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「おはようございます、副社長」
桜の季節も終わり、新緑が鮮やかに色をつけ始めた季節。
明るい日差しの差し込む副社長室から、またあたし達の一日が始まる。
「おはよう。
すっかり初夏だな」
「そうですね」
一哉と出会った頃は、まだ冷たい風の吹く真冬だった。
それから数ヶ月。
時間にしたらそんなに長くないかもしれないけれど、でもあたし達の間には、時間でははかれないたくさんの出来事があった。
この数ヶ月で、あたしはそれまで知らなかったいろんなことを知った。
人と触れ合うことの温かさ。
心を開いて接することで生まれるつながりと、喜び。
だけどその根本にある一番大きなものは、人を『愛する』ということ。
それは、大好きな一哉だけじゃない。
他ならぬ自分も。
一哉は自分のどんな傷も過去も受け入れて、新しい一歩を踏み出そうとした。
その姿が教えてくれたんだ。
他人だけじゃない……自分自身も愛することが、新たな可能性を生み出すんだって。
あたしは今、一哉が好き。
そしてそれと同じくらい、あたし自身とあたしを取り巻くこの世界が、大好き。
そのせいかな。
降り注ぐ光が、こんなにもキラキラと輝いて見えるのは。
「あ、そうだ香。
今日午後から、ちょっとお前に頼みたいことがある」
「……頼み?
なんでしょう?」
オフィスでのあたし達は相変わらず。
仕事のあたしは決して秘書モードを崩さず、あたし達は今までどおり、敏腕副社長とその秘書。
そう、ただひとつ、社長に、あたし達の関係がバレてしまったこと以外は。
目の前であんなラブシーンを演じておいて、今さら隠しようもない。
社長と菅原さんには一哉から話をしてくれて、あたしはその場にいなかったけれど……でも次に仕事で会った時、社長は妙にご機嫌だった。
もしかしたらこっそり呼び出されて怒られるんじゃないかとさえ思っていたあたしは、ちょっと拍子抜けしたくらい。
しばらくしてから一哉にそんな心配をしていたことを打ち明けたら、一哉は大口開けてハハハッと笑ってたっけ。
『んなわけないだろ。
ずっと聞きたくてウズウズしてた言葉が聞けて、大喜びしてるくらいだよ』
一哉自身も話せてスッキリしたのか、すがすがしい顔でそんなことを言って。
指示を待つあたしに、一哉はデスクから取り出した一枚の紙を手渡した。
受け取ってみるとB5サイズのその紙には、会社の名前と簡単な地図が書いてある。
「マルオカ不動産?
なんですか、これ?」
「今後店舗を増やしていく場合の、めぼしい物件の資料を頼んであるんだよ。
挨拶を兼ねて、直接取りに行ってほしいんだ」
「え?」
あたしは思わず目を丸くしてしまった。
(物件資料を……わざわざ取りに行くの?)
そんな物、普通ならメールか郵送。
挨拶兼ねてと言ったって……何もわざわざ、副社長秘書がこっちから取りに行く必要なんてないと思うんだけど……。
あたしの疑問は当然顔にも出ていたんだろう。
一哉は尊大な態度で胸をそらせて、
「そんな顔すんな。
ちょっと恩のある人から紹介してもらった不動産屋なんだ。
どうせお前、午後のオレの商談中は暇だろ?」
「暇って……」
たしかに一哉は午後から来客を迎えて商談の予定で、その間あたしは秘書室で待機だ。
でも別に暇だなんてことはない。
するべき事務仕事だって山のようにあるのに、今の言い方はちょっとカチンときてしまう。
「失礼ですけど、副社長が書類の確認や整理をしょっちゅうお忘れになるせいで、あたしはしなくてもいい雑務を……」
「あーもー、わかったわかった!
これからは確認も整理もちゃんとするからっ。
だからとにかく行ってくれ!
わかったな!?」
一哉はあたしのセリフを遮ってわめくようにそう言うと、机の上の荷物をまとめてサッサと部屋を出ていってしまう。
今から専務とミーティングなんだ。
「何あれ……わけわかんない!」
一哉の足音が聞こえなくなってから、あたしは腹立ちまぎれに小さく叫んだ。
「もう……あたしだって執務に計画立ててるのに、予定狂うじゃない!」
こうなったら、ことあるごとにさっきの『確認・整理ちゃんとやります』発言を持ち出して、いじめてやるんだから!
あたしはムシャクシャしながら、一哉から受け取った紙をバッグに詰め込んだ。
そして午後になると来客を迎え、商談用の部屋に案内したところであたしは下がる。
一哉がその客と商談を始めてから、あたしも出かける用意をした。




