第二の牙:第一波『善意の構造』
フェルシア王国の王都ラージルの市場。
昼下がり、野菜の露店が最も賑わう時間帯。
本来ならば値引き交渉の声と笑い声で満ちるはずの空気は、どこか湿り気を帯びていた。
「ねえ聞いた? クーサン様、あの日…泣いて帰ったんだって」
「自領を守るために、王に頭を下げたんだろ? 可哀想に…」
「息子さんのヌーサン坊ちゃんも、ずっと一人で館の窓から父を待ってたそうよ……」
出所のない話が、あまりに自然に流れていた。
一つの噂が二つに増え、二つがいつの間にか三つに変わり、
どれも“悪意の方向ではなく、同情の方向”に綺麗に流れている。
ワルターは露店に立ちすくみ、眉間を押さえた。
「…嘘を撒くにしても、出来が良すぎる。これ、こいつは、職人の仕事だ」
背後の影の一人が囁く。
「噂の発生源、三つ追いましたが……どれも“誰かから聞いた”の一点張りです」
「つまり実体がねぇ。源泉が存在しない構造噂ってわけか」
ワルターが顔を歪めると、そこへアーサーンが駆け寄ってきた。
「ワルター殿、そちらでも同じですか」
「同じどころか……これは“誘導された善意”だよ。
善意の噂は燃え広がる炎じゃない。水のように、最短距離で流れ込みやがる」
アーサーンは唇を噛んだ。
「では、もう第二波が来る」
「来る。間違いない」
彼らが警戒を強めた、その瞬間だった。
──王城・知識研究局。
本来あった魔術研究局と包括し、コマの為に新設された部署である。
知識探求と民意の調査、感情圏の観察等を主とする特殊な部署だ。
コマは机の上の感情結晶をじっと見つめていた。
淡い光が“均一に”揺れている。
均一な揺れは本来ありえない。
噂は自然発生する場合、点と点がまばらに揺らぎ、そこから縦軸の偏りが生じる。
だが今の波形は……“計算された揺らぎ”だった。
コマは静かに息を吐いた。
「……震源なし。これは、人が起こした噂ではありません」
側で控えていたツバキが目を丸くする。
「では何が?」
「構造です。
“噂の原点が存在しないように組まれた情報網”……
第二の牙の、“語り部”が使う手口」
コマは結晶の色の流れを指先でなぞりながら、静かに続けた。
「第一波の狙いは王政の弱体化ではなく……
“王以外に寄り添いたくなる善意の枠”を民衆側に形成すること」
ツバキは息をのむ。そして震える声で問う。
「では……王はどう動けば?」
コマの唇がわずかに上がる。
「……王は、語れば良い。
“事実と信念の物語”という武器で迎え撃つのです」
────玉座の間。
八柱が集合し、状況を報告し終えると、ファウストはひと言だけ呟いた。
「……想像より速いな。『語り部』」
その目は静かに、だが鋼のように冷えている。
「だが——俺の物語の主導権は渡さない」
彼は立ち上がり、アーサーンへ向き直った。
「準備しろ。
本日、王都の大市にて“公開応答会”を開く」
八柱の目が丸くなる。
「お、王よ!? 今このタイミングで……?」
「この噂は、俺の沈黙を前提に組み上げられている。
沈黙すれば“王が何かしら後ろめたい”という筋書きにつながる。
なら壊せばいい。自分の口で、真実を語って民意を取り戻す。」
わずかに息を呑みつつ、コマだけは微笑んだ。
「…さすがですね、ファウスト王。
『王の言葉は、法律よりも速く、剣よりも深く届く。』
それが第二の牙に対して最適解。
“語り部対王”の構造に、王自ら正面から物語を置きに行くとは」
ファウストは王剣を軽く叩いた。
「彼らに物語の支配者面をさせておく気はない。
クーサンの件も、噂の構造も、全部まとめて俺が話す。
“信頼の物語”の第一声を、今ここから放つ」
こうしてファウストは、第二の牙の“第一波”に対し——
王自らの言葉で切り返す、歴史的な初手を打つのであった。




