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「私と一哉が出会ったのは、今から五年前。
留学先のアメリカでよ」
そう言って彰子さんが話し始めたのは、まだ一哉が今のあたしと同い年くらいの時のことだった。
当時、一哉は会社経営に加わるためのビジネス留学。
彰子さんは語学留学でアメリカの同じ街にいて、向こうで知り合ったらしい。
ふたりはお互いに好意を持って、すぐにつき合い出した。
ふたりの想いはどちらも真剣で、日本に帰っても絶対ずっと一緒にいようと、いつか日本で結婚しようと約束して、それぞれの親にもそう話していたらしい。
「だけど本当は、私の親はそれに快く賛成してくれていなかったの。
私の親、自分で言うのもなんだけれどそれなりの資産家でね。
昔から親の勧める進学校に通って、留学も親の命令で行っていたようなものだった」
彰子さんの両親は、自分が顔も知らない相手と娘が勝手に結婚を決めるのを、快く思わなかったらしい。
それに一哉はゆくゆくは自分のお母さんの会社を継ぐわけで。
そうすると必然的に、彰子さんの将来も決まることになる。
「三年前。
私の親はとうとう、考えを改めさせるために私に日本に帰るよう言ってきたの。
親の費用でアメリカに行っていたから、私は逆らいようがなかった。
そして日本に戻った私に、親はお見合いの話を持ってきた」
「お見合い……」
ドキンと胸が弾み、もしかしたら……という思いがよぎる。
彰子さんはあたしの内心に気づいたみたいで、ゆっくりと頷きながら、
「……そう。
そのお見合い相手が、久保雄一。
今の、私の夫よ」
「そ……」
そんな。
やっぱり彰子さんと雄一さんは夫婦だったんだ。
それじゃあ、彰子さんは一哉を諦めて、親のいいなりになったということ?
でもそれじゃあ、一哉は?
彰子さんと結婚するつもりだった一哉が、そんなに簡単に彼女を手放すだなんて考えられないのに。
「そんなに、親御さんの命令には、逆らえなかったんですか」
いくら親のいいなりに歩んできた人生だからって、結婚相手まで親にゆだねるなんて。
少しだけ責めるような色を含んだあたしの声に、彰子さんはなんとも言えない曖昧な笑みを浮かべた。
そしてしばらくの沈黙の後、ゆっくりと首を横に振って、
「……いいえ、違うわ。
最終的には、私が決めたの。
だから一哉も、何も言わずに私の傍から離れていったのよ」
「え!?」
彰子さんが、決めた……?
一哉とじゃなくて、雄一さんと結婚することを!?
「どっ、どうしてですかっ?
だって今」
真剣に一哉と結婚を考えていた。
そう言ったばかりじゃない。
一哉の気持ちを思うとたまらなくなって、思わず声が大きくなった。
軽く椅子から腰を浮かしてしまっていたことにも気づいて、あたしは慌てて『すみません』と謝る。
彰子さんは『いいのよ』と言って苦笑し、大きくひとつ息を吸うと、
「そう、いけないのは全部私なの。
私が、弱かった」
(弱かった……?)
「ど、どういうことですか」
具体的な説明を求めるあたしに、彰子さんは少しだけ視線を外して言葉を続けた。
「本気で一哉と一緒になりたいと思っていたわ。
アメリカにいた時は。
だけどいざ日本に帰ってきて、一哉と会えなくなって。
ひとりになると、だんだん怖くなってきたの」
「怖くなってきた?」
「ええ。
一哉は必ず迎えに行くと言ってくれたけれど、その言葉に保証なんてない。
親の命令ですごすご帰ってしまった私への気持ちなんて、そのうち冷めてしまうんじゃないかって」
そう言うと、彰子さんは自虐的な笑みで笑う。
「自己嫌悪、疑心暗鬼、不安……。
そんな感情にさいなまれている時に、流されるまま受けたお見合いで久保と出会った。
IT業界の革命児なんて言われている久保だけれど、素顔はとても素朴で、優しくて」
そこで小さく息を吐いてから、彼女は続けた。
「いつの間にか……久保の存在に安らぎを感じるようになっていたの。
遠距離で不安なばかりの恋に身を焦がすより……身近に、すべてを知ったうえで私を受け止めると言ってくれる人がいる。
その安らぎに、私は負けたのよ」
「そんな……」
徐々に飲み込めてきた話の内容に、あたしは表情が歪んでいくのが自分でわかった。
(それじゃ、それじゃつまり、彰子さんは一哉を……)
「私は、久保との婚約を受け入れた。
そして一哉に別れの連絡をした。
一哉は驚いたり怒ったり、相当取り乱したけれど、自分がアメリカにいるのが理由なら、留学を中断して帰国すると言い出したの」
(……そうだよね。
あたしが一哉でも、そう言うだろうな……)
「だけど私は一哉にそんなことはしてほしくなかったし、決断した以上もう一哉とは会わない方がいいと思った。
でも一哉も言い出したら聞かないから、正直困ったわ。
そうしたらそんな状況を察した私の父親が……」
その次の言葉に、あたしの頭は一瞬真っ白になった。
『一千万の手切れ金を、用意したの』
そう言ったんだ、彼女は。
「父が直接一哉に話をしたけれど、一哉は受け取りを拒否した。
私は考えたわ。
そういえば、一度一哉がスポーツで足を怪我してしばらく歩くのも大変だった時、身の回りの世話をしたことがあって。
その時銀行の手続きも手伝ったから、彼の口座番号を聞いていたの。
だから、だから私が一哉の口座番号を父に教えて、一方的に送金をしてもらったのよ」
「なっ……!?」
今度こそ、あたしは完全に立ち上がっていた。
信じられないという気持ち。
だけどそれと同時にようやくあたしの中で、パズルのピースが、ピッタリと当てはまる。
一哉の不自然な羽振りのよさ。
『ムダ金だから使ってしまいたい』という言葉。
あれは、その手切れ金の一千万を、受け取ったから!?
「ひどい……ひどいっ、そんなの!」




