かに閉じ、天井を見る。


胸がざわつく。

痛む。

数字は戻らない。

だが、誠実さは未来を繋ぐ。


王とは数字と心の統合を行う者。

そして国家の財政と交易は国民の生死そのもの。


だからこそ、


“嘘をつかない王以外に任せてはならない”。


ファウストは数字で政治を動かすと言われている。

だが、本質は数字ではなく“誠実”だ。

あの若い王だけが、

数字と心の両方を持ちうる。


ワルターは静かに息を吐いた。


「正しさだけでは国家は運用できない。

 ……あいつは唯一、数字も心も持つ──誠実な信頼の王か。」


過去の失敗を飲み込み、

未来の礎へと再定義する。


だからこそ、

彼は心で決めた。


ファウストは“若き王”ではなく、

最も危険で、最も正しい資質を持つ王である。


その王の背を、

自分は必ず支えるのだと。

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