62
一哉side
「どうしたの一哉?
何だか元気がないわね?」
オフクロの声に、オレはハッと我に返って顔を上げた。
……うっかりボーッとしちまってた。
こんな所で考え込んでも仕方ないのに。
休日の今日は、特に呼ばれたわけでもないが実家に顔を出した。
中学校生活を始めたばかりの、勇の様子が見たかったからだ。
勇からクラスにも慣れて友人もでき、入ると決めていた美術部に入って順調に学校生活を送っているという話を聞いて、ホッとして。
オフクロが二杯目のお茶をいれている間に勇が遊び出して、ひとりになったら、つい……。
トレイを持って怪訝な顔をしているオフクロに、オレはあわてて笑みを向けて言った。
「別に、ちょっとボーッとしてただけだよ。
何でもない」
オフクロは『そう?』とイマイチ納得していない返事をしつつも、テーブルにカップを並べ始める。
勇にはホットミルクのカップを用意し、TVの前からテーブルに戻るようオフクロが声をかけるが、返ってきたのは『いらなーい』という元気な声。
どうやら遊んでいるTVゲームが、今いいところらしい。
オフクロは苦笑して、
「まったく……遊んでばっかりなんだから」
「いいんじゃねえの。
やっと受験が終わったんだ。
どうせそのうちまた、定期テストだなんだって嫌でも勉強潰けになるんだから」
オレも笑いながら、新しいカップに口をつける。
オヤジは仕事でいないが、リビングには穏やかな一家団らんの空気が流れていた。
しばらく会話はなく、ゲームの効果音と、時おり勇があげる『えいっ』とか『うわ!』という声だけが響く。
だがやがて、オフクロがその沈黙を破った。
「……何にもないだなんて嘘でしょ?
どうしたの?
何か、悩み事?」
「え……」
ったく。
大ざっぱで天然なくせに、こういうことだけは妙に鋭いからまいる。
それが親ってものなのかもしれないが。
「たいしたことじゃないよ」
オレは素直に打ち明ける気にはならず、曖昧にごまかした。
オフクロは少しだけ寂しそうな顔をして、
「いつだって頼っていいのよ。
あなたは私の息子なんだから」
「わかってるよ」
「一哉には苦労かけた分、今できることはなんだってしてあげたいのよ。
だから……」
まただ。
オフクロはたまにこういう言い方をする。
未だに、昔貧乏暮らしをさせたことと数年間オレを施設に入れざるをえなかったことに、罪の意識を持っているようだ。
「もういいって、それは」
過去にも何度か話した記憶はあるが、オレは改めて言った。
首をかしけるオフクロに向かって、オレはキッパリと、
「オレはあんなの、少しも苦労だなんて思ってない。
また一緒に暮らすために、お互いが頑張った。
それだけのことだろ?」
そりゃあ腹一杯メシが食える方がいいし、離れていた期間は不安だったし、寂しくもあった。
だけどそれでも、オレには信じるものがあったから。
信じて待つことが今の役目だと思っていたから、自分が不幸だなんて思いは微塵もなかった。
それに香と出会って、前よりその思いは強くなっている。
何も信じるものがなかった香に比べれば、オレは超がつくくらいに恵まれていたんだと、改めて思っていた。
「どんな時も助け合うのが家族だ。
オレ達はやるべきことをやっただけなんだから、いい加減そんなの気にするのはやめろよ」
「一哉……」
オフクロはしんみりした顔でオレを見ていたが、すぐにパッと花の咲いたように笑う。
しめっぽくなっても仕方ないと思ったんだろう。
「そうね。
ごめんね、一哉。
お母さんったらどうしても心配性が抜けなくて」
ハハハと笑うオフクロに合わせて笑いながら、本心では申し訳ない思いもよぎる。
(心配かけてんのは、オレでもあるからな……)
副社長就任前。
アメリカでオレは一度自分を見失って、もう会社経営もオフクロを助けることも、どうでもよくなった時期があった。
何もする気が起こらなくてただおざなりにその場にとどまり、ダラダラ毎日を送る。
スクールに行くのは、気が向いた時だけ。
週の半分は悪友とつるみ、真昼間から酒をあおるか、遊んで過ごしていた。
彰子の親から送金された金には手をつける気にならなかった。
使ったら『負け』だと思っていたのかもしれない。
だから遊びに使ったのは、全部自分の貯金とオフクロが援助してくれた金だ。
そんな生活を一年も続けると進学も危うくなり、さすがにいつまでもこのままじゃいけないとスクールには真面目に通うようになって、そこから少しずつ冷静さを取り戻していったがそれまでは本当にすさんだ日々を送っていた。
金を食いつぶしていることにも文句ひとつ言わず黙って見守ってくれていたけれど、きっと相当心配をかけただろう。
(これからは、オレが恩返しをしていかなきゃな)
そもそもその恩返しの思いが、オレがオフクロの跡を継ごうと決めている理由でもあるのだが、改めてそんなことを思っていると……。
「そういえば、秘書の橋本さん。
彼女は本当にいい人ね」
いきなりの発言に、オレは飲んでいたお茶を噴きそうになる。
オレが考えていたことが香のことだとわかってて言ってるのか?
まさかとは思うが、あまりにタイミングが合いすぎだろ。
「なんだよ、いきなり?」
極力何でもない態度を装って聞き返すと、オフクロはフフッと嬉しそうに笑って、
「この間菅原クンから聞いたの。
彼女すごく思いやりがあって、あなたのこといろいろと心配してくれてるんですって」
(心配?
いろいろと!?)
「なんだよ、いろいろって」
菅原さん、一体いつ香とそんな話をしたんだ?
香からもそんな話、ひとつも聞いていない。
内心ザワザワとしまくっているオレの気を知ってか知らずか、オフクロはのんびりした声で、
「詳しいことは聞いていないけれど。
だけど菅原クンに言わせれば、橋本さんは一哉にとって最高のパートナーだろうって」
「は……」
(あの野郎……またいらぬお節介を……!!)
菅原さんの食えない笑顔が頭をチラついた。
あの人は昔から頼れる兄貴分だけれど、兄貴気取りのお節介を、時々やいてくれる。
(ったく。
もうガキじゃねえんだから、自分のことくらい自分でケリつけられるってのに……!)
気をきかせて、オフクロにアピールしたつもりなのか。
というより、そもそも、ホントに香とどんな話したんだ!?
そこはかとなく不安を感じているオレの目を覗き込むようにして、オフクロが聞いてきた。
「ねえ一哉。
前にも聞いたけど、本当にあなたと橋本さんって……」
「わかってるって」
今日何度目かになるその言葉で、オレはオフクロを制す。
いつかのその問いに答えるためにも、オレは動き出したんだから。
動き出したら動き出したで、金曜の香は様子がおかしくて、どうにも気にかかって仕方ないが……だからと言って、オレの進む道に変わりがあるわけじゃない。
オレの進む先は、手に入れたいものは、ひとつだけだ。
「そのうち話す。
本当に、ちゃんと」
そう遠くない未来、オレは答えを見つけているつもりだから。
「だから」
『だからもうしばらく待っててくれ』。
そう言おうとした時だった。
ピンポーンというインターホンの音が、リビングに響き渡った。
「あれ?
お客さん?」
TVからチラリと目線を外して、勇がキョトンとした顔をする。
心当たりがないのか、オフクロも意外そうな顔をしながら席を立った。
そしてモニターに映る映像を把握して、驚きの声をあげる。
「まぁ、橋本さん!?」
「えっ!?」
さらに大声をあげたのはこっちだった。
(香!?
って、なんでここに!?)
オレもガタッと立ち上がり、インターホンを覗き込んだ。
モニターに映るのは、たしかに香だ。
誰かと一緒でもなく、ひとりでそこに立っている。
(オレの家ならともかく、なんで社長宅に来んだ?)
そりゃ実際オレはここにいたが、そんなことは香は知らないはずだ。
オフクロも、心当たりはあるかと尋ねる目線でオレを見るが、答えようもない。
「……とにかく、通してやってくれ」
オレは驚きを隠した声で言って、モニターの中の香をジッと見つめた……。




