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タクシーで一哉が向かったのは、同じ銀座にある高級ホテル。
名前はもちろん知っているけれど、入ったこともない。
タクシーの中からこのホテルに電話をしていたようだったからフロントに着いて一哉が名前を告げるとすぐ、部屋に案内される。
入った部屋はどう見てもスイートのレベルで、もうあたしは口をあんぐり開けるしかなかった。
「アンタいったい何モンなの?
こんな所に入れるなんて」
震える声で尋ねるあたし。
一哉はそんなあたしに背を向け、クローゼットを開けながら、
「別にオレはただの帰国子女だよ。
ここだって、経営陣に知り合いがいるから多少顔きくだけだ」
そう言うとクルリと振り向いて、
「とりあえずルームウェアとガウンはあるから、着替えろ。
新しい服は、明日ここを出るまでには届けさせる」
「え……」
そのセリフに、ホントに今さらだけど、心臓がトクンと震える。
ルームウェアに着替えて。
明日ここを出るまでには。
その言葉が意味することなんて、考えるまでもないほど明らかで……。
(本気で、今晩ふたりでここに泊まる気なの……?)
新しい緊張が足の裏から湧き上がってきて、立ち尽くすあたし。
そんなあたしを見て、一哉はてんで的外れなことを言ってきた。
「……?
何を不安そうな顔してんだよ?
安心しろ。
ここを支払う金くらいはちゃんとある」
「だ、誰もそんなことは言ってないでしょっ」
お金の心配ばかりしていると思われたのが心外で思わず言い返すと、一哉は片眉を上げておどけた顔をした。
そして一向に動こうとしないあたしに業を煮やしたのか、自分でクローゼットの中に手を入れると、
「ホラ。
ああ、つってもそのままじゃ気持ち悪いか。
先にシャワー浴びてこいよ」
一哉が投げてきたルームウェアを反射的に受け取る。
スベスベした滑らかな肌触り。
きっとシルクだ。
だけどあたしはもちろん、『じゃあお先に』なんて言って、その着替えを持ってバスルームに行くわけにはいかない。
「なんで、こんなことするの?
なんであたしなのよ?」
半分パニックに陥っていたこともあってノコノコとこんな所までついてきてしまったけれど、でも、さすがにこれ以上は流されない。
あたしは受け取った着替えをすぐまた傍のべッドに放り投げて、まっすぐ一哉を睨みつけた。
一哉は軽く肩をすくめて、
「まだそんなこと言ってんのか?
さっき話しただろうが。
オレの知る中じゃ、お前が一番面白そうだから選んだんだって」
「そんな説明で納得いくわけないでしょ!?
そもそもなんで、アンタに選ばれたからってこんな所まで来なきゃいけないのよ!?」
あたしと一哉の関係なんて、たった二回一緒にお酒を飲んだだけのホステスとお客。
悔しいことに、今やあたしの珠奈の仮面は粉々に砕け散ってしまったけれど、それでもほんの数時間前までは、本当に客とホステス、ただそれだけの関係だった。
それが気づけばホテルの部屋でふたりきり。
こんなの、ホステスと客の境界線を越えまくってる。
そりゃもちろん、お金が絡めばなんでもありの世界。
ウェヌスにだってすぐに体を使う子はいる。
だけどあたしは、自分のプライドもあって、絶対にお客に体を許すことがなかった。
珠奈としてのあたしは、いつだって求められるだけの存在でいなければならない、という見栄が半分、面倒臭さが半分。
それなのに、こんなヤツと、一夜を共にするなんて……。
「オレがお前に興味があって、お前を欲しいって言ってる。
それだけじゃ、不満なのか?」
「!」
それは、背骨の芯から痺れを起こさせるような不思議な響きを持つ声で。
反発したいのに、何か抗いようのない魔力を秘めた、テナーボイス。
その魔力に、体が金縛りのように動けなくなるのを、あたしは頭の片隅で感じていた。
「理由なんかそれで充分だろ。
つまんねえ毎日にウンザリしてるんじゃないのか?
だったらつき合え、オレに。
少しは面白くしてやれるはずだぜ?」
クローゼットの傍を離れ、一哉があたしの方に歩いてくる。
逃げなきゃと思うのに体はちっとも動かなくて、あっという間にあたしは歩み寄ってきた一哉のたくましい腕に抱きすくめられていた。
「やめてよ……。
こんなことで、何かが変わるわけなんてないじゃない……!」
ようやくノドの奥からしぼり出した声。
それは間違いなくあたしの思いなのに、何だか他人のもののようによそよそしい。
だからその声も、あっという間に一哉の次の声に飲み込まれて消えていった。
「そう思うなら逃げろよ。
本気で拒んで逃げるなら、オレはお前を追わない」
「やめて……!
あたしは!」
あるわけない。
他人に身を任せることで、このつまらない世界が変わるだなんて。
あたしはそんなこと信じないし、求めない。
求めない、のに……。
(!!)
吸いつくように激しく唇をふさがれた瞬間、雷に打たれたかと思うくらい、全身が痺れた。
押しつけられた唇から、一哉の甘い吐息があたしの中に流れ込む。
それはまるで熱でも持っているかのように、熱かった。
その熱があたしの全身を満たしていくと共に、逆に四肢からは抵抗する力が……いや、自分を支える力すら、奪われていく。
(ダメ……こんなの。
こんなの、あたしじやない……!)
「……お前……ホントの名前、なんていうんだ?」
キスの合間の囁き声が、さらにあたしを狂わせる。
「教えろよ。
そっちの名前で呼んでやる」
(イヤ。
そんなの、いらない!)
言っちゃダメ、教えちゃダメ。
心の中で叫んでるのは誰なんだろ?
珠奈の仮面を破られてしまったあたし。
それじゃあ、今のあたしは香?
だけど香は、人のぬくもりなんて求めないじゃない。
こんなふうにあたしの心に割り込んでくる相手に体を許すなんて……そんなこと絶対、ないはずなのに……。
「教えろって。
名前も知らないヤツを、愛してなんかやれないだろうが」
その声が鼓膜を震わせた時、あたしの中で何かが弾けた。
「……香……」
熱に浮かされたような声でそう答えて。
理性が保てたのは、そこまで。
その後のあたしは、ただ注がれる愛に身を任せ、それに乱れるだけだつた。
一哉のキスが再びあたしの呼吸を奪う。
強引に唇を割り、熱い舌で歯列や口腔の壁を隅々までなぞったかと思うと、次には舌を絡め取って吸い上げる。
それだけでもう、あたしの体は奥の方からジンジンと痺れ、立っているのも精一杯だ。
「はぁ……んっ……」
自分のものとは思えない甘く濡れた声に、羞恥心と不思議な余韻が全身を駆け巡った。
それを煽るかのように、耳元で低く囁く一哉の声……。
「いい声出すじゃねえか。
もっとさらけ出せ。
このオレに」
「あ……っ!」
一哉の指先が首筋からスッと下へたどり、着ていたドレスの肩を落とした。
柔らかい生地のドレスはいとも簡単にあたしの肌を離れ、音もなくスルリと床に落ちる。
「本当のお前を見せろよ。
いいな……香」
下着姿になったあたしをベッドに押し倒して、一哉は真上からあたしを見下ろした。
(イヤ……見ないで……)
体が燃えるみたい。
だけどそれは恥ずかしさと動揺のためか、一哉に煽られて高ぶる体のせいか。
どっちなのかもう、自分でもわからない。
一哉の指があたしの胸の膨らみに触れると、腰の辺りから駆け登る疼きにビクンと体が跳ねた。
壊れそうなくらいに軋むカラダもココロも、もう抑えようがなかった。
長くしなやかな一哉の指が、膨らみを包む布の下から直接あたしの肌に触れる。
「あぁっ……っ」
口をついて出る、自分でも信じられないほど、どうしようもなく濡れた声。
恥ずかしい……こんな声を、他人に聞かせるなんて……。
「何泣きそうな顔してんだよ。
言っただろ。
お前の全部をさらけ出せって。
オレが見たいのは、丸裸のお前なんだ」
一哉はそう言って、唇へのキスとはまるで違う優しいキスを、あたしのまぶたに落とした。
そして同時に片方の掌で胸を揉みしだき、もう一方の手はあたしの太股を撫でる。
「んっ……やぁっ……」
「そうだよ、その顔だ。
オレに狂っちまえ。
早く」
「っ……あ……あたし、は……」
壊れていく。
あたしの殻が。
一哉の指があたしの敏感なところに触れ、熱い唇が肌を伝い、紅い刻印を残していくと共に。
あたしはもう、何を抑えることも、隠すこともできない。
ただあたしは、一哉に溺れるオンナ。
たったそれだけの存在になって、その深海みたいな夜に、吸い込まれるように沈んでいった……。




