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やがて、どれくらい時間が経ったのかもわからない頃、一哉はそっと唇を離して……。
「……バカヤロ。
意味わかんねえっての」
あたしをきつく抱きしめながら、そう言った。
「……ゴメン。
ここ最近のこと全部、謝りたかったの。
一哉が何も話してくれなくて隠し事してるみたいだって、あたしずっと疑ってた。
信じなきゃいけなかったのに……ただあたしは、自分の弱さを一哉にぶつけてた……」
『知りたいと思うのは、誰のためなのか?』
菅原さんの言葉の意味が、今ならわかる。
本当に心からその人を愛するなら、相手を知りたい思いも全部、好きという気持ちの中から生まれる、相手への思いやりの心であるべきなんだ。
だけど……あの時のあたしは、そんなこと気づいてもいなかった。
あの時のあたしの感情は、ただのエゴ。
一哉の見えない過去に不安を感じていたのはあたしの弱さで、あたしはただ焦っていただけ。
菅原さんはそんなこととっくに気づいていて『それじゃダメだよ』と、教えようとしてくれていたんだ。
「ゴメン一哉。
あたし、ホントに……!」
一哉の腕に手をかけて言おうとした再びの謝罪は、唇に当てられた長い指で遮られた。
「わかったよ。
イヤ、まだイマイチよくわかんねえけど。
とりあえず、詳しいことは後だ」
「えっ?
後?」
「あぁ。
……お前な。
突っ走るのもいいけど、状況見てみろって」
言って、一哉は左の親指でクイッと後ろを示す。
促されるまま、チラッとそちらに視線をやった。
玄関から続く廊下の奥、リビングへの入口。
そこに、社長と勇クンが立っている。
社長は驚きで目を真ん丸にしながら、両手で勇クンの目をふさぎ、勇クンは視界を奪われてジタバタしていた。
「あ!」
「中学生に見せるには濃厚すぎだっての、バカ」
あきれたような一哉の声に、あたしは一気に顔が熱くなるのを感じる。
「ったく。
人がずっと時期見計らってちゃんと説明しようとしてたのに、一瞬でパーじゃねえか」
「え?」
最後の言葉の意味はちゃんとわからなかったけれど……とにかく、社長にバレたことを言ってるんだろうとは感じた。
「ゴ、ゴメン……」
バレてもいいとは思っていたけれど、ずっと見られていたとわかると今さらながら恥ずかしい。
社長達のいる方が正視できずに、あたしは再び一哉の胸に隠れるように顔をうずめた。
一哉はそんなあたしの髪をクシャッと大きな手で撫でて、頭だけ後ろに振り返って、
「驚かせて悪かったな。
まぁとにかくなんだ。
後で絶対ちゃんと説明するから、今は何も聞かないでくれ」
そう言うと突然強引に体を離し、代わりにグイッとあたしの右手をとる。
「えっ!?」
しっかりと手をつなぎ合った状態で、あたしはビックリして一哉を見上げた。
一哉はそんなあたしに唇の端だけを上げて軽く笑い、
「行くぞ」
「!」
その声と大好きなあの笑顔に、あたしの胸は、このうえもなく高鳴る。
自信に満ちた、強気な笑顔。
ああ、あたしはやっぱりこんな一哉が大好きだ。
最初に出会った夜からあたしを引きつけてやまない笑顔が、それを痛感させる。
「行くって、どこへ!?」
ドキドキ鳴る胸を押さえて尋ねるあたしに、一哉はもう一度笑う。
そして、少し背中を丸めて体をかがめ、あたしの耳に唇を寄せると、
「どこでもいい。
お前とふたりになってお前を抱けるなら、オレにとってはどこでも最高の場所だよ」
そう、あたしにしか聞こえない小さな声で囁いた。
その囁きは、このうえもなく甘くて……そしてパッと体を起こしてもう一度見せた笑みは、あたしが今まで見た中で最高に眩しい笑顔だと、あたしは思った。
「一哉……!!」
そうだね。
あたしもそう思うよ。
「ホラ、さっさと来い」
クイッと引かれた手に導かれるまま、あたしも走り出す。
「あっ、一哉!
橋本さん……!?」
社長の声が背後から聞こえてきたけれど、あたしも一哉も振り返ることなく走った。
つないだ手から伝わるぬくもり。
人の温かさがこんなにも嬉しくて心強いものだと教えてくれたのは、やっぱり一哉だったね。
行こう、どこまでも。
ずっとずっとふたりで。
力強く結んでくれる手をしっかりと握り返して、あたしは一哉とふたり、まぶしい世界に飛び出した。




