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信頼の王国  作者: 志々十勒
創世記─これまでとこれから─
13/26

折れた牙、領主の独白と焦燥

 ファウスト陣営の対策は有無を言わさない速さで事態を沈静化してみせた。


 気づいた時にはすでに喉元にあの若造の理念の剣が迫っていた。


 いやすでに“詰み”な状態。盤上遊戯の王手に他ならない手腕だ。


く……馬鹿な。


十年かけて磨き上げた“穴”が、たった数日で塞がれるなど。


 前国家の旧王政の規律は、年々厳しさを増し、末期ではその締め付けはもはや、他国と比較しても異常だった。


 そんな規律を守る為の規律。掟を破らない為の掟の過密な制度の穴は面白いほど鮮明に光って見えた。


 帳簿の桁偽造、補助金の使い道の形骸化、仕入れの回数の誤魔化し——すべてが魔法のように面白いぐらいに決まっていた。


 制度に則って──これさえあれば良い。


誰も疑わない。誰も見ない。

だから“隙間”が生まれる。


その隙間は、小さな金庫みたいなものだ。


正式には存在しているのに、誰も鍵を開けない。


俺はそこに金を出し入れし、領地を回した。


民共が怯えて黙れば、さらに扱いやすかった。


 冷たい言い方だが、我が領土が生き残るための知恵だった。


だが——今はどうだ。


 新王ファウストが「透明性」と言った瞬間に、嫌な汗が背中を流れた。


 だが所詮、若い王の理想論、戯れ言だと思った。


 信頼で繋がる……。そんな揺らぎやすい感情など、噂ひとつで足元が崩れ落ちる幼さがある、と。


だから俺は噂を揺らした。


西街道で“治安悪化”を演出し、不安を商品にした。


人は怯えると“情報”を欲しがる。


盗賊が出るかもしれない、荷馬車が襲われるかもしれない——

その不安は、俺に金を持ってくる。


金とあの若造の誇大妄想の絵物語への威嚇と牽制。


そのはず、だった。


 ワルターとか言う商人ギルドの市民風情が、民の心を掴んでしまうなど、不快な男だ。


「安心の値段で制する…だと」?


ふざけるな。

俺が撒いた恐怖に、安心を上書きされたら、利益は泡みたいに消える。


そしてムータラ。

国家保障?

“不安があれば国が金を払う”だと?


 国の財布係程度がうざけやがって。

こんなもの、領主の商売を潰すための大砲じゃないか。


しかも引き金を躊躇も迷いなく引きやがった。


そしてアーサーン。

あの制度屋は、実際に粛清とこちらの喉元に刃を置いて嘲り笑ってるだろうクソ野郎だ。


 数日で新法を通し、俺の稼ぎを“犯罪”に変えた。


 制度の速さには歪みが出るはずなのに、あの男の手には迷いがなかった。


 十年かけて積み上げた鉱脈は、一晩で焼け野原。


残ったのは、穴を探す俺の癖だけ。


いや……違う。


俺には自分の領がある。

息子のヌーサンもいる。


 ヌーサンには汚れ仕事を見せたくなくて、穴を守り続けた。


制度が腐っていようが、俺は俺なりに土地は回してきた。


民共が黙るのも、そう仕向けたからだ。

あれは俺の“生存戦略”だった。


だが今、若造の王にそれを否定された。

十年の努力も、誇りも、全部が“違法の一言”で切り捨てられた。


胃が焼ける。

手が震えるのに、頭だけが妙に冴える。

——追い詰められた獣の感覚だ。


……ふぅ…いいだろう。


 盤の上が変わったなら、今度は盤の裏側を使うだけだ。


 制度の隙間が潰れたなら、人の“善意”の隙を突けばいい。


 生き残るためなら、善人の仮面でも被ってやる。


「若造の王がやりすぎた、と民に思わせればいい。制度を急に変えれば誰かが困る。その“誰か”を俺が演じてやる」


俺はまだ終わらない。終われない。


若造の王に、十年の重さがどれほどのものか教えてやるさ。


◆第二の牙:黒幕の視点


 地下酒場を改造した“商談室”。

 夜の灯火は弱く、煙草と湿気が絡みつく。


 粗野な取り巻きが集まり、その中央の席だけが、異様に清潔だった。


 座る男は、熱ではなく冷たさを纏った目で報告を聞いていた。


「……クーサン、止まりました。市場保証と法案化で利益が消えた。噂も散り始めている」


 沈黙。

 男は杯の縁を、爪で軽く叩く。

 苛立ちではなく、計算の音。


「金で止められた? 法で囲われた? 怖れだけで走らせたはずの馬に、鞍を付けられたわけだ」


 男は、静かに笑う。


「王が“恐怖に反応しなかった”……そう聞いた」


「……民の治安不安を利用できません。軍も動かない。よって政情不安が作れない」


 報告者の言葉に、男の指が止まる。


「軍が動かない? ならば──動かしてやればいい」


 杯が乱暴ではなく、丁寧に置かれた。


「第二の牙は“暴力”ではない。“暴力の疑い”だ。民に血の臭いを想像させる」


 静かに、命令が落ちた。


「治安への不信、王への焦り、軍への怯え……恐怖は現象ではなく連鎖だ。

 連鎖を作れ。実害はいらない。」


 その瞬間、場にいた誰もが理解した。

 ──次の攻撃は“噂より深く、事実より薄い”。


「連鎖を撒く人間が必要ですね。どこに置きます?」


 男の視線が一人に向いた。


 そこにいたのは、粗野ではない。黒服でもない。


 ただの『朗らかな語り部』穏やかな笑顔を貼り付けた “市井の聞き役” だった。


彼は柔らかい声で言う。


「お任せください。私は噂を作るのは不得手ですが、“不安を拾うこと”なら、誰より得意です」


 男は満足げに頷く。


「拾え。そして増幅させろ。

 不安は売るな、育てろ。信頼国家に“育てた不安”ほど毒はない。」


 語り部は、微笑んだまま立ち上がる。


 まるで役者が舞台に上がるように。

 彼は民の声を聞き、拾い上げ、それを増やす。


「では、王国市場へ行ってきます──“心の市”へ。」


 扉が軋む音が、第二の牙の始まりだった。

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